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佐渡は日本の大きな要(郷土史研究家 山田詩乃武さん)

★要約=====
佐渡は日本最大の離島。面積は東京23区の約1.4倍。最高峰の山は1,000メートル以上の金北山、航空自衛隊が空の監視をしている。歴史的には江戸後期から明治初期にかけて、日本にとって大きな商業の海のルートだった。来年佐渡の金銀山の世界遺産登録に向けて新潟県佐渡市一丸となって一生懸命やっている。

現代の日本は太平洋側がベルト地帯と言われているがもともとは、東海道よりも日本海側が重要な地域だった。大昔、大陸から仏教などシルクロードを通って日本海を通して日本に入ってきた。太平洋側からきた訳ではない。韃靼人、要するにタタール人。タタールは鉄。製鉄をやった。佐渡にも製鉄がある。いわゆる大陸側のモンゴル・ロシアの文化も入ってきている。古代・古来から大陸との交流が悲劇的な話にもなるがものすごくあった。
日本海の大和堆は非常に重要な漁場。排他的水域のちょうど境界にあり非常に緊張状態になっている。日本海側で拉致は頻発した。東京に住んでいる人たちは台湾沖縄に目が向いているが、北朝鮮に代表されるようにこの日本海側の大和堆は狙われている。海洋資源の宝庫。新潟沖には油田もあるため重要なところになる。

日本海側は軍事的にも商業的にも極めて重要な日本海側の佐渡がなぜ流刑の地になったのか?佐渡はそのころ律令で定められたと同時に聖武天皇が国分寺を設置した。佐渡に設置したことに理由はあった。地政学的に佐渡は重要であるという意図があった。順徳天皇は佐渡に流されたときにすぐに国分寺に参った。いわゆる下級犯罪の方は佐渡に流されておらず上級貴人や政治思想、順徳天皇日蓮上人世阿弥、そういったひとたちが流された。流人の島ということに我々は誇りを持っている。罪人であることに間違いはないが窃盗などということとは違う。高貴な方を送り込むことによって文化のかなめとするということのあらわれでもあるかもしれない。江戸期に入って家康が佐渡金銀山を本格的に開発をする、そして武家文化が入ってきて幕末から明治は町人商人文化、独特な島で芸能や歴史がつまって佐渡は日本の縮図とも言われている。

佐渡は金銀の埋蔵量がすさまじい。世界の黄金の2割はここに集中していたにもかかわらず、他の国に侵略されなかった。もちろん金は世界一だった。家康が江戸に来て街づくりをする財源が佐渡の金だった。家康は世界情勢をみていて結局はイギリスオランダに与することになる。佐渡は自分のところの金庫だったので外国に知られたくなかった。尚且つ、日本の佐渡の金はクオリティが良かった。大

大陸側から佐渡を観ると、佐渡は日本の中心になる。沖縄や北海道よりも直線距離よりも近くなる。佐渡の海をいま守っているのは海上保安庁。現代において、国防を考える上で重要な位置にあるというのは、中国北朝鮮韓国ロシア、世界のなかでも問題になっている国々と佐渡は国境を接している。大陸側からみると日本の扇の要となる。佐渡を通して東京は一直線。いまここに海上自衛隊も陸上自衛隊もおらず、海上保安庁が守っている。佐渡の30キロ先には柏崎の原発がある。日本の海上自衛隊は最強といわれているが、すべて太平洋側に向いていて海上保安庁お願いしますの状態。日本海側が手薄になっている。

北海道、佐渡、能登、山陰、そして九州、沖縄。『あくまでも防衛』。いま、われわれが考えなければいけないのは防衛。拉致が簡単にできる島であったというう事実。そういったことを政治家を含めて改めて再認識していただきたい。駆け引きの外交がいまの政治家は全く抜けている。

山田詩乃武さん
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