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海の中のお散歩で、私たちの細胞も喜ぶ?【エッセイ】

  最近は文章を書いたり、何か作業をしている時に、水族館か海中の映像をパソコンの画面上に流している。映像をしばらく見ていると、昔、海へ行った時の経験を思い出す。その海水の透明さや美しさに感動したこと。海中に魚を見つけた時の興奮などは、やはり実際に海に行かなければ得られないものだろう。けれど、映像を見るだけでも、そういった記憶から、非日常を脳が楽しんでくれるのか気分転換になっている。

 海中の映像を見ていると、自分もその中を漂っているような感覚になる。心がリラックスしているようだ。私たちの祖先が海から陸に上がってきたことを考えると、映像を見るだけでも、細胞レベルでも海を懐かしんでいるのだろうかと想像を広げてしまう。
 実際、私たちにも祖先が魚だったという名残がある。私たちは胎児の一時期に、頭に魚のエラ状になっている部分を持っていると言われている。この部分は、胎児が成長していくと顔や首などになって消えていくそうだ。

 この話を初めて聞いた時、ものすごく驚いたし、それと同時にひぇ~面白いっ!と思った。自分の祖先が魚だったのだということが、急に自分の中で現実味を帯びた瞬間だった。海の浅瀬やプールでも、潜ってみたときのあの音や感覚。ああいったものを心地いいと感じてしまうのは、やっぱり私の細胞が喜んでいるのかと思いたくなってしまう。冷静に考えれば、海やプールなどの水中が大嫌いな人もいるわけだから、そこまで結びつけちゃうと妄想なんだけれども。
 
 蒸し暑い日が続いている。最近は私自身が年齢を重ねて、夏、海水浴に行くこともなくなってしまった。海の中のお散歩映像を見ていると、またいつか行ってみたいような。現実の準備や片付けなどを考えると、行ってみたくないような。まぁでも、映像ならいくらでも見れるなぁという感じです。よろしければ、みなさんも是非楽しんでみてください。


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