【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第二章「槻の木の下で」 前編 13
中臣鎌子が蘇我家に頻繁に出入りすることが問題となったのは、大伴吹負の、
「鎌子なら、最近、蘇我殿の屋敷に入り浸っていますよ」
と言う、一言からだった。
それは、大伴家で月を愛でながら一杯やろうと集った時のことである。
「最近、鎌子兄さん、遊んでくれませんね」
と、大伴御行と安麻呂兄弟が寂しそうに話をしていた。
鎌子の気取らないところが、子供たちに人気があった。
何より、頻繁に遊んでくれる。
しかしここ最近、大伴の屋敷には来ないし、中臣の屋敷に行っても、忙しいからと遊んでくれなくなったので、二人は寂しかった。
「鎌子もいい年だ。勉強が忙しくて、お前らと遊んではおれんよ」
と、大伴馬来田連(おおとものまくたのむらじ)が言った。彼は、大伴長徳の弟で、吹負の兄だ。
「そう言えば、最近、家にも来なくなったな」
と言ったのは長徳であった。
そして、これを聞いて吹負が、
「鎌子なら、最近、蘇我殿の屋敷に入り浸っていますよ」
と言ったのである。
「なに、蘇我の屋敷だと?」
「ええ、林臣の所には、旻様の講堂にもない木簡があるからと、嬉々として通っていますよ」
吹負は酒を飲みながら答えた。
「それは、まことか?」
長徳は、几に寄りかかっていた体を起こし訊いた。
「ええ、今日も誘ったのですが、林臣と約束があるからと……。どうかしましたか?」
吹負は、長徳の態度を不審に思った。
「まずいですね、兄上」
「ああ、まずいな」
長徳と馬来田は、吹負の問い掛けに答えもせず、ひそひそ話を始めた。
吹負は、そのまま酒を飲み続けるしかなかった。
鎌子が大伴家の月の酒宴を断った日から10日後、父の中臣御食子は、彼に三嶋行きを言い渡した。
「摂津の三嶋へ、ですか?」
鎌子は驚きを隠せなかった。
「そうだ」
「なぜですか? 飛鳥に来て一年と経っていないのですよ。それに、勉強もまだ中途半端ですし」
「勉強のことは問題なかろう。飛鳥でも、三嶋でも、どこでもできる」
「しかし、三嶋では、最先端の学問が学べません」
「そんなことはない。やる気さえあれば場所など関係はない。それに、三嶋の方が難波津に近いぞ」
難波津は、倭国の国際港である。そこには、ありとあらゆる舶来の文化が持ち込まれる。
御食子は、そのことを言っているのだ。
「場所は重要です。飛鳥は学問を修めるのに適した場所です」
鎌子は、なおも食い下がった。
「鎌子、お前は、学者になりたいのか? それとも僧侶になりたいのか?」
父の声は厳しい。
いま勉強しているのは、蘇我殿と理想の国を作り上げるためである。
ここで、蘇我殿の傍を離れる訳にはいかない。
しかし、そんなことを父に言うことはできなかった。
「鎌子、父上は、お前を摂津の田舎に押し込めようとなさる訳ではないぞ」
これは、御食子の傍らに控える、異母兄中臣鹽屋枚夫(なかとみのしおやのひらふ)の言である。
「お前も知っているとおり、摂津の三嶋には、我が家所領の土地が多い。また、周辺には親族関係を結ぶ豪族も多い。父上は、お前にあの一体を纏める役として赴いて欲しいと思っておられるのだ。良いか、これは中臣家を纏める者にとって重要なことなのだぞ」
それでも、鎌子は不満である。
「鎌子、良く聞け、我が中臣家は、代々神事を司る家系として大王に仕えてきた。だが悲しいかな、武力で大王に使えてきた大伴や物部に比べて、宮内の力は極めて弱かった。しかし、いまや物部氏は衰退し、大伴氏も大連を出せるような人材がいない状況だ。併せて、蘇我氏の力も大分削がれてきた。これは、我が家にとっては千載一遇の機会なのだ。良いか、枚夫は宮内で大王の信頼を勝ち取り、鎌子、お前は兄を支えるため中臣家を纏めていくのだ。それが、我が中臣家の繁栄に繋がるのだ。良いな、そのためにお前を三嶋へ遣わすのだぞ」
御食子は、鎌子の目を見て言った。
中臣家の繁栄って……、まさか我が家から大連を出そうと言うのではないだろうなと鎌子は思った。
最終的には、鎌子が賛同しようがしまいが、父の言うことは絶対であったので、彼は三嶋へと赴かねばならなかった。
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