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『もこ もこもこ』課題本哲学カフェ振り返り・その②

 すっかり日が経ってしまったが、前に途中まで書いた課題本哲学カフェの振り返りの続きをお届けしよう。この哲学カフェは5月13日(土)の夜に行われたもので、課題本は『もこ もこもこ』という絵本だった。

 「しーん」とした地面から、「もこ」と「にょき」が生まれる。「もこ」は徐々に巨大化し、「にょき」を「ぱくん」と食べてしまう。その後「もこ」から赤い丸が「ぽろり」とこぼれ落ちる。赤い丸は次第に膨らみ、「ぎらぎら」して、遂に「もこ」もろとも「ぱちん」とはじけてしまう。辺りには再び静寂が訪れる。そして新たな「もこ」が誕生し、絵本は幕を閉じる。

 シンプルで抽象的な絵と、短いオノマトペだけで構成された絵本。そんな本を課題本にして、果たして話は盛り上がるのだろうか。哲学カフェが始まるまで、メンバーは一様に不安と疑問を抱えていた。しかし、いざ話し合いが始まってみると、僕らは食い入るように絵本を見返しながら、気付いたことや考えたことを言葉にし合っていた。あまりに夢中になりすぎて、途中休憩の時間が来たのに気付かないくらいだった。

 さて、前半戦の話は振り返りその①で書いたので、今回は後半戦の話をしようと思う。後半戦も前半戦に負けず劣らず、様々な発見があり、考察の捗る時間だった。当日の雰囲気を思い出しながら、書き進めていくことにしよう。

 なお、『もこ もこもこ』の内容が気になるという方には、ぜひ次の動画を見ていただきたい。作者の谷川俊太郎さん自身による朗読を収めた、貴重な動画である。また、この動画を見ると、『もこ もこもこ』について色んな考えを巡らせたくなると思う。既に読んだことがあるという方も、一度目を通してみて欲しい。

 それでは、哲学カフェの話に移ろう。
 
     ◇
 
 後半戦でまず話題になったのは、巨大な「もこ」からこぼれ落ちた赤い丸が膨らんで「ぎらぎら」した後の部分だった。すなわち、何かが「ぱちん」とはじけ、破片らしきものが飛び散り、クラゲのようなものが「ふんわ ふんわ」と辺りを漂うまでを描いた部分である。

 この部分が話題になったのは、疑問に思えることがたくさん詰まっているからだった。僕らは次々に、一連のページを見返して気になったことを口にした。

「『ぱちん』とはじけたものは何なんでしょう。直前のページには『もこ』と『ぎらぎら』がいるんですけど、その後のページではどちらもいなくなるんですよね。ということは、両方ともはじけたんでしょうか?」

「『ふんわ ふんわ』してるものって何なんですかね? その前に飛び散った破片はただの三角形なのに、なんで『ふんわ ふんわ』には足みたいな線がついてるのかっていうのも気になります」

「『もこ』と『ぎらぎら』がなくなるくらい大変なことが起きてるのに対して、『ぱちん』っていう音は軽くないですか?」

「『ぱちん』の次の、破片が飛び散るページって、本全体の中で唯一文字が入ってないじゃないですか。これってどういうことなんですかね?」——

    ◇

 そうやって色んな疑問を出し合いながら、僕らは同時に読み解きを進めていった。

 まず、一連のページで何が起こっているのかということを巡っては、次のような意見が出た。

「あくまで僕の解釈ですけど、『ぱちん』っていうのは『もこもこ』っていう世界がはじけたっていうことだと思うんですね。で、その世界の破片が飛び散って、灰になる。『ふんわ ふんわ』してるのは、世界が灰になったもので、それが元の大地に降り積もっているのかなと思います」

 一連のページで起きた出来事をまとめて読み解こうとした発言はこれだけであった。僕らはその後、この発言に拠って立ちながら、細かい所について検討を加えていった。

 中でも話題になったのは、「もこ」と「ぎらぎら」はそれぞれどうなったのか、ということである。この点を巡っては2つの意見が出た。

 1つは、「ぱちん」のページではじけたのは「もこ」だけであり、「ぎらぎら」はその間膨張を続けていたというものである。この意見の根拠となったのは、「ぱちん」と次のページの背景が、「ぎらぎら」が膨らんだような色をしていることだった。では「ぎらぎら」はどうなるのかというと、膨張を続けた結果はじけるか収縮するかだという。「ふんわ ふんわ」が漂うページで、世界は暗くなっている。それは「ぎらぎら」もまた消えてしまったからだというわけだ。

 もう1つの意見は、「ぱちん」で「もこ」がはじけた後、「もこ」と「ぎらぎら」は融合し、ひとつになって飛び散ったというものである。この意見を唱えたメンバーは、飛び散る破片の色に注目していた。そこには「ぎらぎら」の赤系の色のほか、巨大化した「もこ」の色である黄色や、「もこ」が食べてしまった「にょき」の色である緑色が含まれている。そこから、この破片は「もこ」と「ぎらぎら」の融合体のものであると考えたのである。

     ◇

 一方で、こんな発言もあった。

「ちょっと思ったんですけど、『ぱちん』て何かがはじけるページだけ、他の絵と違ってカメラが引いてるんじゃないかと思うんですね」

 この発言の根拠として挙がったのは、絵の下に描かれている地面の色だった。地面は基本的に紫色で描かれている。しかし「ぱちん」のページだけ、地面の色が黒なのである。

 「ほんとだ!」という声が何人かから上がった。僕も「おお!」と声を上げた。

 僕もある時点から、「ぱちん」のページだけカメラの位置が他と違うんじゃないかとは考えていた。地面を描くことで同じアングルの絵が続いていると思わせておいて、実は途中でカメラの位置が変わっているというのは、いかにもありそうなトリックだと思ったのである。ただ、その考えを裏付ける根拠は何もなかった。

 だから、地面の色が違うと言われた時、僕は自分の考えが補強された喜びと、そんなところに気が付くのかという驚きを同時に味わったのである。

 さらに、「ぱちん」でカメラが引いているという説は、違う角度からも支持されることになる。

「もしカメラが引いてるとしたら、大変なことが起きているはずなのに音が『ぱちん』と軽い理由も説明できると思います。要するに、爆発を遠くから見ているから、音が小さいんです」

 この発言が出た瞬間、「なぜ『ぱちん』と音が軽いのか」という問いを出したメンバーが、Zoomの向こうで大きくのけぞったのが見えた。「あーその手があったか!」というリアクションのようであった。

 ちなみに、「ぱちん」という効果音については、「生き物がはじけたという印象を出すには、『ばん』や『どかん』より『ぱちん』が合うからじゃないか」という発言もあった。これも興味深い意見である。

     ◇

 さてここで、文字のないページの謎に関するやり取りを見てみよう。

 先にも書いた通り、『もこ もこもこ』には1枚だけ、見開き全体で文字が1つも出てこない絵が存在する。「ぱちん」の次に登場する、破片らしきものが飛んでいくところの絵である。なぜこのページだけ文字がないのか。少なからぬメンバーが、そのことに疑問を抱いていた。

 文字がない。それは通常、音がないということを意味する。だから僕らは最初、なぜ破片が飛ぶ場面には音がないのかという風に考えていた。だが、ある発言をきっかけに、僕らの思考は大きく覆ることになる。

「谷川俊太郎さん、確かこのページ“読んで”ましたよね?」

 そう、先に紹介した朗読動画で、谷川俊太郎さんはこの文字のないページに音を当てているのである。「“読んで”ましたね」という声が、朗読を見たメンバーの間で上がった。「『しゅわしゅわ』みたいな音でしたよね」という声も上がった。

 ということは、文字がないということは、音がないということとは違うのだろうか。そんな風に考えていると、あるメンバーが口を開いた。

「考えてみると、この本では音がないことを表すのに『しーん』という文字を使ってるんですよね。とすると、『ぱちん』の次のページで、文字を使わないことで無音を表現するというのは違和感がある。だから、おそらくここは、一体どんな音が出てるんだろうと考えさせて、想像で読ませるページになってるんじゃないかと思います」

 僕は「うおお!」と叫んだ。まさに、「その手があったか!」という気持ちだった。「しーん」と文字なしを比較させることで、文字なし=無音ではないと読み解く。それはこの課題本哲学カフェの中でも随一と言っていい、鮮やかな読解だった。

 そして、手を叩くと同時に、僕の脳裏には、文字のないページを眺める親子の姿が浮かんできた。「ここ、どんな音がするんだろうね」と親が言う。「ぎゅいーん?」と子どもが笑う。それはなんて素敵な情景だろうと、僕は思った。

     ◇

 この後、哲学カフェの中では、「表紙の『もこもこ』は何なのか?」ということが話題になった。

 『もこ もこもこ』という本の表紙に「もこもこ」が描かれているのは、一見すると普通のことである。ではなぜ話題になったのかというと、表紙の通りの「もこもこ」が作中に登場しないからである。

 口を大きく開けている「もこもこ」は、「にょき」を食べるページで登場する。だが、口を開ける向きや、「もこもこ」の体の傾け方が違う。「もこもこ」の色も違う。そもそも、表紙の「もこもこ」は緑色であるが、絵本の中に緑色の「もこもこ」は出てこないのである。となると、表紙の「もこもこ」は何なのだろうか。

 ここでも1つの「発見」があった。

「本を開いて、裏表紙と表紙を1枚の絵として見ると、表紙の『もこもこ』は絵の右側にあるんです。で、本の中で『もこもこ』が見開きページの右側に描かれているのは、最後に出てくる『もこ』だけなんです。ということは、表紙の『もこもこ』は、最後に生まれた『もこ』の、その後の姿なんじゃないでしょうか」

 この話は伝わるまでに時間がかかった。裏表紙と表紙を合わせて1枚の絵として見るというイメージがわかりにくかったようである。しかし、イメージが共有されるにつれて、一部のメンバー「ああ、なるほど」という声が上がるようになった。

 その少し前、僕らは一時「最後に生まれた『もこ』は、その後どうなるんでしょうか」という話をしていた。その時は「どうなんでしょう」というふわっとした話が出ただけだった。しかしここで思いがけず、最後に生まれた「もこ」の未来の姿は、実は描かれていたかもしれないという可能性が浮上した。これは面白い展開だった。

     ◇

 しかし、仮にそうだとして、表紙の「もこもこ」の緑色はどこから来ているのか。これに対し、話し合いの中で出た答えは、最初の「もこ」が食べた「にょき」の色から来ているのではないかというものだった。作中緑色が使われているのは「にょき」だけだったからである。

 この話が出た時、あるメンバーが嬉しそうな声を上げた。「食べられた『にょき』の要素が受け継がれて、それを受け継いだものが大きくなっていくのはいい」と、そのメンバーは言った。

 だが、個人的にはそれはどうだろうと思う。何しろ、新しい「もこもこ」もまた、前の「もこもこ」と同じように巨大化し、怪物のように口を開けているのである。前半戦の中で、2つの「もこ」が描かれている位置の違いから、新しい「もこ」は前の「もこ」とは違う運命を辿るのではないかという意見が出ていた。しかし、もしかすると、新しい「もこ」も前の「もこ」と同様に、巨大な怪物と化した後、はじけて消えてしまうのかもしれない。

 それにしても、表紙の「もこ」は一体何に向かって口を開いているのだろうか。裏表紙に描かれたクラゲのようなものを食べようとしているのだろうか。そもそもこのクラゲは何なのだろう。「ふんわ ふんわ」のようではある。だが、「ふんわ ふんわ」と違って色が付いている。それに足の数も違うのだ。

 色んな「発見」を積み重ねても、また新たな謎が生まれる。あそこはどうなってんだ、これはどうなんだ。そうやって、果てしない謎の探究を続けているうちに、哲学カフェは終了の時間を迎えたのだった。

     ◇

 以上、『もこ もこもこ』を題材にした課題本哲学カフェの内容を振り返ってきました。何度も書いている通り、最初は盛り上がるかどうか不安に思われていた今回の哲学カフェですが、結果的にはかなりの盛り上がりを見せていました。40年以上にわたって売れ続けているロングセラーの絵本の魅力をたっぷり堪能する会にもなったのではないかと思います。

 本を読んだり話し合ったりする時、僕らはだいたい、読んだだけで内容や主張がわかる本を選び、その内容について感想や意見を交わそうとします。『もこ もこもこ』はそういう本ではありませんでした。シンプルな絵と短い言葉からなるこの本は、一見すると何が書かれているのかよくわからない本です。しかし、だからこそ、想像力を使って内容を読み解いたり、ちょっとした絵の工夫をきっかけに考察を深めたりすることができたのでしょう。そのことに気付けたという点でも、今回の哲学カフェは収穫の多いものだったと、振り返りを書きながら改めて感じました。

 それでは、この辺りで筆を置こうと思います。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
 
(第162回 5月25日)

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