大学の講義の意義とは

去年だったかな。

教職の必修単位で学習指導案に沿った授業設計や教材開発、評価方法などを学ぶ講義があった。

その授業の期末課題が

大学の講義を『主体的・対話的で深い学び』に改善するにはどうすれば良いのか、提案しなさい」

というグループワークをして期末レポートとしてまとめる、という課題だった。私はこの時

そもそも大学って自分で学びを深めていく場ではないのか?

と思った。

一概に講義といっても、教授の専門分野が100分で語り切れるわけではないし、そもそも専門でない部分を教えることもある。したがって大学の講義の多くは教授の専門分野の一部を”紹介している”のに過ぎない内容だと思う。

なので、学生にとって講義は”情報収集の場”、”ペースメーカー”みたいな役割があるような気がする。

じゃあどこで学びを深めるのかというと、暇な時間に講義で得た情報を見返し興味のある分野を見つけて調べていくことで、学びを深めていくものだと私は思っていた。

これは見方によっては個人レベルでの”主体的・対話的で深い学び”になるのかな。

ただ、”対話的な学び”になってるかは疑問だが、講義そのものを「主体的・対話的で深い学び」に改善するのは無理があるだろう。

そもそも扱っている内容が高度なのだから理解→問題の発見のプロセスに時間がかかるのは自明なので、中学・高校のように知識を入れて即グループワークという流れでやっても、質の低い議論になるか、ただのおしゃべりタイムになるだけのような気がする。

なのでレポートには

”大学の講義を主体的・対話的で深い学びのあるものにするのは無理だ!”

という考察を書いた。

だけど地味に評価が高かったw




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