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まあね。勘違いして人を咎めることはあるかもしれないけども。(笑)

この冬期講習真っただ中の日々。
昨年の今ごろ、母は圧迫骨折を起こして入院。
年末に入院した後、年明けにももう一度入院していた。
退院してからも、

痛い痛い。

と繰り返すので、あまりに言うので、それも入院中からだったので、これは仕方のないものだと思っていたけれど、病院に行ってみると再度圧迫骨折を起こしていたのだった。

これは先生が最初の入院の時に、痛いと訴えられても、絶対に状況的にわかるはずがないなと思った。むしろその時は、先生に、

いえ、あまりにも入院中に痛い痛いと母が言っていたことをお詫びに来たつもりでした。

と話すと、先生は、

状況が変わりましたからね!

とおっしゃって、また入院して手術を受けることになった。
冬期講習明けで、少しは眠れるかな?と思ったときに、また母のせん妄対策に私は泊まり込むことになった。

前回、絶対に大丈夫だと思っていたのに、手術したその夜、病院から電話が掛かって来て、

せん妄がひどいので、来てもらえますか?

とのことで、初めてせん妄がどんなものかを知った。
それまでは、ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』の中で読んだのと、高校時代の同級生にその道の人がいて、あれこれ書いておられるのを読んでいて、

そんなことがあるのか・・・。

と知っていただけであった。でも、話が通じたことから、私は医療関係者かと看護師さんに疑われた。それはないな、可能性もないなと笑っていた。

母のせん妄はひどかった。なんでも北朝鮮の人が来て、母は拉致されようとしていたらしい。
もう一晩中看護師さんのお手を煩わせた。

そのことがあって、2度目の入院では、厳重に付き添わなければならなくなった。

2度目は何にもなかった。

母はとんでもなく頭の回る人である。不審なことがあると、私にぶつける。
腎臓が悪いからと塩分制限されたお食事が気に入らなくて、そんなこと内科の先生から聞いていないからと、

あんた、なんか病院に言うたん?

と疑われた。きっと心配しがちな私たちに言わないで先生のご配慮で、ちょっと塩分を控えめにするよう、整形外科に伝えてくださったのだと思う。

それから痛い痛いコール。
これほど言われたら、誰だって、どうすることもできないだろうな、という言い方をしていた。
訴えればいいというものでもない。伝え方もあろう。

その話を冬期講習から帰った後、夜、電話でずっと聞いていた。
それでも入院してくれていたので、まあ助かった。

だから今年は冬期講習の間はショートステイをしてもらおうと決めていた。
私がどうにかならないかと心配だったのである。いえ、正直に言うと私がおかしくなって、生徒の指導に十全に向かうことができなかったら?と懸念したのである。

ところが、母が泊るところになる病院をチラッと見に行って、ああ、これは預けたくないなと思ったのである。
母より重たい状態の方々がたくさんいらした。
母の性格だときっと自分のことを考えて情けなくなり落ち込んでしまうだろう。割と勝気なところもあるし。
それにいまだに私の仕事を手伝いたいと思っているのも知っている。
昔商社に勤めて、バリバリ働いていた頃が一番楽しかったらしい。

先日も、

もしなんでもできるとしたら、例えば海外旅行でも誰でも助けてもらえるとしたら、今何が一番したい?

とまるで昔叔父が、私を幼稚園まで迎えに来てくれて、

さあ、今日はお前はどこに行きたい?プール?それとも万博?

と聞いてくれて、

私が、

万博!

と答えたら、そこにいる家族と親戚みんなで出掛けたときみたいに、私も母に聞いてみた。

そしたら、母は、

ホンマに何でもできるんやったら・・・、やっぱり仕事がしたい。お金なんていいから、仕事して誰かの役に立ちたい。

と幾分遠慮しながら答えた。

そうなんだな。だから、今横で、結構自分の好き勝手に、忙しいの、睡眠時間が足りないの、○○が~と言って・・・、などとぶつぶつ言っていようが、私のことを羨ましがってくれているのがわかる。申し訳ないけれど、私にも社会的要請というものがある。

だから小さいことでいいから、母にも参画してもらおうとは思っている。

ショートステイに行く代わりに、私が帰ってからどこかにお買い物に行くとか、仕事の合間にどこかに連れていくとかお食事しに行くとか、あれこれ工夫するようにした。毎日ほんのちょっとの時間外に連れ出すだけでも楽しそうだった。

冬期講習が始まる前には中尾清月堂さんに大阪の知人に送るお菓子を見に行き、金沢の棒ほうじ茶をいただき、私たちの分のお菓子も買ってきた。そうそうその前に、雪かきグッズを揃えるためにワークマンにも言った。店員さんもお客さんも母には優しくしてくださった。
それからダイソーにもよく行った。
冬期講習が始まってからは、授業が終わった後、近くの大きなイオンのショッピングモールに行って、安くなったお刺身などを見つけては夜ちょっとお酒を飲んでみたりした。せいぜい杏露酒程度だけど。私がお酒に強くないから。

それから、24時間営業の、小さい方のイオンに行ってみたりもした。
お刺身のさくが3種類入ったのが7割引きで売られていた。
寒ブリとサーモンとマグロだった。
安くて新鮮で、ササッと切って、ちょっといいお皿に盛りつけたら母は喜んだ。私が選んだお皿だった。そのお皿が大好きらしい。
思えば札幌時代はいいお皿はいただきもの、自分たちで買うのは家族用のおしゃれではあるけれど、軽い物だった。
このお皿は、私がデパートで選んで買ってきたものだった。これも親孝行になった。良かった!

それから先日は朝、モーニングということで星乃珈琲に行った。
ダイエット中の私はお刺身やステーキならお付き合いできても、どのメニューを見てもパンかパンケーキが付いて来る。これは困った!と思っていた。
ソーセージか卵とサラダにしたかったが不可能であることを悟り、お節料理やお持ち抜きお雑煮ばかり食べていたので、思い切って、

毒を食らわば皿まで・・・。

ということで、朝カレーを頼んだ。
家では朝からカレーは食べない。でもここ最近カレーを食べていなくて、カレー大好きな私は、量的にもちょうどよかった。ついでに母の、

これ食べてくれる?

があったので、ちょっと多めに食べさせられたけど。

母は、結構記憶力がいい。
それは生前父も言っていた。全然ぼんやりしていない。
それに気が利く。
父の入院中も、看護師さんに驚かれたらしい。

普通、これだけのことちゃんとわかって予備の物まで持ってくる人ほかにいてませんよ。

と言われたらしい。
その分余裕なく質問するので、むしろその点おおらかめ?で全部をトータルで辻褄合わせあればいい私としてはときどき息が詰まりそうになってみたりする。(笑)
とはいえ母の言っていることは概ね、いえ全般的に正しい。
素晴らしい。

私は結構母に似ているので、仕事をしていると、気付きすぎる自分に嫌になるときがあった。周りの先輩が誰も気づいていないことをしたり言ったりするとき、それこそ、

可愛げないやつ・・・。

と思われそうでちょっと嫌だった。(笑)

そんな母と話していると、大抵自分の記憶や思いをものすごく信じているなと思わされる。私など自分の勘違いかな?と思ってみたり、自分が悪かった点はないのだろうか?などと考える。
嫌な思いをしても、

私もそういうことしてないかな・・・?

と思ってみたりするし、相手はどういうつもりなんだろう?と一瞬は考えてみたりする。

先日もあった。
母が大阪から西宮に移ってからしばらくお世話になっていた大阪の方から、同じことをしてくれる場所がそちらにもないか?とお訊ねになったらしい。
私も勝手知ったるところの人なので、近くにあるほうが利益を享受できると思ったのではないか?と判断した。利益を享受できるって!?(笑)
母は、西宮に移ったときもこちらでいいよ、と言ってくださったのに・・・、と毎日気にしている様子。送っていただくものについても送料も一緒に・・・、という母に対して、

送料なんて、普通の郵便で送るからよろしいですよ・・・。

と優しくおっしゃるのを私も聞いていたし、昨年はお礼にこちらから送った物に対しても喜んでくださっていたし、たまたまお嬢さんが富良野に嫁いでおられるそうで、私も札幌にいたときにはよく遊びに行っていたので、そんな話で盛り上がっていたのも知っている。

そんなこと、母の言うように面倒がってそちらで・・・、などとおっしゃるだろうか?以前優しくお世話してくださっていた方がそんなこと言うかしらん?

と思ってはいたが、どうも母は引っ掛かっている様子だったので、とりあえず忙しい時期にお菓子を送りに連れて行った。
その晩は引っ越してきたころと同様、ぐっすり眠っているようだったので、そのことを言うと、

お菓子送れたから、私安心したんかなあ・・・。

とのことだった。
でも、何だか気にしている。
もう一つのお菓子を送るところの住所を聞いたのに送ってくれていないとかなんとか、もう朝方になるまで話を聞いていた。次の日、とうとうそこをやめるということで電話をしているところに私が2階から下りて行ったので、母に電話を替わって、母の気持ちを話した。
私のかつての職場ともちょっと関わるところだったし、私の教えていた学校の卒業生でもあったから率直に話した。

とんでもなく素直な人だった。年齢も息子と同じ。
おばちゃんが若者にあれこれ言っている図になった。

その若い彼は私の言ったことも母の言ったことも受け止めて、新年にはいのいち送って来るべき郵送物を特別に送ってくれていたし、地震があったと言っては心配して母に掛けてくれて、当日は混線していたとのことで、次の日にまた掛けて来てくれたらしい。

いい人やん。

と話していた。写真で見る限りとんでもないイケメンである。
ご両親もさぞや自慢のご子息であろう・・・。
いや話が逸れた。
別にブサメンでも可愛い息子は可愛い息子だし。(笑)
いや別に自分の息子のことではないけども・・・?

なんだかどうも文脈がおかしな話で、母はすっかり気をよくしている。
またまた私が要らんことを言って怖いおばちゃんになって終わりのような・・・。
だいたい昔っからいらんことを言わざるを得ない状況に陥らされていう羽目になる運命でもあるかのように。

まあいいわ。

と思っていたら、昨夜母からとんでもない打ち明け話を聞かされた。

母が思いつめていた相手の人からちゃんとメールが来ていて、お菓子のお礼もあって、それに可愛いクリスマスのオルゴールまでついた素敵なメッセージまで入っていたのだそうだ。
私がiphoneに替えることを勧めておきながら、何にも教えていないと主張し(いや何度教えたことだろう?)、結構なんでも不都合なことは私に起因するかのように訴えてきた。
人に話すと、それはお母さんはあなたに気を許しておられるのでしょうね、となったり、友人の一人は、

ちょっとねえ・・・。

と私を労わってくれたりもする。

内科の先生のそっとされたご判断を私のせいにしてみたり、北陸が寒いことに対しての対応もあれこれ言って見たりする。そのくせデイサービスの人とは楽しく話していたり、お茶をするお友達もいるし、私を介して今度お茶をしようと言っている方もいらっしゃる。積極的に会合にも出掛けようとしているけれど、まあ、不都合はみんな私のせいである。

その方への思いを話すときも、

iphoneに替えていいことなどない。

と言われた。
これも冬期講習中の話である。
それで結末はこれである。

いつも私は誰かの過失を咎める気にはなれない。
誰だって間違いはするし、勘違いもするからだ。
今回も私は母に何にも言わなかった。
却って素敵な若い人と出会えてよかったね!という話にしている。

ただ、随分失礼な話だったなあ、と思い、私はお詫びにお手紙を書くことにした。

打ち明けたときも申し訳ないと涙ぐんでいた母は今朝もちょっと涙ぐんでいた。
そして私はお詫びのお手紙を2通書くことになる。
自分のために手紙を書くことはもちろん、結構周りのためにも手紙を書いてきた。
相手に失礼のないように。親疎をどこに落ち着けるかを考える。
今回は、うち一人はかつて教壇に立っていた学校の卒業生。しかもちょうど親子ほどの年齢差である。
あまりに遠い距離間で書いては心が伝わりにくいだろう。あまりに近くても敬意が伝わらないだろう。

若い方の方は上司の方が自分の性格によく気付いておられて、素直に聞いてくださるので感謝していると言わしめたほどの人らしい。
若くても今回の一件で私は大いに敬意を持っているし、私も見習わなければ・・・、と思った。

誰にでも思い違いはある。すぐに咎めるのではなくて、事情や、自分の方の勘違いではないか?と振り返る余裕を持ちたい。
そもそも仕事がかっちりしていて、何事にも抜けのない母が人へのそういう意味での寛容さが加われば、素敵なことになるだろう。
母は善人だし、優しい人である。
でも自分がきっちりしている分(これはハッキリ自分で言う。)、人にもきっちりすることを求める。
今回の勘違いが人とのお付き合いの上で、というより娘の私としては私とのやり取りの中で、

私も悪かったかなあ・・・。

と思ってもらえるようになってくれたら嬉しい。
だって、こちらのがちょっと頑張って一生懸命に自分の主張をすると、

親に向かって偉そうに!

と言うのである。だから途中で議論を降りたいけれど、母とは降りれなくなる。ほかの人なら面倒くさいしさっさと降りてしまう。

私はそんなこと言えたためしがない。
いつでも出来損ないのママという立ち位置できた。
一生、

親に向かって・・・。

などと言えないだろう。
私は自分ができていないことを十分に認めている。(笑)

まあね。ちょっとは自分の勘違いもあることを認めることができたら楽しいだろう。
まあね。先生方に言わせると、お年を召して来たら、今までの性格が強化される、という話ではあろうけれど。

ああ、私がお年を召したら(笑)、どんなところが強化されるのだろうか?
母のせん妄の時の発言から、ああ、こういうときに人って現れるんだなあ・・・、と思わされたので、これからも少しずつでいいので、人生掛けて癖を少しでも減らした自分になれるよう精進していきたい。

だって、せん妄だとか認知症になったときに、

本質的に、こういう人やったん!?

と思われるのは恥ずかしいもん!

もしもサポートしていただけましたら、そのお金は文章を書いて人の役に立つための経験に使います。よろしくお願いいたします。この文章はサポートについて何も知らなかった私に、知らないうちにサポートしてくださった方のおかげで書いています。