見出し画像

タイプした原稿は紙に印刷するか


デジタルシフト vs プロトタイピング

 以前の職場はほぼペーパーレスになっていた。会議から契約書の文面チェックに至るまで、全てパソコンの画面上で行うということに5年以上慣れていた。

 しかし、その前のプロダクトデザイナー時代はプロトタイピングとして常に手作業があった。パソコン上で描いたものを出力してみたり、サンプルを作ってみるという作業が当たり前にあった。
 それらはいずれゴミになる。作ることは未来を創ることに繋がっていると否定はしないが、ゴミを作ることとも紙一重だと知った。プロダクトのほとんどは、イノベーションを起こしたり、博物館に入れられるような代物ではないのだ。消費者の手に渡る前に捨てられるモノの量といったら虚しさを覚えるほどだ。デザイナーとして何者かになれたわけではないにしても、環境意識は確実に高まった。それ以上に、どうせゴミを作るなら、自分が本当に意味があると信じることをするべきだと思った。

 エディターソフトで書いたらそのまま画面上で推敲まで行う人がいる一方、一度は出力しなくては落ち着かない、という人がいる。私自身も後者の意見に影響されて、推敲の過程で書いた物を出力した。
 年代のせいというわけではないはずだ。経済学者の野口悠紀雄氏は、1940年生まれだが、推敲は画面上で済ませると著書で述べられていた。

 野口氏の著作はとても読みやすい。
 印刷するしないが文の完成度とは全く関係ないのは明らかだ。単に向き不向き、あるいは頭脳とか経験の成せるわざかもしれない。

紙に印刷することでわかること

 私は謙虚に二稿、三稿、四稿で印刷して推敲した。
 創作第六の月では第二稿が完成した。第二稿は単に文字チェックというわけではなく、ノートにしたためていた文字をWordに書き写しながら修正・補足していくという作業だ。一ヶ月で3章〜5章、20万文字ほどをまとめ上げたというのはなかなか凄まじい。1~2章までの内容と付け合わせして、表現の矛盾がないかも確かめなければならない。この期間はよく毛が抜けた。

 35万文字の分量とは、A4片面印刷で300ページちょっと。全ページの厚さが4cmほどだ。仮に単行本になって両面印刷になったとしても、A5ほどの大きさならそれくらいの厚さになるのだろう。

 一度出力してみて量を体感してみるのは重要だったかもしれない。

 自分の持っている分厚めな本と比べて、正直「そんな大した分量じゃない」と感じた。印刷後の量で文の冗長さを測れるかどうかなんてわからないが、思ってたよりコンパクトに語り尽くせたじゃないか、とか思ったりした。やり方が正しいかどうかはわからないが、サンプルを作成したことで自分の中では手応えがさらに確かなものになった。

買ったのはモノクロプリンター

 ペーパーレス主義だったので、自分のプリンターも当然持っていなかった。1〜2章の10万文字程度が仕上がるまではせっせとコンビニでプリントをしていた。A3用紙にA4二ページ分をプリントしてコストを半分にするというせこい手を使っていたが、当然のことページ数が膨らむほどに限界を感じて、無職の身銭を切ってモノクロプリンターを買った。(アフィリエイト記事っぽくなったが、アフィリエイトリンクは貼ってないので安心してお踏みください)

 用紙は環境意識を発揮して再生紙にした。インクジェットとの相性がどうの、とか書いてあったが、全く問題なかった。通常のコピー用紙とくらべて質感がしんなりしていて白過ぎないのも気に入った。

 製本はパンチで穴を開けてペーパーファスナーを利用した。バインダーなどで綴じると、サイズが一回り大きくなってしまうのがいやなのだ。


 2023年は12月最後の週に書き上がった第二稿を全て出力するというところで幕を閉じた。年越し準備を利用して原稿を寝かせることになった。

おまけ。noteの第一稿はどのように書いているか

 noteの原稿も実は直打ちではなく、ビートシート(ロバート・マッキー氏が教示するストーリーを組み立てるためのカード)方式で文節ごとに書き出してから、投稿画面に打ち込んでいる。

 今日の投稿だと以下のようになる。パソコン画面に向き合いすぎると体力の消耗が激しいので、ちょっとでも手作業の余地を作りたくてそうしている。

次回は、文脈とはずれるが、物語ではなぜ主人公を成長させなければいけないのか、必ずしも心とか身体的成長じゃなくてもいいのではないかと考察したことを書きたいと思う。

お読みいただきありがとうございました。


 何者でもないアラフォー女性が、35万文字の物語を完成させるためにやった全努力をマガジンにまとめています。少しでも面白いと思っていただけたら、スキ&フォローを頂けますと嬉しいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?