ゆるやかな風のように

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    1994年 夏 中野駅前

「すいません、アンケートお願いします。すいません、アンケートお願いします。すいません、アンケートお願いします。お願いしまーす。
アンケートです。簡単なアンケート。。あの、すいません、あの、あのお、すいません、アンケートお願いします。すいません、すいません、すいませーん、アンケート、アンケートお願いします、簡単なんですよ、ほんとに、ほんとに、お願いします。すいません、すいません、すいません」
「はい」
「ありがとう、お兄さん、ありがとうございます。本当に簡単なアンケートなんだけど、協力してもらえますか? すいません、すいません、ほんとに簡単なんで、、、」

「いいですけど」

「じゃ、まずは年齢、聞いちゃおうかな、、、いいかな?」

「あの、18です、、、」


「へえ、 へえ、
すごいね、若いね、若者っていいなーって感じ」

「そうですか」

「君、それ質問?? ねえねえ、、それとも相槌かな、、、なんか素っ気ないねー、表情もかたいし、、そんなに緊張しなくてもいいよ」

「すいません」

「いやいや、怒ってるわけじゃないのよ、、めんごめんご、
決してあやしいものじゃないですないです、」

「はい、、あの、、、」

「それじゃ、インタビュー始めさせていただきますいい?

では、今はひとり暮らしですか?」

「はい、そうです」

「東京じゃないよね、」

「はい、そうです、もともと北海道にいました。」

「毎日、何やってるの? 」

「バイトとか、本読んだりとか、です」

「へえー、本なんか読むんだ、、、素晴らしいね、、、」

「ありがとございます」

「ありがとうございます、だって、、、なんか可愛いね、

それで、どうしてるの?? バイトで食べてるってこと?」

「まぁ、そうですね、、バイトで食べてるってことだと思います。。そうですね。。。」

「何か、目指してものがあるっていうことは素敵だね、、、すごくいいと思うよ、、、夢ってあるよね、、、」

「夢ですか、、、、、、、」

「ほら、いろいろあるじゃない、、、小説家と目指してるとか、、、俳優になりたいとか」

「そうですね、、、僕はドラムをやるので、ミュージシャンを目指しているんだと思います。。」

「だと思います、、って、、自分のことでしょう??

     あまり分からないんだね自分ことが、、、」

「そうですね、、あまり考えていません」

「でも素敵のことじゃない、、、ミュージシャンを目指しているのって、、、、全然恥ずかしいことじゃないよ、、、

「恥ずかしいと思っていません」

「でも、なんだか、もやもやと考えてるんだね、、、」

「そういわれたらそんな気はするんですけど、、、」

「夢って言うのはじゃあミュージシャンになることだよね」

「まぁそうですねミュージシャンというか僕ドラム、叩くんで、ドラマーということになると思います」

「そうかドラマーになるのが夢ってことだね、それって素晴らしいよ、、、、、、、

今から来ない?

そこに事務所があるんだけど

あのね

すごくすごくすばらしい素敵なビデオがあるの、

それを、みんなと一緒に見ない??」

「みんなって誰ですか?」

「みんなはみんなよ、仲間がいるのよ素敵な仲間が

そこでビデオを見るの、、、神様と夢の関係

人と行動と神様との関係

そのビデオを見たら人生のなぞがとけるわよ」

「ああ、、、宗教の人ですか?」

「え、何?

宗教 宗教って

宗教 宗教 宗教って


馬鹿にしてるんじゃないわよ、、、

みんな、そうやって言うんだよ

宗教宗教宗教って、

ばかにすんじゃないわよ

ばかにすんじゃねえよって言ってんだよ


あんたみたいな、クソ田舎の馬鹿がミュージシャンになんかなれるわけないだろ、、このくそが

このやろうてめえぶっ殺すぞこのやろう」

「おいどうした何かあったのか?」

「こいつがさぁ、宗教宗教って私たちのこと馬鹿にしてんのよ」

「このガキ、このクソ野郎、宗教宗教って馬鹿にしてんじゃねえぞ、このやろう」

「おい、どうしたんだよ? 何なんだよ、こいつ?」

「このガキが、宗教宗教って馬鹿にするのよ、」

「このくそガキが、、、馬鹿にしてんじゃねえぞ、、てめえ、このやろうこっちに来いよ、ほら、こっちに来いって、、」

「やめろよ、ほら、人がいっぱい居るじゃねえか、、こんなところでヤラカシたら、やばいぜ」

「だってこのガキが、宗教、宗教って馬鹿にするから悪いのよ」

「早くはじ連れてけよ、、ここは人がいすぎるよ、、」

「おい、何なんだて、てめえこのやろう、、てめえぶっ殺してやるからな、、てめえふざけんじゃねえぞ、、人のことを見て宗教宗教宗教って馬鹿にしてんじゃねえぞぶっ殺すぞぶっ殺すぞぶっ殺すぞ、てめえ、こら、おい、びびってんじゃねーか、こいつ震えてるぞ、、」

「こんな奴ぶっ殺してよ、早くぶっ殺しちゃいなよ」

「あー血、出た、気持ちわりい、、口から血が出ちまった、、気持ちわりいなぁ、、こいつの顔気持ち悪いなぁ、、ほんとに気持ち悪いなぁ、、早くぶっ殺すぜ、、、こんな奴、、、」

「おい、お前たち何やってるんだ、こんなところで、何やってるんだ、君だいじょぶか」

「だいじょぶです」

「口から血が出ているよ、、とにかく、近くの交番まで来いよ、、お前ら」

「何もやってねーって言ってんだろ、てめえ、」

「てめえ、じゃねー、早く来い、お前ら4人とも来い」


ゆるやかな風のように感じた。
山手線が、である。
「テツ、どうした、、、 顔のあざ」
モルがいらいらした表情で聞く。
「宗教の奴らにやられた」
「宗教の奴ら、、か、、」
モルは軽く笑う。
「アホだな、相変わらず、お前はアホだ、」
「知ってる、わらうなよ」
「アホなとこが好きだぜ」
新大久保の駅のホーム、向こう側にかげろうがおきている。
ねじ曲がった現実。
くそったれ

テナーサックスのケースをてにもって電車に乗り込むモル。
いつもイライラしている。
 いつも思う、、、電車の中の表情を消した人々。存在感を消した人々。息をひそめ、生き残ろうとするかすかなともしび、のような魂。もう、人には見えない、、風景にしか見えない。
「おい、邪魔なんだよ、その箱」
背広にネクタイの中年男がモルに言う。
「おっさん、ちょっと耳貸してよ」
こそこそとみみもとでささやくモル。
男は表情を変えて隣の車両へ行く。
「なんていったんだ?」
ふん、と鼻で笑う。
「どうせ、ぶっ殺すって言ったんだろ?」
「家族もろともってのも今日はつけた」

モルはいつもギラギラした目をしている。
ここ最近はすくなくなった目だ。
刺激がある。

スタジオに行く途中に、いつも寄るコンビニがある。

「おい、いつものやつだよ、わかんねえのかよ、
タバコだよ、タバコ、、いつも買いに来てんだからちゃんと憶えとけよ、このブス」
若い男だった。
店員は無表情だ。目の前に何もないかのような顔だ。
「おい、このブス、ブス、いつものっていってんだろ、このブス、ブス、ブス店員」
「なんでもいいけど、」
若い女性の店員が口をひらいた。
「早く何か言えよ、タコ」
男の顔色が変わった。
「おまえ、客に向かって、おまえ、この、おまえ」
「なんだよ、タコ?」
「店長だせよ、おまえなんかはなしにならねえんだよ、この小娘、、はやく責任者出せよ、おまえ、ぜったい後悔するからな、このブス、、後悔させてやるからな、ぜったいぜったい、ゆるさないからな」
「なにぶっこいてんだ、このタコ、、、店長は私だよ、腐った精子と腐った卵子でできたゴミ人間だな、、お前は」
「オーナーよべよ、経営者よべ、ぜったい責任とらせてやるからな」
「経営者もわたしだよ、ばか」
「本部にクレームいれるからな、絶対入れるからな」
男の目が充血してきた。
「勝手に入れろよ、ゴミ人間」
「じゃ、とにかくラークワンカートン」
「お前にはうんねえよ、バーカ、、はやくかえれよ、キチガイ」
「てめえ、絶対覚えとけよ、、このクソブスが、、、」

「おもしれえな」みていたモルが楽しそうに笑った。
「店員さん、助けないのか??」
「あんなブスはたすけねえし、、助けもいらねえな、、、」

テツとモルは、男のあとをつけた。

「面白そうだ、セッションまで時間もあるし、ひまつぶそうぜ」

「おい、ラークワンカートン持ってきてないって、、、どうなっちゃってんの??  」
「すいません、ほんと、すいません」

震えた足の若い男を、道端で待っていたのは3人組の男だった。
高校生だろうか、、リーダー的な男がひとり喋り続け、あとの二人は見ているだけだ。コンビニで叫んでいた男は、虐められているようだった。

「すいませんじゃ、ねえだろ、おまえが、ラークワンカートンもってこないってことはよ、、、
俺がたばこを吸えないってことだからな、お前の罪は重い」

「ほんとうに、すいません、すいません」
叫び男はなみだを流し始めた。

「おい、モル、こんなところで見てたらやばいぜ、はやくいこう」
「面白いもん見れただろ、、、まだ見てようや」
「あいつらと絡んだら、めんどくさいぜ」
「こないって、あいつらガキだぜ、、、それに文句言ってきたら」

テツにはわかる。モルがいわなくても

「ひさびさに人を殴れるしな」

3人組は執拗に叫び男を責め立てていた。リーダーの目は、快楽に酔いしれている。性的快楽。あのガキはセックスしてるんだよ。

「罰として、、、

来週は、ラークツーカートンな、、、」

「あの、コンビニのブスが売ってくれないんです」
「しらねえよ、ばかやろう、、」
リーダーのあしもとに、うなだれる、叫び男。
「ゆるしてください、もう、かねもないんです
ゆるしてください、、ゆるしてください、、、
もう、かねもないんです、かねもないんです」
「うるせえな、このゴミやろう」
リーダーは足で叫び男を突き放した。
そして、腹に蹴りを入れた。ゴボっ、と鈍い音が微かに聞こえる。
「これは罰だ、、お前は罪人なんだよ、判決は、有罪なんだよ、、、」
リーダーの目が潤んでいる。自分に酔いしれている、快感に満ちた表情。頬が紅潮してきた。
叫び男は、今度は泣き叫ぶ。
「ゆるしてください、、ゆるしてください、、おねがいします、おねがいします、おねがいします」
リーダーは叫び男の腹を、蹴る、蹴る、蹴る、、
「来週、同じ時間にここで待ってるからな、、ラークツーカートンぜったいもってこいよ、、、このクソ奴隷、、、あと、お前の妹も連れてこい、、絶対連れてこいよ、、、お前の目の前で、犯してやる、犯して犯して、犯しまくってやる、、、俺たち3人で犯しまくった後に、
殺してやる、殺してやる、ぶっ殺してやる。
お前の見ている前で、お前の妹を犯しまくって、ぶっ殺してやる、、、
お前はころさないでいてやる、、、お前は奴隷として生きろ
一生俺たちの奴隷だ
わかったな
わかったな
わかったな」


リーダーと二人の手下がテツとモルに気がついた。
何も言ってこなかった。
目をそらした。
モルはずっとニヤニヤしている。



   2


練習スタジオには冷房がない。
湿気と熱とタバコの匂い。
それぞれに楽器を持った若いミュージシャンが集まっていた。

ジャズという音楽は、即興演奏という様式が非常に重要である。アドリブとは、その場で作曲しながら同時に演奏することだ。即興力が、演奏能力そのものと言っていい。そこが「ジャズ」という音楽の特徴である。そのため、ジャズのミュージシャンは即興力を高めるために、「セッション」と呼ばれる、即興の合奏を集まってする。それは融和で平和な場所ではない。

戦場だ。

「モル、ひさしぶりだな、あいかわらずキチガイか??」

モルは何も言わない。テナーサックスを無言で組み立てている。

「おい、モル?? 話しかけてんだぞ、さっきから」

無反応

「テツ、、キズ、どうした??」
「宗教の奴らにやられた」
「ははは、今は宗教が一番ヒップだな」
「くそみたいなこというなよ」
「現代の最高の芸術は宗教だよ、、、教祖ってのは、本物のアーティストだな」

ピアニストのキズキはいつものようにいい気になって言う。
キズキは一ヶ月前にモルに殴られて前歯を折っている。しかし、怖気付かない。ただのバカだからだ。

テツはスティックをもってドラムセットの準備をする。練習スタジオに置いてあるドラムセットはロック用がほとんどだ。手入れもひどい。くさいし、きたない。

「じゃ、はじめるか」

無口のベーシスト、スズキがめずらしく口を開いた。

「何の曲やろうか???」

突然、なにもいわずにモルがサックスをふきはじめた。

おい、なんだよ??  打ち合わせもなしか、、、

全員が戸惑う中、モルがテーマのメロディらしきものを吹き始めている。
メンバーはモルの音に神経を集中する。
これは、、、
これは、おそらく、高速の「So What 」だ。ベースがとるべきテーマをサックスで吹いている。くずしすぎている、キーも、、、これはエーフラットドリアンだ、、、これで、「So What」をやれというのか、、、くるってる。
ピアニストのキズキの表情が変わった。やってやる。キズキの脳は高速回転している。やってやる、やってやる。

スズキが火の出るようなランニングベースをひきはじめる。顔は怒りに満ちている。キズキがいかにも、というモード和音をいやらしく奏でる。しかし、違った。ちがうんだ、、、このメロディー、、、おい、モル、、おまえなにやってんだ??? こ、これは「至上の愛」の第三楽章じゃないか、、、しかもエーフラットで、、、モ、モル、、お前、、、死ぬ気なのか、、、なかなかモルはアドリブをとらない、何度も何度も、至上の愛のテーマを繰り返し吹く。なにを考えてるんだ、、テツは右手でシンバルを叩き続けている。怒りに満ちたフォービート。ベースもドラムも怒っている。怒りのビートだ。しかし、モルはずっと同じメロディーを繰り返すつもりか、、、キズキも苛立っている。スズキはクールだ。ただ、線路の上を爆走するのみ。よく聴くと、モルの吹くメロディーは少しずつかわっている。フェイクをいれている。ここからもっていくのか、、それにしては何度も繰り返しすぎだ。「コルトレーンは、、、」モルが言っていたことを思い出す。。「コルトレーンは、愛だの、神だのって、めんどくせえことを考えていたが、あれはな、、、」あれは、、、なんだったろう、、、やっとモルはモードスケールのアドリブにむかっている。モルの顔は汗まみれだ。テツも体中に汗が吹き出る。「コルトレーンってやつのすべてはあの音色にあるんだ」ジョン コルトレーンはジャズサックスのイノベーターだった。彼の出現後は、たくさんの彼の物真似ミュージシャンが誕生した。しかし、初期にはへたくそ、といわれていた、音色も汚い、と言われていた。でも、彼の音楽はひとびとの心を打った。どうしてか???

「コルトレーンの音色ってのはよ」
モルはその時、酒臭い息でテツに言った。
「ただの悲鳴だ」

モルはもうすでに、音階も無視している、リズムすらないかもしれない、ただの叫びのようなサックスだ。もはや、フリージャズとなった、モルのサックス。

もう、やめろよ、
キズキが言う。

もはやこれは音楽なんかじゃない、
ピアノから手を離して、呆れた顔のキズキ。

プロの演奏じゃないよ、こんなの

なに?
プロの演奏?
くそったれだ。

スズキもベースの手を止める。
テツはやめなかった。シンバルレガートは、凶器だ。死に至らしめる武器だ。
モル、、、そんなに、つらいのか?モルの悲鳴が鳴り響く、、、
生きることが、そんなにくるいしのか?
なら、、と、テツは思った。
なら、俺がこの手でお前を殺してやる、息の根を止めてやる。

その時、テツの脳に嵐がおきた。

嵐、

いや、

これは風だ、

強い風を感じる。

なにもかもが止まった。

ここはどこだ?


見渡す限りの草原の中にテツはいた。
強い風が吹いている。空は厚い雲で覆われ、今にも雨が降りそうだ。
背の高い草むらの中から、一本の手が出ている。
それを静かに見つめる白い服の少女。

気がついた。

モルはキズキとスズキによって床に押さえつけられている。むりやりサックスのマウスピースを口から遠ざけられている。
テツは震えていた。
風の中にいた間の、記憶がなくなっている。

      


  3 


「おっぱいくらいさわらせてよ、、服の上からでいいからさ」
「ダメ、、ダーメだって、もう」
「ちょっとだけだからさ、服の上からだと、わかんないから大丈夫だよ」
「服の上からで、ちょっとだと、わかんないからダーメ」

居酒屋は毎晩人で溢れている。渋谷の夏の夜。
大学生らしき団体が、飲み会をしている。複数の男女が楽しそうに、お互いの体をすこしずつ触りながら談笑している。

「いっき、いってみますか、、、ぴろぴろのみでーーー」
「いってみよー、、いっき、いっき、いっき、、、カツトシ、、いってみよーーー」
「いっちゃうーーー??」
「いっき、いっき、いっき、いっき、いっき、いっき」
皆笑顔で楽しそうだ。

「なにがあったんだ今日」
「しるか、、、」眉間にシワをよせてモルが酎ハイを飲んでいる。「死ぬほどまずい酎ハイだな」
「俺、記憶が飛んだんだ」
「コルトレーンのときか??」
「そう」
「お前のレガートは、今日のが一番よかった」
テツもモルも険しい表情をしている。この安居酒屋の中では、あきらかに異分子だ。
「モル、、俺、記憶が飛んでるんだよ」

「おっぱい、さわりたいの??」
「うん、さわりたいさわりたい」
「えーーー、、、きもーーい」
「いこうよ、、ねねね、、いっちゃおーよー」
「どこいくのよ」
「天国天国」
「へたくそだったら、がっかりだかんね」
「だいじょうぶ、さきっちょだけだからさ、、、」
「えーー、さきっちょだけなら、いかなーーい」

「モル、、お前は何を見た??」
「しらねえよ、きょうみもねえよ」
タバコをもみ消しながら言うモル。目が血走っている。
「テツ、、、風を見たのか??」

帰りの階段で因縁をつけたのはモルのほうだった。

「かたぶつかって、そのままいくか、こら」
「たまたまかすっただけだろ、にいちゃん、カッカすんなよ」
「ちょっと話そうぜ」
「いそがしいんだよ、このコジキ、くせえなほんと、おまえ、、コジキだろ、それに忙しいんだよ、、おれこのあと、このことしけこむの」
ねー、と声をいっしょにする、男と女。

モル、またやりやがったな、

いつもだ

「話って何だよ」
「肩ぶつかって、あやまりもしないんでよ」
「だからいそがしいっていってんだろ」

突然男の顔面をモルは殴る。鈍い音。

「その女はお前の女か??」
「ち、ちがいます、、、あのみせで、ひろった女です」
おんなはめそめそと泣き出している。
「な、なんだったら、このおんなやりますか???、やるならあげますよ」
おんなはめそめそと泣いている。
「こんなブスはいらねえよ」
おんなは逃げ出した、警察を呼びに走っているのだろう。

「おい、モル、やめろよ、もういいだろ」
「うるせえな」こいつ
こいつ
こいつ
男は震えている。
「すいません」
モルは男の髪をつかんで顔を上に向けた。口元から血が出ている。
「俺がコジキだってよくわかったな」
うっ、、とおとこのうめきが聞こえた。。まさかだろ

モルはいつも飛び出しナイフを持っている。

やりやがった。。
ポタポタと血が足下に落ちる。

公園の水飲み場で、手についた血を洗うモル。

「やばいよ、、おまえ、、まじでやるなんて、、あんなこと」
「あんなことってなんだよ」

充血した目は意外にもぼんやりとうつろだ。

「モル、お前、、、、、、あのおとこ、、死んでるかもしれないぜ」

モルは濡れたままの手で内ポケットをまさぐりながら、テツを睨みつけた。

「なんだと??」

ポケットから出てきたのは、醤油入れに注射針のついた、通称「きんぎょ」だ。モルの身体中から湯気が出ている。中身は覚醒剤、、スピードだ。

「もし、あのおとこがまだ、生きてたら、、、」

金魚の気泡を抜くモル

「もし、まだ生きてたら、今からもどって、もう一度ナイフをつきさしてやる、、ぶっ殺してやる、、、息の根を止めてやる、、この俺が、あいつの息の根を止めてやる、、、

俺のあだ名はモルだ
モルモットのモルだ
俺は神の実験台だ」

モルは自分の腕に針を突き刺した。


  4

ちいさなバンを運転してきた社長。

「これな、黄色ナンバーなのにバンなんだよ」

モルに紹介された、便器屋の社長。
大のジャズファンで、若いミュージシャンに資金的な援助をしているそうだ。
今日は伝説のジャズマン「ベルソン藤井」のシークレットライブがあるらしく、社長のつてで会場に入れてもらい、紹介してくれると言う。市川の駅前で待ち合わせ。しばらくすると、その社長と思しき男が車を運転してやってきた。

「君がテツくんだね、、、モルくんからいろいろ聞いているよ、、、
北海道出身なんだって?」
「最近はジャズをやる若者が少なくなってきたから、貴重なんだよな、テツくんみたいな青年はね、、、」
「頑張ってくれよ、応援するからな」

60歳くらいだろうか、、スキンヘッドの気取らない男だった。
車に乗り込むと、二十代前半と思しき女性がワンピースをきて後部座席に乗っていた。

「彼女はしのぶちゃん、、、ジャズバイオリニストをめざしてるの、、、珍しいでしょ、、音大でてんだよな?」
「社長、、、出てるんじゃなくて、、、まだ通ってます」

かわいらしい顔立ちをしている、、しのぶ、、、ちゃん、、、

「あなたがテツくんね、よろしくね」
「よろしく、、、おねがいします」
「なに緊張してるの??」
社長が笑って言う「そりゃ、しのぶちゃんみたいな綺麗なお姉さんみたら、緊張しちゃうよ、、、そうだよな??? テツくん」
「かわいいのね」彼女ははにかんだ笑顔をテツにみせた。

社長は車を走らせながら、語った

「便器屋の社長ったって、、、便器を作ってるわけじゃなくてね、、便器メーカーから便器を買って、それを売ってるんだよ、、、簡単なビジネスなんだよ、工場は便器をつくり、まず俺たちがそれを買う、そして、俺たちが工務店に売る、、、在庫も持たんしな、買うと言っても、金を大手の会社にふりこんで、それより多い金を工務店がうちの通帳に振り込む。流通にしても、他の会社に委託してるし、ただそれだけのことを紙の上でやってるだけ。社員も事務員3人いるだけだ。それだけで年間三億上がる。ものと金は目の前に流れてる。川だよ、、、でも、大抵の人間には、その川の存在が見えないんだろうな、、、金をかせぐのなんか簡単なんだ。それができないのは、金を稼ぐことを真剣に考えたことがないだけだよ、、、考えさせないようにしてる」
「なにがですか?」テツはきいた。なにが、我々の思考の邪魔をしているのか、、、

「システムだよ」

「この国ってのは、非常にうまくできた洗脳のシステムを作り上げた。ほとんどの人間は、そのシステムの存在にすら気づいていない」
「社長はいつも、むずしい話をするのね」
「むずかしいかね、わかりやすくいってるつもりなんだけどねえ」
しのぶという女性は口に手をあてて笑った。
「ところで、テツくんはどうしてジャズやってるの? 若い人でジャズを聴くのって、めずらしいよね」社長はちらりと後部座席に目をやって言う。

今日もあつい夏の日だ。

車の中はカーエアコンが効いて涼しい。

「わたしはね、ジャズって音楽に、ゴージャスな何かを感じているの、キラキラしてて、ゴージャスで素敵な世界をつくれる音楽なのかなって、、」

テツくん、お互い頑張ろうね、ジャズって難しい音楽だけど、素敵なおんがくだとおもってるの、選ばれし能力をもったミュージシャンにしか、演奏が許されない、特権的な音楽ジャンルかなって、、、


たしかに、演奏能力がある程度上級でなければできないのは事実だろう、、、テツには興味のない話が続いた。

「しのぶちゃん、いいこというねー
わしはね、、あの、ロックという音楽が苦手でねえ、時々クラシックも聴くがジャズをほとんど聴いてるよ、、テクノとか、ロックっていう音楽は、ジャズから生まれたっていうが、根本的にちがうところがあるんだよ。。。
もともとは、ジャズと言う音楽はアフリカンがアメリカで、奴隷しながら西洋の楽器で自分たちのリズムで作った音楽だが、クラシックの影響をつよくうけている。特に和音だが、ジャズは複雑な和音が大きい要素だろう??」
「まったくですわ」背筋をのばしたまま、しのぶという女性は言う。
「あとは、あの、アドリブ、即興でソロをとるって言うところが、人間性を感じるんだよ、、、人間性というのは、わかるかね、、、テツくん」
「やさしさ、とか、愛情ですか」
「ぜんぜんちがうよ、、、

暴力性だ。

生物の本能と言ってもいい、、、入れ替わり立ち替わり、フロントマンがソロをとりあうのがジャズの基本だろ、、、あれに愛情とか優しさなんてないよ、、あれはね、殺し合いなのよ、その殺し合いを鑑賞するとアドレナリンが脳味噌をみたしてくれるのさ、、、ロックやテクノには、その生き物臭さがないんだよ。

殺し合いこそが、本当の人間性なんだよ」

社長はハンドルを右に切りながら、穏やかに話す。口元はゆるやかに上がり、やさしさと余裕は比例する、とテツは思った。

「音楽の歴史は、まずはメッセージの伝達からはじまったが、宗教に利用された。つまり、おおくの人々を自意識から解き放つために、そしてコントロールするために生まれた。グレゴリオ聖歌は教会で多数の人間をひとつにするために、行進曲は戦場で演奏され、その音楽によってアドレナリンを強制的に分泌させられた若い男たちは、恐れずに死に向かって行った。ところが、豊かな人々がそれを楽しみに変えていった、、、情念や自然の写し鏡として、つまり魂を入れたんだ、、、だけどな、最近の音楽はまた、人間をコントロールする道具になっている。。クラシックとポップスの大きな違いは何だと思う? しのぶちゃん」
「さあ、、リズムかしらね、、クラシックにはリズムがないから、、、」
「あのね、しのぶちゃん、、クラシックにもリズムはあるんだよ、、ただ、遅くなったり早くなったりする、、、だからリズムがないと感じるんだ。それは、音楽そのものの息遣いなんだけど、、、セカンドラインが生まれて、ジャズが生まれて、ロックが生まれた、、ビートが生まれたんだ、ビートっていうのは子宮内で聞いた母親の心臓の音だという説がある、だから、人は体内回帰欲でポップスに魅せられているって言う学者もいるが、ワシは違うと思うね、、そもそも心臓の鼓動は一定ではないだろう、」

「むずかしい話だこと」しのぶという女は退屈そうに外の景色に目をやった。

「人間にはもともと時間という概念はなかったはずだ、明るくなると目覚め、狩猟して、食って、生殖して、暗くなると寝ていたはずだ、、大義の時間の概念と言ってもいいが、巡る季節と、太陽の浮き沈みを勝手に細かく刻んで、それを時計という機械を作って測った、、、ワシが思うに、時間という概念は「機械」によって作られたんじゃないかと思う。だから、、、
ビートっていうのは、機械の真似事、人間が機械に近づく現象だとわしは思っている。時間の流れなんてものはね、本来は我々の感覚ではつかみとれるものではないはずだ、、時間はゆっくりも、はやくなりもする、一定の速度で生き物はかんじることはできないはずだ、、すなわち、一定の速度で進む音楽はとても不自然なんだよ。」
テツは反論した。
「でも、社長の好きなジャズにもフォービートやボサとよばれる「ビート」はありますよ」
「そう、、ジャズはビートという機械の幽霊の支配がはじまった音楽ともいえる、、、ただ、そこには、機械に支配される直前の、「魂のもがき」を、わしは感じるんだよ、、金持ちでジャズファンやクラシックファンというのは多いだろう、、、貧乏人はロックを聴くんだ、、、貧乏人は「ビート」が好きなんだ、、、クラシックではこの「ビート」つまり、同じことの繰り返しのことを「オスティナート」と呼ぶ、、、わざわざ呼ぶのは特殊なことだからだ、、、その昔、人類の魂はまだ自由だった、、遅くなったり早くなったりする情緒的な時間の中を生きることができた。

しかし、いま、それが許されているのは一部の豊かなものだけだ。

貧乏人の仕事は大抵、機械的だ、、安い飲食店やコンビニの店員は、機械的に、ものを話すだろう、、いらっしゃいませ、、ありがとうございました、、、もうしわけございません、、、あいつらはもう人間じゃなく、機械になってるんだよ、、だから、あいつらにも音楽が必要なんだ、、機械の音楽がね、、、」

女性はもう話を聞いていない。

テツは真剣に聞いていた。面白い話だと思った。

「ただね、ロックも、テクノなんてもろ機械の音楽だけどね、、そういう音楽も必要なんだよな、、それを聴く人間も必要なんだよ、、

つまりはな、、上の人間のために働く下の人間ということだ」

車は到着したようだった。
高級ホテルだった。


   5

中川時正 都議会議員を囲むビールパーティー

ホテルの入り口に立て看板がいくつか並んでいる。
社長はそれを指差して会場を確認していた。
ベルソン藤井のシークレットライブ、というのは、どうやら、その政治家のパーティーの中で行われるようだった。


エレベーターを降りると、社長はしのぶという女性とテツをつれだって、ホテルマンに尋ねた「ベルソンさんの控え室はどこだい??」

「彼がテツくん、若きジャズドラマーだよ、彼女がしのぶちゃん、しのぶちゃんは三回目かな、、、」
「そうですよ、社長、、、藤井さん、、おひさしぶりです」
ベルソン藤井という男はテツのほうはまったく見ずに、しのぶという女性にほほえみかけた。
「ひさしぶりだね、相変わらず、うつくしい」
70歳ほどの年齢のベルソン藤井は、60年代の日本を代表するジャズドラマーだった。テツも名前は聞いたことがあるが、彼の音楽には全く興味がなかった。
イライラしたかんじで、ベルソン藤井はテツに目をやった。
「テツくんか、、、社長が紹介するくらいだ。君はそれだけでも特別なんだぞ、ジャズドラムをやるなら、自分がいかに特別かを忘れるなよ」

「がんばって、、、」

握手を求めるベルソン藤井、、テツの目をまっすぐにぐっと見た。

「なにかあったら、僕の事務所に電話しなさい」

そう言って、ベルソン藤井はテツに名刺を渡した。

「えー、あたらしい時代に向かって、今日はすばらしいみなさんと、すばらしい時間をすごしたく、、、このような場をもうけました」

政治パーティーが始まった。豪華な料理がビュッフェ形式で並び、中年のスーツ姿の男たちと、ドレス姿の醜い中年女性たちが、シャンパンを手に乾杯と声をあわせていた。香水と加齢臭と酒とタバコの匂いでむせかえり、ここはまるで動物園だ、とテツは思った。

社長のとなりに、しのぶという女性、そのとなりにテツがすわった。
「テツくんも、遠慮しないで、どんどん食べてよ、、しのぶちゃん、何飲む?」
「シャンパンをいただきますわ」
テツは料理を食べる気になれなかった。腹をすかせているのに、こんなものは食べたくないと思った。

「では、みなさんに、、とっておきのサプライズプレゼントがございます、、」
200人ほどいるだろうか、、、会場内でどよめきが起こった。

「ベルソン藤井と、、、ザ 、スインギング ヤングギャング!!!」

拍手と「まってました」という中年男性の声が聞こえた。

「みなさま、、、素晴らしい演奏をおたのしみください」
蝶ネクタイ姿の司会者が白手袋をつけた左手をステージにかざすと、スポットライトの中に白いドラムセットが浮かび上がり、、、ベルソン藤井はスネアのロールとツーバスドラムの連打をはじめた。いまどき、これをするジャズドラマーはいない。

三曲ほど終わり、ベルソン藤井のドラムソロが終わったところで、会場は演奏に飽きたのか、客同士がしゃべりだして、誰も聴いていない状態になっていた。

「では、みなさん、、お待ちかねの、チークダンスの時間がやってまいりました」

バンドは「チーク トゥ チーク」を甘いバラード調で演奏しだすと、会場は照明が落ちて暗くなった。客たちはたちあがり、何組みもの、中年同士の気持ちの悪いチークダンスがはじまった。

「テツくんも、しのぶちゃんと、、、どうかね、、、若いもん同士で」
「いえ、、それは、けっこうです」
「照れてるのね、かわいいね、テツくん」

明らかに太り過ぎの中年女性がドレス姿でスーツの中年男にしがみついている、、汗でアイシャドウがとけだして黒い筋になっている。たちこめるアルコールと化粧のまじりあった匂い。

「テツくんはどうしてジャズをやっているの、、こんな時代に? 」しのぶという女性がテツをのぞきこんで言う。
「さあ、わかりません、、やり出した時のこと、、、憶えてないんです」
「わたしは、この、ゴージャスな雰囲気が好きなの、ジャズってゴージャスじゃない?」
「ゴージャス、、、ですか、、、わかりません」
「テツくん、シャイなのね、目がすごくかわいい」
しのぶという女性はテーブルの下で、テツの手を握った。

「ちょっと、挨拶回りしてくるか、、もうそろそろな」
社長はそういって瓶ビールをもって立ち上がり、何処かへ行ってしまった。

「テツくん、一人暮らしはどう?? 東京の一人暮らしは、たくさん人がいて、たくさんビルもあって、、、ますますさみしくない?」

「たって、たって」
さっきの司会者が会場をまわって、チークダンスを促していた。
テツははずかしすぎてチークダンスなどできなかった。生まれてから、そのようなことはしたことがなかった。したくもなかった。
テツとしのぶという女性はその場でふたりで立ちすくんでいた。

チークダンスがおわり、会場にあかりが戻った。

ふたたび、ベルソン藤井がドラムでイントロをつけ「キャラバン」のフレーズをバンドが演奏し始めると、、会場の中年女が大きな声で叫んだ。アイシャドウの筋女だった。

「やめてやめて、、、もうあきたわ、、、
やめてやめてやめて、、、

演奏がなんとなく途中で止まる。。

「ふじ、い、さん、、、キャラバンじゃなくて、、、チークダンスやりたいのよ!!!」

会場から拍手が巻き起こり、ベルソン藤井は不満な表情を隠さなかった。
司会者があわててステージに駆け上がりベルソン藤井に耳打ちする。

ふたたび暗くなり、気の無い「チーク トゥ チーク」が始まった。

「先生」

しのぶという女性の声。

「ゆりえ、、、ひさしぶりだな」

「先生、、おひさしぶりです」
女性の顔が曇った。

さっきステージでスピーチをしていた政治家だった。はげ上がり、残り少ない髪を横からあげてポマードで固めている。スーツは少しよれていて、醜く太っている。うす茶のいろがついた鼈甲のメガネをかけている。

ゆりえ??? この女性は、二つ名前をもっているのか、、、

「チークダンスするぞ、ゆり」
「いえ、、」
「いいから、こいよ」
「今日は、、、、、、、、」
「今日はじゃないだろ、、、ほら、こいよ」
「今日は、ツレがいるので、、先生、、ご遠慮ください」
女性はそっとテツの腕に触れた。

「先生」と呼ばれる男は、構わずに女性の手を取った。

「つべこべ、めんどくさいこというなよ」
「きょうはやめてください」

テツはなにもできなかった。何をするべきかもわからなかった。

「先生」と呼ばれる男は無理やり女性の体をかかえると、チークダンスをはじめた。ゆっくりとターンするふたり。「先生」にはまるでテツの存在が見えていないかのようだった。
無表情で女性に密着する先生。男の手が女性の尻のスリットにすべりこむ。
ターンすると、ふたつの名前をもつ女性は真っ直ぐにテツをみつめた。目をみると、彼女は泣いていた。泣きながらテツをまっすぐ見ていた。

男は今度は女性の胸をまさぐり出した。そして、襟首から手を入れた、女性は抵抗したが、むりやり手をねじ込んで、直接胸を揉み始めた。

「ひさしぶりだな、りえ、、」
女は泣いている、泣きながら胸を揉まれ、もう片方の手で尻もつかまれている。まわりの人間たちは見て見ぬふりをしている。

テツはなにもできない。女性と目が合うことも恐れた。

ブッフェテーブルに女性を押しつけると、「先生」はワンピースの胸元を思い切り下げ、女性の胸があらわになった。

もうなにもいわなくなった女。ただ、泣いているだけだ。

びちょびちょと音を立てて、乳首に吸い付く「先生」

「おい、いつものようにやってみろよ、、まりえ、、、いつもやってたあれだ」

「先生」はズボンとパンツを大勢のいるその場で脱ぎ、
泣いている女をひざまずかせて
その場で、口で、させた。

テツは下をみた。震えているのがわかった。
なにもできない

自分は虫だと思った。

小さすぎて、誰もその存在にすら気づかない。

そして、なにもできない。


    6

頭から離れなかった。
あの女性の泣き顔。
力をなくし、歯向かうことをやめ、自らの無力を受け入れた、魂の抜けた顔。

テツは、何日も眠れない日々が続いていた。
何が起きたのか、まだわからない。
何も起きてはいないのかもしれない。

猛暑の続く夏だった。高円寺南、家賃2万円、風呂なし、トイレ共同のボロボロのアパートにテツは住んでいた。かび臭い毛布、ときどきゴキブリが通り過ぎる。もちろん、エアコンなどない、、それどころか、網戸を買う金もなく、開けっ放しの窓、三十センチ向こうには隣のアパートのコンクリートの壁があり、窓の下は猫たちの死に場所になっていた。4匹分の死骸があり、うじが湧いている。たくさんの蚊が侵入してテツをたくさん刺したが、二週間もたつと、抗体ができたのだろう、、刺されても、腫れも痒みもおこらなくなった。

パンツひとつになって過ごす熱帯夜、、全く眠れなかった。

頭の中を整理するにも、ここ最近体験したことが何なのか、まったくわからなかった。とにかく、何もわかっていないことが、よくわかった。

なぜ、俺はこんなにも無力なのか

なぜ、音楽は存在するのか

なぜ、俺は生きているのか

なぜ、俺のような、こんな無力のクズが、まだのうのうと息をして、生きているのか、、、

貧しさと暑さの中で、テツの頭は混乱していた。
いままで、こんなに混乱したことなどなかったはずだ。

「誰にも会わず、孤独の中でしか、クリエイティブな自身の真理には近づけない」、、、ドイツの詩人、リルケは「若き詩人への手紙」でこう書いていた。孤独の中で、思考しよう、とテツは考えた。

あの風は、いったいなんだったんだろう??

一ヶ月分の食料を冷蔵庫につめこみ、テツは「思考」の準備をした。バイトをやめ、バンドメンバーにも電話した。モルには連絡が取れなかった、、、すでに、モルはどこかに消えていた。

「システム」が思考の邪魔をしているのだとしたら、システムを遮断するしかない。人に会えば、その人の思考パターンはシステムであり、建物や信号や、道を走る自動車もシステムだ。「システム」はあらゆるところに存在し、我々の思考を蝕む。外を歩けば、何かがきこえる、街頭放送の広告、警察官の声、信号機の誘導音、コンビニのドアセンサーの音、、そして、行き交う人間たち、、、全てが「システム」にとりまかれている。

そして、考えることを邪魔する。

「システム」は敵だ。

テツはまずそれを遮断した。

ただ、ただ、敷き布団の上で「思考」する日々。

まだ18年間しか生きていない、しかし、その18年間に体験した情報がテツにはあるはずだ。それを解析し、答えが出るかもしれない。しかし、問いそのものがはっきりとはしていなかった。「なぜ、俺は生きているのか?」
そんな問いに、答えなどあるはずがなかった。なぜ、音楽をしているのか、なぜ、生きてこられたのか、、、、、どうやって生きてこられたのか、、、
どうかんがえても、それは、たまたまだった。
たまたま生きていて、たまたま音楽をやっているだけだ。

それ以上でも以下でもない。

では、なぜ人は音楽に魅了されるのか、、、

音楽とは一体何なのか、、、その問い、そのものの存在に気づいてしまうと、誰も音楽を創作できなくなる、、、音とは、ただの空気の振動で、その振動を鼓膜で感じて脳味噌で勝手に意味をつけているだけだ。短音階でできたメロディーが悲しいと誰が決めたのだ、、、

人間は自分勝手に解釈して、自分勝手に批評して、偽物の共感と言う幻想に、刹那な安心を偽造しているだけだ。

「本当の音楽」、というものがあるのだとしたら、それはおそらく心を蝕み、人を殺すものだろう。

なぜなら、すべての「音」つまり空気の振動には意味などない、と言うことをきずかせるからだ。そして、「生きていること」そのものに意味などないと言う、みもふたもない事実を、否応無しに気づかせてしまうことになるからだ、、、、、、だから、「音楽」をつかってビジネスをすることは犯罪に近い。意味のないものを売る、詐欺だ。

約一ヶ月、テツは誰にも会わなかった。つまり、物理的に誰とも会話をしていない。

声がでるか、不安になった。一ヶ月「声」と言うものを出していない。

「あ」

ためにし声を出してみた。おどろくほど、大きく部屋中にひびきわたった。
その声は、不気味なほど自分のものとは思えなかった。他人の汚い声だった。

「思考」とは、頭の中で、感じたことを言語化する作業に他ならなかった。
「言語化」はテツを一度はリアルな感覚から遠ざけた。映像に例えるなら、リアルな画像にモザイクをかけることに似ていた。一度おおまかになり、本質がぼやけてしまう。しかし、もともと画像というものは細かなドットの集まりだ。そもそも、「感覚」というものは、脳内におこる「電気信号」のオンオフを、無数のシナプスが運んでいる現象にほかならない。なので、言語化は「リアル」を遠ざけるものではなく、「リアル」に近づくために「分量」が必要なだけだ。面積が大きければ、モザイクは空高くから「画像」として見えるはずだ。

いつのまにか、「思考」は「対話」となっていた。
自分が一人二役をこなす、「対話」だった。
「思考」とは、もともと「対話」だったのかもしれない。

「システム」はいつも「対話」の邪魔をする。

「システム」は自らの体系を守るために、「対話」を殺すのだ。

「システム」は敵だ。

「システム」の外側に脱出せよ。。。

やがて、テツの中にもうひとりの「テツ」が生まれ、二人は脳内で会話しだした。

「生きている意味などないとしたら、、、この世界には意味などないのか」
「生きている意味がないわけではないさ、ただ、生きている意味のない奴もいるということだ、エジソンやソクラテスやアインシュタインや、、、この世界をつくるために必要だった人間もいるだろう、、、彼らに生きている意味はないなんて、、誰も言わないだろう、、、生きている意味などないやつ、それは、その他大勢だ、、、、、神に選ばれなかったものだ」
「もし、それが神の仕業なら、俺は神をうらむな」
「神を擬人化しちまう奴がおおい、神は人間ではない、だから、恨むことすらできない」
「じゃ、神というのは概念なのか、、、コンセプトって、、、」
「いや、人間の概念をも超えるものだ、、

宇宙の法則、そのものを、人間は「神」とよぶのだ」

「生きている意味の、ない、、、もの」
「そんな存在などあるわけはない」
「命は地球より重い」「本当にそう思うかね、、、」
おかしなものだ、、もしそれが本当なら、地球上のあらゆる問題の原因はかなりなくなるはずだ、、、人は太古の昔から、人を殺す道具を作り続けてきた。テクノロジーはそうやって発展していった。インターネットだって、大元は軍事用の情報網だった。

人は、人をどうやって殺すか、を考えながら進化してきた。

人が人を殺すのは、全ての進化の本質が暴力にあるからだ、、、

「では、生きる意味などない者って、、、」
「馬鹿だな、、テツ、、、お前だよ、、、

生きる意味がないのは、お前自身だ。

中学生の時、テツはイジメにあっていた。

いつも放課後は校舎の裏によびだされ、二人の男にかわるがわる殴られた。

「お前はな、虐められる運命なんだよ」
「運命ってのは顔に描いてある、、俺にはそれが読めるんだよ」
「お前の顔は「殴ってください」って書いてあるんだよ」

「ある日曜日、俺は休日なのに奴らにいつもの校舎の裏に呼び出された、、、俺は家から金属バットをもっていって、ひとりの前歯を折ってやったぞ、口から血を流して泣いてるあいつを見て、頭の上にもバットをふりおろして殺してやろうとすら思った、、、それ以来イジメはとまったぞ、おれが日常的にイジメをうけていたことが発覚して、俺の暴力事件もないことになった、、あいつらはそれ以来、俺にまったく話しかけてこなくなった、、、、、それどころか、同じクラスの人間はだれも口を聞いてくれなくなった、、、

それ以来、俺は俺を攻撃してくるやつをゆるさない、、

俺には自由に生きる権利がある、、その権利を揺るがす奴はゆるさない、

殺す。

「殺せ」
「殺せ」
「殺せ」

  

    7

「殺してやる」

テツは驚いて目をさました。アパートの薄汚れた天井がまず目に入った。

「殺してやる」

それは、はっきりと耳元に聞こえた。よこを見ると誰もいない。

「殺してやる」

頭の中でなっているのではない、たしかに耳元に聞こえる声。吐息がかんじられるほど、リアルに鳴り響く声。

「殺してやる」
「うるさい」
「殺してやる」
「黙れ」
「殺してやる」
「お前は誰だ」
「殺してやる」
「やってみろ、、、ころせるものならやってみろ!!!」
「殺してやる」
「殺してやる」
「殺してやる」

その声は消えなかった。
思考の中のもう一人のテツの声なのか、、、しかし、コントロールができない。そいつも自分のはずだ、もう一人の自分のはずが、、すでに人格を失ったかのように、その声は勝手にいいつづける。

「殺してやる」
「殺してやる」
それは、分裂したテツの思考であり、テツの感覚に映り込み、テツの中に入り込んできた「世界」だった。

いま、「世界」はテツに「殺してやる」と言ってくる。

「殺してやる」
「やってみろ、くそやろう、やってみろ、やってみろよ」
「殺してやる」
「おまえこそ、俺が殺してやる」
「殺してやる」
「お前みたいな田舎者のバカがミュージシャンになんかなれるわけないだろ」
「殺してやる」
「お前は一生俺たちの奴隷だ」
「殺してやる」
「犯してやる、犯しまくって、殺してやる」
「殺してやる」
「悲鳴だ、、、あれはただの悲鳴だ」
「殺してやる」
「すでに人間ですらない、、、あいつらはただの機械だよ」
「殺してやる」
「上の人間のために働く下の人間」
「殺してやる」
「下の人間」
「クズ人間」「ゴミ人間」「負け犬」「虫」「虫」「虫」
くせえな、、このコジキ
コジキって、よくわかったな
もしも、あの男が死んでなかったら、、、
今から戻って、もう一度ナイフを差してやる。

「息の根を止めてやる」

世界を殺す。

テツは起き上がった。

世界を殺してやる。殺される前に、俺が殺してやる。

アパートを出ると外はすでに夕暮れだった。耳元の幻聴を無視してテツは駅の反対口にあるホームセンターにむかった。寝癖と顔面にはねていたときのよだれの跡もあった。肩はフケだらけで、薄汚れたジャージ姿だった。意識は朦朧としている。くしゃくしゃになった千円札を4枚出して、テツは包丁を買った。レジ内の店員は無表情で釣りとレシートをテツにわたした。
そのまま、よろよろと歩いて駅まで行き、電車で池袋へとむかった。

周りの人間はだれひとりとして、テツに注意を払っていない。
高円寺では、テツのような人間はめずらしくないからだ。
ホームの売店で缶ビールを買い、一気に飲み干すと、そのまま電車に乗った。包丁は透明のプラケースにはいったまま、ジャージのふところにいれ、わきでおさえた。

今何時なんだ、、いま、何月何日だ、、、何もわからない
どうでもいい

なかがわ ときまさ 事務所

と書かれた看板のビルの前に立つテツ。どうして、政治家は自分の名前を、ひらがな、で表記するのか、、それは国民をバカにしているからだ。バカだから、ひらがなしか読めないと思っている。


池袋のはじに、その政治家の事務所はある。
女の乳房を無表情でなめまわし、ひどいことをした、ハゲのベッコウメガネの「先生」

しばらくすると、五人のスーツ姿の男たちに取り巻かれて、ハゲの「先生」がでてきた。
テツは脇腹から包丁をとりだして、ケースから出し、ケースをその場で捨てた。

「おい、なんだあの小僧」
「きをつけろ、刃物をもっているぞ」
「やめなさい、捨てろ」

男たちがテツをとりかこみ、包丁をもつ右の手首をつかんでひねった。包丁はその場で手から滑り落ちた。

「警察、はやく警察よんで!!!」

「先生」はそそくさと黒塗りのセンチュリーの後部座席に乗り込み、車はすばやく走り出した。

「とりおさえろ」

「はなせ」

「しずかにしろ」

「はなせよ、、くそったれ」

テツは男のうちの一人の鼻を殴りつけた、鼻血が飛び散る。
男たちが怯んでいるすきに、逃げ出すことができた。ビルとビルのあいだに逃げ込む。池袋には、ビルとビルの間に隙間がある。遠くでパトカーのサイレンがなり響く。

「逃げろって言ってるようなもんじゃないか、、あんなにでかい音鳴らしやがって」
男の一人が地面に唾を吐いた。

よろよろと裏路地をあるくテツ、強烈な汗臭さ、不潔さ、目の鋭さ、

意識が過剰な圧力によって押し潰されている。吐きそうだった。

映画館のはいったビルが目の前にあった。

「ドアーズ」

70年前後に活躍した、アメリカのロックバンドの伝記映画だ。

知覚の扉をひらけ、、、

テツは映画館に逃げ込んだ。

ジムモリソンの歌声がなりひびく

「ジ エンド」

頭の中に鳴り響く「ドアーズ」

それにより「殺してやる」という声はそれほど気にならなくなった。

音楽とは、そのために存在するのだ。世界の声から気を外らせるために。

世界を殺すことはできない。

よろよろとまたビルから出るテツ。
もうすでに外は夜となっていた。いつになっても、たくさんの人間が行き交う東京の街。人が消えることはない、永遠に続く雑踏、だれもテツを気にしない。だれもテツになど興味はない。これは、人間なんかじゃない、、ただの風景だ。人間も、こんなにたくさん集まると、ただの風景になる。

「にいちゃん、本は読まないかい?」

黒いスーツに白いテンガロンハットをかぶった不気味な色白の男。

「俺はさ、本売りなんだよ、本はいいぜ
君を全く違う世界に連れていってくれる、、
もう辛い思い出も、わすれるし
もう、なにも「痛み」のない世界へ行ける


本をよめばな、」

ワンブック10万円だよ、大安売りだ、
ワンペーパー 2万
ワンショットだと7千円

テツはジャージのポケットからクシャクシャになった千円札の束を男に手渡した。

「五千円しかないね、、、でも、にいちゃんには売ってあげるよ、必要って顔をしている、ニイちゃんには本が必要なんだな」

男は紙のかけらをテツの口の中に入れた。

「ベロの下においときな、だんだんきいてくるからな」

これ、サービス

そういって男はテツのポケットにホイルに入ってつらなる錠剤をたくさんつっこんだ。

「流行りのハル、、これは知ってるよな、、、エルサレムまでいってこいよ」

よろよろと電車にのり、高円寺へもどるテツ。

俺は世界を殺すことはできない。

だが、世界を閉じることはできる。

真夜中、アパートに戻ると、CDラジカセに気に入っているCDをセットした。
ドビュッシーのノクターン、「雲」「祭り」「シレーヌ」からなる三部作だ。テツがドビュッシーを気に入っているのは、彼の音楽には情念がないからだ。まるでからっぽの彼は、知覚で得た情報を音楽に変換しているにすぎない、「海」は「海」を音にし、「映像」は「映像」を音にしただけだ、、印象派は絵画にしても、向こう側からリアルな世界を見ているにすぎない。

では、「シレーヌ」は、いったい何を音にしたのだろう。

テツはオートリバースで「シレーヌ」だけがくりかえし流れるようにセットし、ヘッドホンを差し込んだ。口の中の薬が効き出してきた。脳味噌がグルグルと回転しているようだ。「ハル」をホイルから何錠も取りだすと、手の平いっぱいになった錠剤を、口の中に入れ、冷蔵庫にあったビールで一気に流し込んだ。

テツはヘッドホンをかけ、ガムテープで頭ごとグルグル巻きにして自分の目もかくした。そうやって、感覚を外界から遮断した。

世界を閉じることはできる。

「シレーヌ」は、妖艶な女性合唱がゆらめく、不思議な曲だ。女性のクワイヤは、声が集合するにつれ、風のようにきこえる。

やがてその声は、真実の風となり、テツを取り巻いた。

つよい、風。
空は曇っている、雲に覆われている。
いまにも雨が降ってきそうな灰色の空。
あたりは一面背の高い草で覆われている。
ゆれる草原。
そのなかに一本のしろい細い道がくねくねとのびている。
その道を、テツはあるいていた。
なぜか、とても気持ちが良かった。
風はとてもつよく、湿っていた。
強風にもかかわらず、テツにはそれがまるで、ゆるやかな風のように感じられた。

あるいていくと、草の中から一本の手がのびているのが見えた。
そして、そこには、その手を見つめる、白い服を着た少女がいた。
少女はただ、無表情でその手を見ている。

テツにはもうわかっている。

その手が自分の手であることを、

たすけて

たすけてくれ

もう、これ以上、過酷におかないで、、、、、、

少女の手はゆっくりとテツの伸ばした手に近づく。

もうすこし

もうすこしで、、、

しかし、少女の手はテツをとらなかった。

ゆっくりと伸ばした手を戻す少女。

おそろしいほどに冷たい目をした少女。

気がついた。目がさめたのか、、、、、、

テツはガムテープをはがして、まわりを見回した。ラジカセはもう止まっている。頭の周りには乾いた反吐がまき散らされていた。
枕元のデジタル時計をみる、カレンダーは、三日間、テツが眠り続けていたことを示していた。

真夜中だ。

よろよろと外に出る。
見上げると月があった。リアルな月、、、
しかし、それは回転し、巨大な眼球となってテツをギロリと睨みつけた。

よこをみると、白い霧がむこう側から近寄ってくる。
それは無数の蛆虫だった。宙を舞う無数の蛆虫は、ここにたどりつくとテツの体を通り抜けていった。
思わず目を閉じ、その場にしゃがみ込み、胃液を吐いた。


   エピローグ

1995年 三月 新高円寺駅

テツはその日、アパートから歩いてその場に行った。
テレビを持たないテツは電器店のテレビをみて、その状況を確認した。

「地下鉄の駅が、毒ガスのテロ攻撃に遭い、現場はパニック状態がつづいております」
「なにカメラとってるのよ、、はやく救急車よんでよ、、たすけてよ、、、なに撮ってるのよ」泣きじゃくる女性。たおれこんでいる老女、無表情でそれを撮影し続けるカメラマン。
「これは地獄だな、地獄がこの世に降りてきたんだなあ」
電気屋のオヤジはあきれたかんじでテツにはなしかけてきた。

地下鉄の駅、出入口はすでに黄色い「立ち入り禁止」のテープが貼られ、だれひとりいない状態だった。警察官もいない。

毒ガスの影響が考えられます、絶対にはいらないように、、
そう書かれた横断幕。

テツはテープをまたぎ、中に入った。

地下鉄の駅の中も、誰もいなかった。

音もなく、なにもなかった。

無人となった改札をとびこえて、ホームにでた。

無音、無臭、

ここまでは毒ガスは届かなかったのだろう、、、

何も変わらない

そう思った。

何も変わらない

「何も変わらないことは、いいことだ」
死んだ親父はよく言っていた。
「何か変化がある時っていうのは、大抵悪い変化だ、、いい変化なんて、そうなかなかない、、だから、変化なんぞ、ないほうがいいんだ」

思い出の中の親父のセリフ、、思い出せない、、、あまりにも、記憶が薄い。

「お前は、金のかからない子供だった」

階段を上り、駅の外に出ると、その風景に、テツは息をとめた。

いったい、どういうことだ、、、、、、

街の風景が、白黒だった。まるで、古い映画のように、白黒の風景がそこにひろがっていた。テツは自分の手をみた、、、やはり、白黒だ、モノトーンの世界の中に、テツもいた。

そのとき、やっとテツは気がついたのだ。

この世界には、最初から色などなかったことを。

ゆるやかな風のように   おわり

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