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市川市 馬頭観音群その1


市川市の「国分尼寺跡」のすぐ横に馬頭観音さまが集められておりました。


国分尼寺は何時頃建てられたのか現在のところはっきりしてません。
昭和8年、底に「尼寺」と墨書された土器が発見され、尼寺跡であることが判明したそうです。

元々お寺の跡地なので、現在は真っ平らな緑の芝生の公園です。平日の昼間は子供たちや親子が何組か遊んでる、のどかな広場です。

この近くは戦時中は、陸軍砲兵の東練兵場付近だったのではないかと予測しています。
軍の施設を建設するにあたり、松戸街道を軍用道路にしたり山を平地にする大規模な工事が行なわれました。

その時に移動してきた馬頭観音さま達ではないかと思います。

埋まってるの?割れちゃったの?
なんとも種類豊富な馬頭観音さま達です。

もともと、松戸街道と千葉街道が近くを通ってる事。そして、畑や水田が多かった事。
当時の馬が、荷物運びや水田、畑を耕す手助けになり、馬が人間の暮らしに寄り添ってくれていた。人も馬を大切にしていた。
数多くの馬頭観音さまを見ていると、馬は特殊な動物なのだと改めて思います。

ちょっと調査中ですが、馬頭観音群その2候補地として「中山法典の馬頭観音群」を予定してます。
が、最近歴史資料漁ったら

中山の馬頭観音さまは、戦時中船橋の軍で動物実験が行われた時の供養として建てられた説がありました。
…こ、れは…。
ここも陸軍病院あったんですよ。
現在位置には国府台病院。元陸軍病院です。
もう一つは現在は里見公園。ここは元陸軍病院分室。

うーん、薬の臨床試験はやってたかもしれませんね。引き続き調査していきます。

明治18年に建てられた馬頭観音さま
左側はかすれカスレで全部読めませんでした。

一際大きな馬頭観音さま。
台座にお花活やお水入れがあって立派です。

今回は憶測が多い記事になってしまいました。
馬頭観音さまは全国各地色んな所で見ることができるので、どういった由来でここに在るのか考えてみるのも楽しいですね。

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