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攻撃された時にすべきこと

こんにちは。Hinaです。
このnoteを読んでくださる人の中には、社会福祉士や保育士など対人援助職の方が多いと思います。
また、そうでなくても共感性が高かったり、人間関係について繊細に感じ取りやすい人もいるかもしれません。

皆様の中で、人から向けられた攻撃的な言葉のエネルギーに圧倒されてしまった経験がある方はいませんか?

私は社会福祉士としての仕事中や日常の中でそのような場面に出会った時、かなりの体力を消耗します。
時には泣けてしまったり、数日眠れなくなるほど引きずることもあります。
その度に「この仕事向いてないのかな」等と弱気な気持ちになるのですが、今日は思い切ってその感覚を掘り下げてみようと思います。

苦手な事象に対する反応の傾向を掘り下げて、乗りこなせるようになりたいなと思ったのです。

自分に向けられた攻撃との向き合い方を考える。
今日はそんなテーマです。

◇ある日の出来事

私はここ数年の間、ある方の家へ定期的に遊びに行っていました。
その方の家には可愛いワンちゃんがいて、週末の数時間はいつものんびりTVを観たりワンちゃんと遊んだり、心穏やかな時間を過ごさせてもらっていました。

しかし先日伺った時、その方ではなくその同居の息子さんが出て来られました。

「今日は留守なんだなぁ」なんて呑気に退散しようとしていたら、その息子さんから一言。

「おたくさぁ、普通アポ無しで来て何時間も居座る?そんなに犬が好きなら自分で犬飼えば?うちドッグカフェじゃ無いんだわ」と。

想像もしていなかった言葉とその剣幕に、思わず目が点になってしまいました。

しばらくそういった内容の話や、何か鬱憤が溜まっていたのかそれ以外にもよく分からない関係のない話も含め、その剣幕のまま続けられました。
数十分の間言い返す間もなく、話が終わるまで聞くに徹する他ありませんでした。

他の方を訪ねているとは言え、息子さんにとっては自分の家。
定期的に赤の他人が家の中に入ってくるということに対して、きっと今までずっと不快に思っていたんだろうなぁと思いながら話を聞いていました。

◇言葉が"刺さる"

久しぶりに人からまっすぐ攻撃的な言葉をぶつけられたその時、かつて攻撃された時の記憶がフラッシュバックしてきました。

そしていつも私は、相手からの攻撃的な言動に対して真っ直ぐに反応し、真摯に落ち込んできたことを思い出しました。

理不尽な攻撃や、明らかに自分に関係のないところで発生した出来事についての攻撃については悩みません。
言いがかりをつけられたり、クライエントの精神状態が元々良くない時の強い言動等は平気なのです。

しかし私が苦手なのは、私の言動に対して明確に不快感を感じている人から受けた攻撃です。

私の言動が発端になっていると思うと、その言動をされた時の相手のシチュエーションや表情、頭の中までリアルに想像してしまうのです。

例えば今回だと、息子さんから攻撃的な発言を受けている間からその後の数日間、私がお邪魔してる間や帰った後の息子さんの表情や心の中を、鮮明に何度も思い起こしてしまうのです。

先月訪ねた時は息子さんの車があったな…ということは「早く帰れよ」「また来たのかよ」って思っていたのかな…この前行った時は…
など、詳細にその人の気持ちまで考えてしまいます。

すると、一度言われただけの言葉が自分の中で数百回リピート再生されるのです。
これが私のメンタルを大きく乱します。

また、利用者支援の場においてもそういった傾向にあります。

障害特性上、職員に依存しやすいクライエントから依存されたことがありました。
元々話を聞いてもらう場として利用していたそのクライエントは、私に対して「話を聞いて欲しい」という気持ちが日毎に強まってしまいました。

毎日毎日1時間以上マンツーマンで対話を求めてくるようになったのです。

「こんな辛い事があったんだ!なんとかしてくださいよ!なんでなんとかしてくれはいんですか!」という訴えを、まっすぐに私に向けて発していました。

障害特性上、そしてフロアの職員が私しかいないことで、必然的に私に依存してしまったのだと言うことを頭で理解しつつ
私の対応が悪くてクライエントをこうさせているのかもしれないと悩みました。
そしてある日、辛さからフロアに出られなくなってしまいました。
(今はもう解決しています)

その時もまた、そのクライエントの言動が頭の中で何度も何度も再生されました。

◇アンタッチャブルな部分


私はnoteでの発信も含め、普段から頻繁に内省しています。
そして”何か起きた時、変えられるのは自分の言動だけである”とも思っています。
相手に変化を求めるのは勝手で、難しいことであると理解しているからです。

そこから”自分の言動が物事を決定づける最大の要素である”と思っている節があるのだと思います。

しかし実際には、私一人の言動で物事は左右されません。
私の発言の向こう側には、受け取る人がいます。
受け取る人の性格やその時の精神状況、さらには私個人とは全く関係なくその人に起きた直近の出来事までもが影響します。

私は、自分の言動に対する相手からの反応をまるっと全て内省していました。
しかし大切なのは、自分は何を思ってその言動を取り、相手はその部分に対してどう思っていたのか?という点だけかもしれません。

相手がこういう人だから、こうすれば喜ぶと思ってやった。
でも実際には相手が求めているのはこれじゃなくてアレだった。
では次はこうしよう。

これが建設的な内省です。
何のためにやったこと、そしてその部分に対してどう反応があったのか。
自分の言動が全体として好転したのか否かは置いておいて、自分の言動が及ぼした部分だけについて考えたら良かったのだと思いました。

もしかしたら、攻撃されている部分は、自分の言動とは全く関係のないところにあるのかもしれません。

冒頭の件で言えば、家を訪ねた時、その方は嬉しそうにして下さったり、手土産を持っていくと喜んで家にあげて下さる等といった反応が返ってきていました。

雑談を楽しむことが「来てくれてありがとね」と言うその方にとって”嬉しいこと”になっていると思っていました。

(もしかしたら本音ではその方も負担に思っていたのかもしれませんが、そこは分かりません。)

しかし結果としてその息子さんが不快な思いをしており、その反応に私はショックを受けました。
しかしそれは、私がその方に対してしていたことについて、その方とはまた別の人から受けた反応です。

そこをイコールで結び、私の言動=人を不快にしていたと必要以上に落ち込む必要はなかったのです。
内省する時は、自分の言動の中で、その事象に対して影響し得る部分はどこか?とポイントを棲み分けて行うことで自分を守れるな、と思いました。

最近、クライエントや日常の中で”相手から思わぬ反応を受け取る”機会が重なっていました。
その度に自分の言動を振り返り、不要な脳内再生までして自分の首を絞めるような内省ばかりしていました。

事象には自分の範疇外の要素があること。
自分が振り返るべき点は限定的であること。
それ以外の点は背負わなくていいこと。

感情を論理的に解決することの是非はわかりませんが、書いていて少し楽になってきました。
いつもお話を聞いてくださり(読んでくださり)ありがとうございます。

少し長くなりました。
では、また🌻


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