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なかなかに教条主義なのだと気付いた私ー稲盛和夫『経営』を読んでいる。

稲盛和夫さんの『経営』を読んでいる。
結構大部で、病院の付き添いに行ったときの待合で読んでいるので、ちょっとずつになってはいるが、章によって独立した内容なので、それはそれで毎回感動がある。

思えばある試験勉強をしていたときに、通っていた本屋さんがあり、開業したての頃は、

私も経営者になるのだからきれいごとだけでは済まされないし、経営の本でも読まなくては・・・。

と何気に真面目に思っていた私は大好きな本屋さんで一番最初に目についた本を買って、一生懸命に読んだ。

稲盛和夫著『生き方』だった。
大学時代、京セラというのはベンチャー企業として知っていたけれど、まだまだ大企業の中では新参者としての新しい感じがあった。博覧会に行っても、稲盛さんの写真と共にセラミック製品が置いてあったがそれほど馴染みのあるものではなかった。

その程度の知っている会社だったのに、馴染みの本屋さんでたまたま手に取ったその本は私を魅了した。
今までの自分の生き方までも肯定されるような内容がその本の中に全部あった。
仕事とは何か?仕事をするうえでの哲学とは?
古臭いかもしれないけれど、私なりにやってきた仕事と通じるものがあった。

ほどなく『京セラフィロソフィ』も求め、それからはカフェに行っても、ラーメン屋さんに行っても、京セラフィロソフィが私のバイブルとなった。
何度も何度も読み、教室運営について何か考えたいときは、あるいはそうでなくても何かあったときには、必ず『京セラフィロソフィ』に戻った。

最近、noteでも書いてきたけれど、またまた考えることがあった。
受講料と生徒さんの関係について。
あまり実感があるものではなかったが(一部では教育業界はあまりコロナの影響を受けていないとも言われている。)、それでも何となく世の中のコロナの影響を感じ始めた頃、生徒さんの感じも変わって来たと思えて来たことがあった。
どうもお金にまつわって、つまりはもっと受講のコマを増やしたいけれど、親御さんのことを思ってそうもできない。だから先生に何とかお願いしたい、というような感じを受けていた。
子どもがお金のことをあれこれ言うことを私は禁じている。
もちろんコマ数の問題を何とかしてほしい気持ちはわかる。
そういうときに、仮に親御さんがご家庭の事情をお話になり、こちらもそれは正当な理由だと思いもし、親御さんも筋を通して、下げられない頭を下げて、お子さんのために頼んでおられる、というのなら、その痛みに免じて、方策を考えようとも思う。大義名分を考えて何とかする。
でも、生徒から言われたら、私は絶対に言うことを聞かない。
お金の世界に巻き込むものではないと思っているからである。
第一やり方が良くない。

かつて小さいときの子どもを通してのママ友が電話をして来られて、お子さんをお預けいただくことになった。
知り合いだからと値下げをしたりはしない。

入会金の件で、

取るんかいな!

とかつての親しさで言われたのはまだいいとして、そのうち、お子さんから、

ぼくねえ、週に○回来たいんですよー。だからおかんが交渉して来いって言うたんですよー。

と言ったので、これはまずいと思い、他の先生とも一緒にお母さまをお呼びし、生徒にお金が絡んだ話をさせるのはやめてほしいとお願いした。
ママ友だからそういうことが通ると思われては困るし、これでは教育を冒とくしている。
彼女は昔からそういう面のある人だった。
私がお手配した英会話の先生に、いきなり、

How much!

と言ったというのは結構話題になっていたから。

でも、私は教師と生徒という関係性を親同士が知り合いだということで崩しては指導ができないと思ったし、それで教室で言いたいことを言うようではなおさら良くない。また、お金の交渉などをさせてはいけない。


製造業の場合、京セラはそうなのだけれど、やはり値決めというのが一番大切だという話である。
教師としては、その単価が下がるというのは、それまでの知的財産を安く売るということになり、なんとも切ないものである。
それは物であっても同じであろうが、それでも目に見えないものを売るとき、それを値切られるというのはとんでもなく辛い。
そういうとき、私は指導をお断りするようにしている。
なんぼなんでも大学受験指導をあまりにも安価で提供するわけにはいかないのである。
それにそういうことは後々あまり良い結果ではなく現れてくるものである。
値切るようなことをして、いい結果になった人を私は知らない。

それはそうである。
自ら師として選んだ人の指導を値切るなんて、我が子に教えてくれる人の値を低いものと思わせるということだから、その指導が上手に入るわけはないのである。
人によっては、その教室を大したことがないと表現するのに必死で、そしてなんとか有利に指導を受けようとすることもある。
最近では、なんとか私を自己評価が低くなるようにもっていき、うまいこと言って上手に指導を受けていたという場合もあった。
おそらくはうまく行かないだろう。

思わず、

うちの教室で大学受験されるおつもりですか?

と親御さんに尋ねてしまった。
もちろんどこかに行ってくれるわけもない。

要するにやっていることが矛盾しているのである。

意外に小学校の先生というのもあった。
私が予備校の講師だったという話をしたら、

予備校の先生をそう評価しているわけではなくて・・・。自分が一年予備校に通ったけど、そう伸びなかったんで。

それはあなたが一生懸命に勉強しなかっただけで、第一その時の講師と私は別人である。

それに、そうそうレベルの高くない大学を卒業されたお兄様が今大学の先生をされているということで、その話ばかりをされる。
要するに、いい教育をできるだけ安価で受けたいのである。
そして、ことあるごとに、

今は講義ではなく、YouTubeの時代なんですよー!

とか言っている。
ならば自分の子どももYouTubeで何とかすればいい。

それに、思い切り条件よく受講した(そういう風にごり押しでもっていった。)、夏休み明けの古典文法のテストで、下から数えた方が早かった番数が学年で二番だったとかで、その小学校体育の教員の父親は、

ここまで伸ばすのは、さすがやな・・・。

と聞いていても、雰囲気的に何気に自分の方が偉いというような上から目線発言をしたと生徒から聞いた。

別にお金をいただいているのだから上から目線でもいいが、それでは上手に指導できるわけもないのをご存じなのだろうか?先生を評価するような発言を子どもの前でしてもいいのだろうか?決めてから言えば?状態である。
そんな親の子どもだから、

僕みたいなできない生徒はチェリーで、できる生徒は○○に行く、と・・・。

と言っている。
ごめんなさい。あなたと違って優秀な生徒もたくさんいるけど?

それに近くにできた塾について、

ああいうやり方もいいなあ・・・。

と父が言ってました。

と言うので、

だったら行けば?

と話した。もちろん行かない。
退塾を慫慂したが、そのときは、

ここほど安いところはほかにない。

と父親が言う。要するに評価しないけど、指導はされたい。
この矛盾、どうする?
最後は、うちの塾にはめずらしく、わずかなお金を踏み倒して、子どもはバイト代をもぎ取るように持って行って終わった。
近くの、それ以外は通らなかった、行きたくはなかっただろう偏差値の最も低い大学に通うことになり、成長の験も見えたので、最後にちょっとご協力という形でバイトをさせたら、それだけは持って行った。

あまりにバイト代を早くくれというので、親御さんにこれ以上どうすればいいのか聞いたら、

辞めさせたい。

との一点張り。親としては辞めさせたい、と。どこまでも上から目線。
子どもの話によると、その父親は学校でも帰ってはいけない時間に帰宅しているらしく、私には考えられない教師らしい。

それに今考えたら、三月のお月謝、払うの忘れていたし・・・。

だったら今から払われたらいいのだけれど、そういう話にはならない。

どこまでもがめつい親だった。もちろん収入の問題もあるのだろうけれど、それはこちらの問題ではないのである。
それに元教員としては、こういう教師に教わっている子どもたちのことまで考えてしまう。

それからもう一人、これは金融機関の人であった。
最初に起業するときにお世話になり、何の実績もない自分が融資されて、泣くほど嬉しかった会社の人である。
何にもわからずに行った税理士法人で、

そうですね。経営者としてのセンスを磨くのに、融資してもらってみるのもいいかもしれない・・・。

と言っていただき(正直、途中からは利益度外視の話をしてくださった。)、私はネットで調べて、これかな?と思ったところに飛び込んだ。
そしたら、もういいかな?と思っていた頃に、

いつお越しになります?

とあちらから電話してくださり、結構大変な面談の後、融資実行となり、その結果が教室に届いたときは、私は嬉しくて泣いた。
起業した頃の思い出としては、稲盛さんと同じくらいにいい思い出のある会社だった。

あるとき、そちらにちょっと経営相談的に話しに行った。
そしたら数日後、電話があり、何とお嬢さんを指導してほしいという話だった。
会ってみるととんでもなくできるようだった。

別にうちに来られなくても・・・。

と話した。遠方だったから。近くにいくらでも塾がある。
それに地元の小さな塾と掛け持ちと言うことで、こちらも配慮する羽目になる。
あまり条件の良くない指導が始まった。
要するに切るに切れない関係である。

そのうち継続して通われるようにもなり、おかしなお家だということもわかった。
だいたいその世界を知らないわけでもない私から見ると、年齢のわりに職責が良くない。それは別に問題ではないが、それなのに、車は外車。そうあの有名な外車を乗り回している。印象が良くないことこの上ない。
それに私などにも、お金を払う気はないのに、海外旅行に行く話や、留学の相談などをされる。そのうち勝手にコンサルをされ始めた。

ある時、夏期講習のための面談をしたときの父親の態度に私はキレた。

もう、○○さんとはお付き合いできない。

と電話で話した。まずはお母さまに。そしてお子さんに。
そしてとうとう父親に。最後は父親から電話が掛かって来た。

これは質の良くない話である。
推測の域を出ないが、出世コースから外れた父親が子どもに掛ける。別に子どもに掛けなくても、それを良しとすればいいだけである。人生誰しもうまく行くとも限らないし、その業界を知らない人間からしたら、別にどうってことない話である。自分のメンツから、子どもの学歴が当然大事。周りの目もあるから海外旅行をし、外車を購入。そして留学をさせる。
何ならどうにかなったら融資の件もあるから、言外に、そのことも匂わす。

そのことがはっきりしたのは、娘さんから、

あの人転勤になったんだけど、親が言わなくていいって言うけど、先生が、何か用事があって、支店に行っていなかったときに困るかなあと思って・・・。

と言われて、ああ、そういうことね・・・。

とわかった。最後の電話で、そのことをしっかり言語化すると、

それはないです。そんなこと考えていたとしたら、大問題ですよー。

と言われたが、それを意識していたことはまるわかりではないか?
それに何より、うちの経営状態を知っていたから、まあ、これくらいはしてもいいだろう・・・、とでも思っていたのだろう。
私と同年代だから、あれこれ思いもおありだったみたいである。
後継者問題まで口に出しておられたから・・・。
間違っても、後継者が問題になるような大きな組織ではないけども。


などなど、社会では一応立場のある人でも、あれこれ裏ではいろいろされたりする。

稲盛さんも(まるで知り合いみたいな書き方をしてすみません。)、かつての悲しい出来事をあれこれ書いておられる。
値決めの問題や、値切られたこと。
研究結果を盗もうとされたこと。
それについての対応。思ったことなどたくさん出て来る。
大経営者である稲盛さんにはたくさんのエピソードや成功失敗の話がたくさん出て来る。

信頼関係が大事なはずの教育業界にいて、それもそう多くはない、あまり美しくはない出来事に、私はいちいち落ち込んでいる。
ときに稲盛さんに起こった話に、全く当事者ではなく、その場にはいなかったはずの自分でさえ、胸塞がるような話もある。

何が情けなかったかと言うと、私だから起こったことなのだろうか?ということだった。
世間にはもっとたくさんいろいろなことがあることくらい頭では知っている。
でも、それが信頼関係を紡いできたはずの、わりに近しいはずの生徒や親御さんから起こると私の胸は塞ぐ。
それもどこかで教条的に、こういうことはダメなのに・・・、と思っているということに気付いた。
決まりなどない。
人間と人間同士。
いい人もいればそうでない人もいるし、いい人も状況に寄ればそうでなくなることもあるだろう。
嫌な面を見たら、自分はそうなるまいと固く決意し、それを貫くことができるよう精進するだけである。

件のお二人も、私だってその立場になってみたら、もしかしたらそういう振る舞いが普通になってしまうのかもしれない。

相手を恨むより、理解したい。理解したうえで、咎めずに自分はできるだけそういうことをしないようにしたい。
ましてや生徒たちに良くないことをさせる隙を与えないようにしなければならないと思っている。

まだまだ『経営』には先がある。
どんな話が出て来るのだろうか?

そしてまだまだ私の経営は続く。
さてさてどんなおもしろいことが起こってきて、私はどう乗り越えていくのだろうか?
そしてそのことを通して、私はどんな風に成長させていただくのだろうか?

稲盛和夫さんを勝手に経営の師匠として、稲盛さんが技術屋と経営者を両立されたように、その何千万分もの小ささであるとはいえ、私も経営者と教師をいつもバランスを考えながら、両立していきたいと考えているのである。

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