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価値観を人に押し付けるということ

私は発達障害者(ASD)であり精神疾患持ちです。
しっかり障害者手帳を持っています。
障害者手帳を利用するたび何とも言えない気持ちになります。
「ああ、私の人生こんなはずじゃなかったのにな」と。

発達障害者だけではなく精神疾患者・ひきこもりなどなど
ここ島国日本では精神疾患者は特に生きづらいのではないかと思います。
排他的であり、多数派が正しい。
内科や外科の医者は数限りなくいるのに
精神科医の数は圧倒的に少なく、精神科医になれる人数も決められている。
そのうえ、精神疾患は未だに心の病とされていて
脳の異常機能の問題だと提唱する人はなかなか現れない。
理解が全く進まない国なのだ。

そんななか少数派の私はいくら障害者だからとはいえ、
今までも、これから先も、自分の生き方を貫き通す事は出来ない。
どうしたって少数派は多数派に寄せていくしかない。
それが世間の常識だから。
私の常識で生きること、それはつまり世間の非常識である。

「自分らしく」生きる事は悪くない。と皆言うだろう。
でも「自分らしく」生きる事は
誰かの我慢の上で成り立つことである。
それは健常者であろうが障害者であろうが忘れてはいけない。

健常者よりも障害者の方が圧倒的に「我慢」の数は多いかもしれない。
特に精神疾患を抱えている人は目に見えない障害だからこそ
理解されない事が多いだろう。

辛くて悔しい思いをたくさんするし、
日々に、世の中に、人に絶望する事の方が多い。
でも私は自分の価値観が全て正しいとは思えない。
もちろん、発達障害者・精神疾患者として
自分の生きづらさを「理解してほしい」と思う事は多々ある。
だからこそ身近な人には自分の生きずらさを
これまで抱えてきた思いを、伝える事はある。
「知ってほしい」のと「知っていてもらわないと困る事がある」からだ。
身近な人には特に。

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