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おむすびで人生が変わった話 第3章 ほどけてほどけて取り戻したもの(第3節:自分に手をかけ続けた先に)

第1章は何もかもうまくいっていない、悪循環を感じていた新婚時代と、おむすびとの出合い書いています。

第2章はおむすびの人になる前におむすびをむすびながら子育てを通して自分やり直し期間のことを書いています。

▼無料マガジンになっています

おむすびで自分をほどいてほどいてむすび直し。子育てばかりでなくパートナーシップのことも書いてみました。

第3章は2016年におむすびをむすびだし、2018年に「おむすびの人になる」と決め、ほどけていったプロセスを書いています。



第3節 手をかけた先に見えたこと・感じたこと

手を動かし続けたからわかってきたこと

おむすびをむすぶ。これは「手仕事」なんですね。

道具を使わず自らの手で生み出す。手仕事ってそこにはその人の有様、在り方、その時のエネルギーが”ものすごく”反映します。

わたしはおむすびをむすびながら、自分のその時その時にエネルギーを微細に感じるようにしてきました。感じるようにしてきた、なんて書くとそんなスピリチュアル的な力のように思われるかもしれないのですが、全くそんなことではないです(笑)

「おむすびがわたしに伝えたいこと、なんだろう」

それをいちいち感じるように意識しました。

そこに正解不正解はなく、「あーそうなんだな」と感じるようにして。


そして食べてみるとその感じた感覚の丸つけみたいになるんです。

硬かったり、しょっぱかったり、ごはんが詰まってて重たかったり。

「あー、やっぱり」みたいなことになります。


それでも「むすんだわたし」に対して○×をつける事はありませんでした。なぜなら多少しょっぱくても硬くても「おいしい」と感じたから。

「おいしい」と感じた=自分で自分を喜ばせることができた

これは自分を全肯定することにつながりました。



よくあったのが「うまくむすぼう」とすると”しょっぱくなる”こと。

塩加減が「これ」って決まらないとそうなる。

迷いがある時って何かと比較していることが多いなというのが感じていることです。自分がこれ、って思った通りに動けていないというか。

うまくむすぼう、も、誰かの・何かの評価(”おいしいと言ってもらう”)に偏っていて、自分でこうしよう、と決められていないし、こうと思った通りに手を動かせていない。



そしてこれがまた面白いのは、やっぱり体調によって「おいしい」と感じる塩加減が違うこと。

心がほどけるおむすびの塩は「1回」しかぬりません。(ぬる、という言葉でいいのかな。のせる、かな。)

この「1回」というのが、自分の肉体の状態と共鳴しているかどうかがよくわかるのだろうと思います。


手をかける、って「こういう風にする」なんている枠や決まりはないから「この量で」というのがない塩加減もそうだし、「ほどける」になるむすび具合もそうだし、どんな風に自分に手をかけているか、があからさまに、ダイレクトに伝わってくるんですね。



「満たされる」を感じ続ける

心がほどけるおむすびの会では、おむすびと、お野菜の御菜(お肉やお魚は使わず)、お味噌汁をお出しします。いわゆるボリュームのあるお昼ごはんになるわけではないけれど、すごく満たされた感覚でみなさんお帰りになります。

わたしもそうでした。

おむすびをむすび続けて、それを食べる。たったおむすびだけのごはんでも「満たされた」感覚になるんです。


満たされた感覚


これは頭で感じる感覚じゃないんですよね。本能的なものだと思います。


「食べるはエロだ」と言った人がいて(この映画はそれが印象的でした)、わたしはめちゃくちゃ共感しました。食べた時の「満たされた」感覚は、男女の営みの満たされた感覚とすごく似ています。

「営み」の意味を調べると
・生活のためにする仕事。生業。「日々の営みに追われる」
・性行為。「愛の営み」「夫婦の営み」
・神事・仏事を行うこと。
というように出てくるんですね。

なんだ、一緒じゃないか。しかも神事まで出てくる。

いのちにつながる事は「営み」なんですね。


この営みが本能的で本質的だと悦びが蘇ってくるんだろうと思います。

心がほどけるおむすびをむすんで食べて、自分で自分を悦ばせながら蘇らせたんだなぁと今ならわかります。



口にしているのは栄養だけではない

とはいえ、ぶっちゃけおむすびと味噌汁と野菜の御数だけで栄養的にはどうなのよ、という声がなかったわけではありません。

当時のわたしはそう言ったことに耳を貸して「そんなことありませんよ」という理論武装をしようとして、いろいろ調べたこともありました。

が、心がほどけるおむすびが伝えたい事はそういうことじゃないよな、と。お客様からこういう声を聞くと

栄養よりもどんなエネルギーを乗せているかで、子どものパフォーマンスは変わる!

という確信が増して行きました。


栄養を考えながらつくるごはん、彩りを考えながらつくるごはんって、大変ですよね。わたしだって決して楽チンだとは思っていません。だって毎日のことですから。

その「大変」という感情、感情まで表面化していなくてもイライラしたり、面倒だから「ま、いっか」と扱ったり。そういうエネルギーをごはんにのせる方がよっぽど影響が強いということがわかってきました。

それは味にも出ます。



だったら気張らずにおむすびむすんで、ちょっと具材多め(残り野菜をたくさんとも言う)豚汁の方が、よっぽど軽やかなエネルギーが乗るし、子どもたちもモリモリ食べます。

逆に塾やら習い事に持たせるお弁当などに「頑張れ!」なんていう期待をのせると、それは重たいおむすびになって残してきたりするんですね。


母親であるわたしが一番嬉しいのは「モリモリ食べてくれる」ことだし、食べることで一番大切なのは、そのいのちがそうなりたいように動けるエネルギーがチャージされること。


いろいろしてあげたい、という母親の氣持ちとは裏腹に、ごはんに一番大事なことは何かを、心がほどけるおむすびをむすびながら、そしてそれを食べる自分だけでなく家族からも教えてもらうことができたのでした。


今のあなたのために。あなたの次世代のために。採種や栽培、堆肥づくりに必要な資材を買ったり、本当に心地よい環境にするために使わせて頂きます! 応援ありがとうございます♡感謝します☺︎