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私の親は毒親?

父親がいわゆる毒親。と言うものでした。

母親から聞けば生まれた時からすでに…という話。
小学校高学年からかな?
自分の中でなんか私の家族っておかしくない??
という思いが芽生えはじめたような気がします。
それまでも幼いながらに感じた恐怖心は今も鮮明に覚えています。

毒親にはいろんなタイプがあり…
過保護・過干渉タイプ
放置・無関心タイプ
支配・管理タイプ
虐待タイプ
があるみたいですが…

私の場合は、すべてのタイプにあてはまるなぁと今になって思います。

当時、私を含め、以下のような5人家族でした。


長女(私)
長男
次男

実質上、父ですが…
父とは呼びたくないので、言葉は汚いですが、
「あいつ」と呼ばせてください。
大変申し訳ありません。

あいつは、家族皆に対して同じような行為を約25年間繰り返していました。
殴る、蹴る、ものを投げつけてくる。
罵声、アルコール依存、やりたいことに制限をかける等々。。

怒らすとなにをするかわからない…
肉体的にも精神的にも私たち家族を支配してました。
誰1人あいつの怖さに勝てず、逆らうことができず日々顔色を伺いながら、極力怒らせないようにしなければ…と生活してました。

中でも、1番の被害者は母でした。
母を守ってやらないと!という気持ちは常にありましたが、母をかばうと火に油を注ぐようなかたちになるのでそれはやめようと皆で決め、あいつがいない時に、大丈夫だよ!大丈夫!と励み合い、乗り越え、耐えていた日々です。
夜ご飯が気に入らないとチャブ台返しのように皿が散らかる。そんなのは日常茶飯事でした。

私が社会人になった時、
母に聞いてみたことがあります。
なんであいつはあんななのに、なんで離婚しなかったの?と。
そうしたら、「パートの私ではとても子どもたちを金銭面で育てる自信がなかったし、金銭がないから親権はあいつにってなったら怖かったし。隣におじいちゃんおばあちゃんがいるでしょ?そこに危害を加えられたら嫌だからなかなかできないのよ。」と言っていました。

そこから私は、早めに離婚させないと。みんなをこの家から出さないと言う考えが生まれ、少しずつ 貯金をスタートしました。金融機関での積立もしました。

積立がある程度貯まり満期になる頃。
2020年3月1日。
ことの発端が起こりました。
その日から…
誰にも予想ができなかった、
私たち4人による反撃の幕開けです。

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