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0.道端にて (1)

 この国の冬は長い。
 一年のうち、草花が大地を彩り、柔らかな風が人々に温もりを運ぶ春はほんの二月ほどだ。人々はその間に、いずれ来る長い極寒の冬に備えるのである。春が終われば、また冬が来る。冬は大地を雪で染め、獣を地中深くの穴倉へと追い込み、鳥から賑やかな囀りを奪った。人々は集落の中でひっそりと、魔物か何かを恐れるように、息を殺して冬を耐え忍ぶのであった。
 だから、この猛吹雪が吹き荒ぶ中を進むあの兵士の列は異様な光景だった。異様であるからこそ彼は、不気味なほどに沈黙した兵士の列を見つけることができたのだが。
 吹雪は止むどころか勢いを増し、視界は悪くなっていく。彼は腰に佩いた剣に手を掛けたものの、その列へ斬り込むことができなかった。徐々に距離を詰めて、後は列の横腹へ斬り込むだけだったのだが、果たして兵士がこちらに気づいているのか、いないのか。すでに気づかれているのであれば、別の策を練らなければならない。
 迎え撃たれる分には問題ない。鎧を着こんでいるし、単身で戦うのだから多少の怪我も承知の上だった。躰を槍で貫かれたところで、それが何だというのだ。目的さえ果たせれば、それでよい。しかし、必要以上に傷つくのは叶わない。躰に異物が入り込み、臓物を掻き回す感触と激痛は、何度味わっても慣れないものだ。
 凍てついた手に息を吹きかけ、温める。しかし、その僅かな熱も寒風に奪われてしまう。風は強く、冷たい。大地に降り積もった雪は凍りつき、石のように固い。降り始めたばかりは柔らかな雪も、冷たい風と気温によって、こうなってしまうのだ。
 冬の終わり特有の、追い打ちを掛けるような寒さがまた、雪を一層固くさせてしまう。冬が明けるまでのひと月が、一年のうちで最も寒くなるのだ。
 吹雪の勢いがふいに弱まった。視界がいくらかよくなる。雪原の中を歩く長い影がよく見えた。それでも兵士の表情までは見えないのだが、彼は見逃さなかった。列の中に一人、大きな欠伸をした兵士が見えた。
 ――――好機。
 彼は剣に手を掛けたまま、固い雪を蹴った。兵士たちは誰もが俯き、足元を見ている。凍った雪に足を滑らせないように気を配っているのだろうが、それが仇となった。彼の靴底が雪を噛み、削る。その音さえ不気味な風音の中に攫われて、消えていく。
「敵襲ぅううぅぅう!」
 兵士の一人が叫んだ。その怒号に、他の兵士も弾かれたように顔を上げ、剣を抜いた。しかし、突然のことで動転しているらしい兵士たちは未だ彼を見つけることはできていなかった。
 彼はすでに一人の兵士を斬りつけていた。悲鳴が上がり、列が乱れた。目の前に現れた、漆黒の鎧に身を包んだ剣士に、兵士たちは怯み、剣を構えたまま動けずにいた。その間にも彼は二三の兵士を斬り伏せ、さらに次なる獲物へ喰らいついた。吹雪は勢いを取り戻し、黒い鎧に容赦なく吹き付けた。しかし、もう寒さは気にならない。
 全身の血肉が沸き、熱を上げていた。
 兵士がやっと動き出し、彼を取り囲み始めた。が、その動きも遅い。統率が取れないのか、はたまたいきなり現れた彼に恐れを為したのか。囲みはするものの、彼の一挙手一投足にどよめき、陣を崩している。その綻びにすかさず飛び込み、剣を振るえば容易く数人を斬り殺してしまう。剣を汚す血を振り払い、さらに兵士を斃していく。
「ああ、あ、あああああああああああっ!」
 また一人、兵士に剣を突き立てた時だった。言葉にすらなっていない声を上げながら、兵士の一人が槍を突き出した。殺した兵士から剣を抜いたその瞬間に、槍の先が鎧の合間に吸い込まれていった。
 皮を破り、異物が躰の深くに潜り込む感触がした。そして、熱さと痛みが彼を襲ったのだ。激痛に筋肉が縮まり、動きが止まる。その隙を逃すまいと、続いて五人の兵士が同じように槍を突き出した。死に物狂いに繰り出された槍はどれも出鱈目で、彼が痛みに苦悶する一瞬の隙が無ければ、当たることなどなかっただろう。
 槍先が腹を、膝を、首元を貫く。脇の下や鳩尾からも潜り込んだ。その一つは心臓を貫いただろうか。

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不死の男と火を吹く少女が織りなす、銀世界を舞台にしたファンタジーです。最後までお楽しみください。

不死の躰を持つ男、イベリスはある冬の日、奇妙な力を持つ少女クローバーと出会う。兵士の群れからクローバーを救い出したイベリスは、彼女にある条…

つれづれなるままに物語を綴っております。何か心に留まるものがありましたら、ご支援くださいまし。