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好きだった人に似てる高校生が電車で席を譲ってた

私には好きな人がいた。

こう書くと泣ける失恋話が始まりそうだけど、残念ながら、違います。泣ける話を期待した方はほんとにごめんなさい。私がただウワーとなってウワーとなったお話です。

前置きはこの辺にして、今日私は良い場面に遭遇した。

帰りの電車で私がドアの側に立っていると、端に座っていた高校生がベビーカー連れの親子にさっと席を譲っていた。一旦断られても文字通り腰を低くして、「いいんですいいんです!どうぞ!」と言って譲っていた。

3ヶ月に一回くらい遭遇する電車での席の譲り合いはそれだけで嬉しい気持ちになるけど、今日のその場面は特に私の心を動かした。まあ勿体ぶらないで早めに言うけど、それはその高校生がどこか好きだった人に似ていたからだ。

柔らかくも凛とした雰囲気をまとい、背が小さめだけどしっかりした体格で、焦茶色のフワッとした髪の毛をそのまま無造作に伸ばしつつもお母さんから「ちょっと邪魔なんじゃない?」って言われるか言われないかギリギリの長さには保たれてるような前髪。その高校生のことを目にしたのはほんの2秒とかのはずだけど、「あー似てる」と思った。そして私の胸はキュっと締めつけられた。

恋人がいたとは書かず好きな人がいたと書いている時点でお察しだと思うが、私の恋は叶わなかった。小学校以来はじめてした恋は私の手には大きすぎて、タイミングや一瞬の勇気を見過ごしてしまった(見ないふりをしていた?)から、いつの間にか手から転がり落ちていて、叶わなかった。

好きな人と物理的距離が離れて一年半程経つ。私は、好きな人のことを好きな気持ちを無くせたのか無くせてないのか、正直言ってわからない。完全に忘れて友達とアホみたいに笑って恋人羨ましいっ〜!と叫んだりする日もあれば、今日みたいに突然何かの拍子に思い出して気持ちが一年半前に飛んでいって後悔やら今後のほんのひとつまみの希望やらにひたすら思いを馳せる日もある。今日みたいな日に、私は自分の心を遠く感じる。いつもが腕を組んでるくらいの距離だとするなら、今日はソーシャルディスタンス、みたいな。

今日みたいな日に私はどうしたらいいのだろう。そもそも私は今日みたいな日を無くし、好きだった人を思うことを無くしたいのだろうか。自分の恥ずかしい言動や相手の今を考えると、心がキュッと締まって心臓に悪い気がするからやめたいような、でも完全に忘れてしまうのもなんだか寂しいような。

よく「時間が1番の薬」「新しい恋が傷を埋めてくれる」と言う。きっとそうなんだと思う。色んな人が色んな経験をしてこう言うのだから、きっとこれが正解なんだと思う。ただこれらは、その道中にいる人のつらさや葛藤には寄り添ってないと思った。それはわかってる、じゃあ今はどうすればいい? よく大人が言う「大人になったらわかるよ。」と一緒だ。そうだろうね、でも今は?

私は解決策を導いた先人に怒ってるわけでは全くなく、ただ私自身に戸惑ってるだけ。好きな人が好きだったTWICEのダヒョンのニヤッとした顔をインスタで見かけた、好きな人が可愛いと言ってくれた赤いフランネルシャツを引き出しに見つけた、好きな人に似た人が電車で席を譲ってるのを見かけた。そういう時にだけ、あの時の感情や思い出をジャブジャブ巻き込んだ洪水が脳内に溢れ、私の心を捻り上げて後悔でヒリヒリさせるあの時間に、ほんの一年半だけ、戸惑い続けているだけなのです。嫌いじゃないけど嫌いなあの時間と、私はあとどれほどの時間を過ごせば腕を組むことができるのだろう。

友達に言って「もう忘れなよ(笑)」と言われることも、好きだった人に思い切って連絡をとることも怖くてできない私は、先人の言う"時間"や"新しい恋"が訪れる時まで、ユーミンのHello,my friendを聞きながら、「ほんと、2度と会えなくても友達と呼ばせてほしいよ、トホホ」と思いながら、生きていくしかないんだろうな。失恋から新しい恋の道すがらあたふたしている人たち、一緒にトホホしましょう。









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