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天照大神の誕生と伊勢神宮の成立

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天照大神はいつ頃、どのように誕生したのか。その天照大神が祀られる伊勢神宮(皇大神宮)の成立はいつ頃なのか。「古代史構想学(実践編6)」で整理した専門家の論考をもとに熟考した末の見… もっと読む
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記事一覧

15.天照大神と伊勢神宮

持統天皇は「天照大神」という名をどこから取ってきたのでしょうか。敏達天皇の時に大和に日祀…

14.天照大神の誕生

「天照大神」は持統天皇をモデルに創作されたという説があり、私は基本的に賛成する立場です。…

13.高皇産霊尊と日神

ここまでの検討において、皇祖神が祀られる伊勢神宮が成立した時期が629年から645年の間であり…

12.ヒルメは”日の妻”か

今回からいよいよ天照大神に迫っていきます。「アマテラス」は、『古事記』においては一貫して…

11.皇祖神たる高皇産霊尊

ここまで私なりに設定した論点で伊勢神宮成立の経緯を見てきましたが、整理すると次のようにな…

10.神郡の設置

ヤマト王権は7世紀前半に皇祖神高皇産霊尊を祀る祭祀場を現在の内宮付近に設けました。そして…

9.度会神域の移転

5世紀以降、伊勢の磯部の首長である度会氏が現在の内宮の荒祭宮あたりで祖先神であり太陽神である天日別命を祀っていたこと、伊勢の地はヤマト王権にとって東国進出の足がかりの地であり、太陽信仰の聖地と認識されていたこと、その結果、太陽神を祀る度会氏を配下におき、御食つ国として伊勢を重要な支配地域としたこと、その伊勢の太陽神を伊勢大神と称して大和で祀り、6世紀後半には日祀部を置いて祭祀を強化したこと、などを順に確認してきました。そろそろこのあたりで伊勢神宮(ヤマト王権によって皇祖神が祀

8.ヤマト王権の伊勢進出

景行天皇のとき、第二皇子である日本武尊は九州の熊襲平定に続いて東国討伐に派遣されます。途…

7.天皇家の太陽信仰

5世紀以降の伊勢で度会氏が祖先神を祀る太陽信仰を行っていたことは前稿で見た通りですが、そ…

6.度会氏の太陽信仰

度会氏は現在の内宮の荒祭宮の地に天日別命を祀る祭場を定めました。この場所は志摩半島の山間…

5.伊勢大神の正体

伊勢大神とは前稿、前々稿で示した通り、伊勢の地で度会氏によって祀られていた氏の祖先神であ…

4.斎王と伊勢大神

前稿では伊勢大神を考えましたが、今回は斎王派遣記事から伊勢神宮を考えてみます。あらためて…

3.伊勢大神とアマテラス

伊勢神宮や天照大神に関する様々な論考にあたっていると、記紀に登場する「伊勢大神」が天照大…

2.日本書紀の天照大神

『日本書紀』では天照大神が様々な呼称で記されます。『古事記』では一貫して「天照大御神」と記される一方、『日本書紀』においては49カ所に登場する「天照大神」のほか、「大日孁尊」3カ所、「大日孁貴」2カ所、「天照大日孁尊」1カ所、「日神」33カ所という具合です。(これとは別に垂仁紀において天照大神の意味で「大神」が2カ所に出てきます。) 天照大神は神代巻第5段で初めて登場します。第5段本文には、伊弉諾尊・伊弉冉尊による国生み、神生みのあと「既而伊弉諾尊・伊弉冉尊、共議曰、吾已