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自己紹介

自己紹介(履歴書形式)
氏名: himajin1674(性別: 男性)フリガナ: ヒマジン1674
生年月日: 1948年9月14日 配偶者: 有り 子供: 2人
住所: 福岡県直方市という元炭鉱町
現況: 自宅でリハビリ中 趣味: 読書、ジャズ鑑賞、散歩
賞罰: なし

生まれたところ:北海道上砂川町という元炭鉱町でした。
ここは、三井炭鉱の企業城下町で産業はほぼこれだけ。人口はその当時で約2万5千人くらいだったと記憶しています。父はここで炭鉱で使用する建物や社宅を建設する部署の一級建築士の仕事をしていました。

父や母は元々九州の出身で、父が三井炭鉱の三池炭鉱(福岡県大牟田市)に就職し、母と結婚後北海道に転勤を命じられて、そこで私が生まれたという経緯があります。両親は慣れない北国の厳しい自然環境に、相当苦労したようですが私たち3人兄弟は子供でしたから、北海道の自然中で毎日楽しく暮らし何の苦労もなく育ちました。

当時、この地方は特に豪雪地帯ではなかったと記憶していますが、10月から降り始める雪はやがて根雪となり、長い雪国の暮らしに入ります。雪解けは遅く大体翌年5月半ばまで雪が残っていました。子供の遊びと言えば、殆どがスキーに関係するものばかりで、スキーができなきゃほかにすることがありません。
ですから、学校の行事でもスキー大会やスキー遠足というのがありました。とても楽しかったのを覚えています。

私もまだヨチヨチ歩きのころから、兄の股に挟んでもらってスキーを教えてもらった思い出があります。田舎のことでもあり、スキー教室などない時代でしたので、友達も年上の兄弟や近所のお兄ちゃんやおじさん、時には先生なんかからも教えてもらっていました。
 子供の世界のことですから、全てうまくいっていたわけではないのでしょうが、年長者が年下の者を助けてやるという習慣はあり、見ず知らずの間でもなんとなく仲間意識があり、田舎ならではの素敵な雰囲気がこの町にはありました。

雪に閉ざされた暗い生活をイメージを持つ方もいるかもしれませんが、雪国の生活も結構楽しみが多く、特に自然の中で遊べる小さな子どもにとって最高の環境でした。

また、昨今では北海道と言えばグルメの宝庫として脚光を浴びていますが、その当時は冷凍技術や流通のシステムがまだ進歩していませんでしたので、この町では、特に海産物の種類や量が少なく鮮度も悪かったので魚介類は余りおいしかったという記憶がありません。(もっともこれは上京して、東京の魚がおいしかったという比較ができての感想ですが)

但し、きっと安かったからだと思いますが、母親がおやつの時間に「毛ガニ」をたくさん茹でて、腹いっぱい食べさせてくれた素晴らしい記憶があります。とにかくあれはおいしかった。今でも忘れられません。

今ではどうかわかりませんが、すき焼きといえば豚でした。その当時牛肉は殆どなく、父親が東京出張のお土産として牛肉を買ってきて食べさせてくれたのをよく覚えています。特に脂身のところが、豚肉とちがって、美味しかったという記憶があります。

私は父が東京に転勤する小学6年生の秋までここで育ちました。
このころはまだ石炭産業はかろうじて健在でしたが、炭鉱を見限って離職する人もかなりあったと記憶しています。自分の同級生にも引っ越して行った子が何人かいました。


        
             


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