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短編小説 | 雷(いかづち)の信者 (上)

  野焼きの煙が市街まで流れ込んだ。駅前には焦げ臭い香りが漂う。空は雪曇りだった。

 街路樹の間には、一組の男女が立っていた。女は水色のフェルト帽を被り、同色のコート、丈の短いスカートに黒いブーツを履いている。そして長身、帽子の分、並ぶ男より高く見える。男の方は茶色のハンチング帽に同色の革ジャン、下はチェック柄のスラックスにマーチンのブーツだった。季節がら、これからウィンターソングでも披露しそうな雰囲気だったが、周囲に楽器の類はみられない。代わりに、二人の間には背の高いブックラックが置かれていた。差し込まれた冊子の表紙には外国人の家族が、陽だまりのリビングで笑顔を正面に向けている。明瞭な幸福の図だが、それが何の冊子なのか、一見では誰にも分かりそうにない。

 電車が人を降ろしたのだろう。往来の景色がにわかに忙しなくなった。しかし郊外の駅の午前のこと、降りる人もすぐにまばらになって散り、気まぐれな煙のように薄くなって消えていく。ゆらゆらと散る人影は、視界の端で彼らを捉えながら、目を合わせないように足早に通り過ぎていった。また、しかし大学生らしき二人組の男だけは、談笑を続けながらも横目で突っ立つ彼らを流し見ていく。彼らもまた、隣の、田子(でんこ)に惹かれるのだろう。得意そうに、蓼彦はひとつ大きなあくびを上げた。

 田子と蓼彦の目的は、冊子を必要とする人に手に取ってもらうことだった。しかし興味を持つ人は多くない。通りすがりの、ほんのわずかな時間ではなおさらである。一時間か、二時間に一人あればいい方で、半日立ってもまったく近寄られないこともある。しかし、蓼彦はそれでよかった。田子と並んで立つこの時間こそが至福、それだけで充足だった。誰からも避けられるというこの状況が、野天でありながら個室のようである。人通りの中でも二人きりである。そんな時間において、蓼彦は度々田子の横顔を盗み見た。アジアの南国を思わせるその横顔は、見ているだけでうっとりとする。中でも角膜が小さく結膜の部分が大きい白目勝ちな鋭い目つきが、得も言われぬ磁力を帯びていた。その謎めいた力に、蓼彦は引き付けられた。

 しかし時には、そうやって盗み見する蓼彦に、田子の方も気が付くらしい。

「何見てんだよ」

彼女はいつも唾を吐かないばかりに言い捨てる。蓼彦は耳を赤らめ薄ら笑いを浮かべるだけだった。

 

 冊子の配置場所は日によって変えた。多くは人通りのある駅前を選んだ。できるだけ多くの人の目に触れるため、そして無用な軋轢を避けるためである。細い道はいさかいが起こりやすい。人の目に着きながら、通行の邪魔にならない場所を選ばなければならない。適切な場所を求め転々とし、時には厳しい天候にもさいなまれる。だがそれだけ苦慮したところで苦情がでないわけでもない。理不尽な言い様で彼らを排除せんとする輩も度々は現れる。が、彼らの活動は信教や表現の自由といった憲法に守られていた。理は、正義は、こちらにあった。そして、そういった国民の法規は、田子の信条にとっても親和性が高かった。

 田子の信条は明瞭である。

「我々は蛆虫である。」

これには細かいこだわりがあった。決して「私は」ではなく「我々は」といった点である。「我々」とは人間、もしくは社会そのものを指すのだろう。蛆虫とはつまり、畜生だとか餓鬼だとかを含めた、卑小さの総称を示すのだろう。いずれにせよ我々は蛆虫であるから、例えば一般的に尊厳が損なわれるような場面にさらされても、田子なら、たいてい平気な顔をしてやりすごす。

 それは例えば、階段の下からスカートの中を見られるようなときにも適用される。下着を覗かれるのは、通常なら尊厳の侵害とみなされるだろう。尊厳とはすなわち自由の有無で、下着を覗かれる恐れがあっては、短いスカートを履く自由を損なわれることになる。誰も許可なく下着を覗かれたくはない。そのため下着を覗かれないように、スカートをやめたり裾を抑えたりと、何かの制限を強いられる。何より覗かれているという心的な苦痛は、それだけで健全な心情、心情の自由を侵害していると言えるだろう。また、覗く方ももし下着を覗きたければ許可を得なければいけない。不意に覗いてしまいそうな場面に当たったとすれば、顔を逸らして覗かないようにしなければならない。

 しかし田子にとってはその通りではない。田子にとっては下着を見られたからといって所詮それは蛆虫の下着である。また、覗く方も蛆虫である。そのため、田子にとっては虫同士の視線の交換に過ぎず、糾弾するような行動の必要はない。短いスカートを履いているのだから、上に登れば見えるのが自然だろう。といった具合で、つまり、自尊のハードルを下げて得る自由である。

 ただ、相手も同様に蛆虫であるから、田子にとって目障りであれば、彼女のほうから容赦なく踏みつぶすこともある。酔っ払いが道に寝ていれば、文字通りわざわざ股間を踏みつぶして通るし、何ならその苦しみ悶えている者の財布を、平気な顔で抜き取って行く。また、男にしつこく言い寄られれば躊躇なく煙草の火を押し当て、二本の指で目つぶしもお見舞いする。パチンコでは当然のように人のドル箱を盗み、コンビニではアイスコーヒーの代金でアイスカフェラテを淹れて飲んだ。野良猫が寄れば蹴り、店前に繋がれた犬がいれば縄を解く。葬式で歌い、婚式ではいびきをかいて眠った。飲み屋の会計は人を置いて逃げ、逆に逃げられれば自分も逃げる。つまり、スカートの中を覗かれても、平気な顔をしている。が、その平気な顔のまま後ろ蹴りをくらわし、階段から落としもする。田子は人をあまり人と思わない。田子は人をさげすみ、自分もさげすんだ。そのため、友人は一人も残らず、家族の影もない。恋人と呼べるものも当然いない。住処もどこだか、知れなかった。

 こういった田子にとって、細かく言えば、冊子の配置場所に配慮することも彼女の信条にはそぐわない。わざわざ道を選んだり、公的機関に届け出したりするなどは、信条の自由を他に伺うということになる。のであるが、しかし「蛆虫」という譲歩があった。道の端に這う蛆虫をわざわざ踏みつぶしに寄る人は少ない。実際がそうであった。誰もわざわざ彼らに近付かない。しかし人々に避けられる活動をするのは、田子のみならず蓼彦さえも気分が良いものだった。人々が干渉してこない自由が、心地よかった。人々は、蛆虫が何をしようとも気に留めないのだ。しかし、蛆虫が道に這うのを知れば、中にはあえて踏みつけようとする者もいる。蛆虫に気が付くのは、蛆虫に他ならない。目線が同じなのだ。

「通行の邪魔だ」と難癖をつける輩にたいして、田子はいつも間髪許さず「蛆虫野郎、踏みつぶすぞ」と激高し、ブックラックを蹴り倒してみせる。華麗な、迷いない回し蹴りだ。ブックラックは音を立てて倒れ、冊子は宙に舞って散らばる。難癖をつける輩は面食らって逃げていく。それがもしすぐに逃げなくても、彼らは地面に散らばっている冊子を見て、もれなく帰っていく。冊子のいくらかは中を開いて上向いている。冊子の中身は白紙なのである。いよいよ訳が分からなくなる。行動の真意が失われると、その場に残るのは田子の眼差しだけになる。彼女の行動の真意が抵抗ではなく、自分に向けられた傷害の意思のみであると察する。この女は正気でないと分かる。

 正気でないことへの信教と、その表現。他人にはそう映るだろう。それもこれもただ身勝手なだけなのだが、それをどう信じたって自由である。それはひとえに社会も自分も蛆虫であるからといった信条による、すてばちな彼女自身の現れであった。

 これらはおおむね大変危険な行動で、蓼彦は、いつか田子が報復を受けたり捕まったりするのではと冷や冷やしていた。しかし田子は、心配する蓼彦に時折言った。

「もし乱暴されたらそいつをすぐに絶対に殺す。確実に殺す。服役になってもいい。それが蛆虫の一生だから」

その決意に満ちた信条は、おのずと田子の表層や目に現れるのだろう。ピリピリとした空気は自然と危険な男たちを退けさせたのかもしれない。幸い、ひどい目に遭ったという話は聞かなかった。しかしもしかすると言わないだけかもしれない。なぜなら田子はいつも、ポケットやハンドバックに複数のペティナイフを忍ばせていた。ついぞそれを使うところをこれまで見ずに済んでいたが、ただ一度だけ、蓼彦の小言があまりにも多かった時には、稲妻のように素早くナイフを抜き、首筋に突き立てられたことがあった。

「空手を習っていた」

田子は冗談のように笑う。蓼彦は空手にナイフの動きなどあるのかしらと苦笑いしながら、あまりにも躊躇ないその動きを信用せざるを得なかった。田子はどの人間に相対しても、いつでもナイフが抜けるように心がけているのだ。その動きを支え助けるのが、「我々は蛆虫である」という信条だった。

 

 駅前の往来は消え去り、再び長閑となった。田子も、何も起こらなければ静かにたたずむだけである。駅前を囲む背の低いビルの向こうからは、車の走行音や遠い工事の音が聞こえた。駅の壁の向こうでは、電子アナウンスが幻聴のように響いている。そこへ静かに、田子が口を開いた。

「ねえ、昨日の人。どうだった」

「昨日?」

「喜んでたオバサン」

「ああ」

昨日、冊子に興味を持つ数少ない内の一人として、小柄な老年の女性が冊子を手に取った。女性ははじめ、中身が白紙の冊子に難色を示したが、すぐに、雲間からの薄明光線を受けたかのような晴れやかな表情を浮かべた。女性は興奮をみせながらいろいろと喋りたてたが、

「謙虚、あまりにも謙虚だわ」

と、要約するとそんなことを、涙を浮かべないばかりに訴えた。

 冊子を手に取る者の半分は怪訝な顔をして去っていく。が、残りの、さらに半分は面白がり、もう半分はこの女性のように感動して帰っていく。そして、彼らはなぜか田子に対して畏敬を示し、拝んだり祈ったりして帰っていくのである。その度に蓼彦は不思議な感覚を覚える。

 まるで、世間にはまだ明言されていない信仰や、名付けられていない心情が残されていて、人はそれを認知できずに心のどこかに抱え込んでいるように思える。それは、まだ誰も言葉にできていないもので、確かな形をしていない。そんな空洞にも影にも似た不明瞭の穴を心に持つ人が、一定数世間にはひそんでいて、誰にもそのことを共有できないでいる。しかしこうして、白紙の経典と田子を前にしたとき、閉ざされていた通路が一挙に繋がるかのように、心にある、その不明瞭な穴の存在を認知し、それがどこか、大きなものに通じるようで、涙を流す。

 穴は埋めるものではない。どこか遠くへ行く通路ならば。その行く先を示すのが白紙なのか。我々の言葉ではとても言い表すに及ばない場所なのか。蓼彦は信者を前にすると、時にそんな陶酔したような思考に陥る。

 昨日の女性もそうだった。謙虚だと涙を浮かべ、そして田子を見てハッとする。

「あまりにも……」

そう言って、田子の前で手を結び目を閉じる。まるで開かれた扉から後光を浴びるように。体を丸め、穴の中へ沈んでいくように。

 果たして彼らは何を見たのだろうか。田子と蓼彦の活動はその場限りのものであるから、集会や教会というものを持たない。しかしだからこそ、迷える彼らはそれにすらも納得して帰っていく。まるで体内に、田子から譲り受けた磁針を得たかのように、それだけで彼らは満足して去る。それを証明するように、二度と同じ人間が近寄ることはなかった。彼らは田子の針の他に、もう何も求めることがないようだった。対する田子も、そんな彼らに対して特段反応は見せなかった。仁王立ちのまま、信者ともいえる彼らを見下ろすだけである。

終始そのようであったから、田子が過去の人間を気にするというのも珍しいことだった。

「喜んでたね」

「あのオバサン、幸せになれるといいね」

田子の様子は妙だった。いつもの鋭さは薄れ、人の親のような温かさすら感じる。彼女は異様な雰囲気のまま続けた。

「ねえ、蓼彦。手伝ってほしいことがあるんだけど」

「なに」

「殺したいひとがいるの」(続)


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