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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第五章「法隆寺燃ゆ」 後編 31

 天智天皇の治世2(669)年5月、今度は山科野で薬狩りが催される。

 流石にまた宴席で………………とはいかないので、この時大伴一族は活動を控え、大人しくしていた。

 大海人皇子も、酒も飲まずに静かにしていたようだ。

 が、このときの狩猟の規模に、大伴一族は度肝を抜かれる。

 蒲生野のときよりも、葛城大王や大友皇子に仕える舎人や氏族の数が多くなっている。

 これはまずい、向こうは着々と準備しているぞ!

 というところに、同年8月、葛城大王が高安嶺の城を修理、増築すると言い出した。

 そのために労役が必要だと動員をかけようとしたが、流石にこれは中臣鎌子に止められた。

 高安嶺は、大和の生駒(奈良県生駒郡)と河内(大阪府八尾市)が接する山稜である。

 2年前の中大兄の称制6(667)年11月に、讃岐の屋嶋(香川県高松市屋島)と対馬の金田(長崎県対馬市美津島町黒瀬)とともに、高安嶺に城を築けと勅命がだされ、その際も大変な数の労役が徴収され、問題となった。

 そのときは、唐や新羅が侵攻してきた際の、大和への最終防衛線だとの説明だった。

 確かに、瀬戸を抜け、難波津に上陸した敵は、この近くを走る街道を抜けて侵攻してくるので、見張りにも、防衛にももってこいだ。

 が、宮はつい半年前に近江に移したばかり。

 守るはずの大王が、防衛線の外にいる。

 なんのための城かと、軍事の専門家である大伴氏は呆れた。

 だが、よくよく考えると、

『これは、唐や新羅ではなく、飛鳥派への封じ込めではないのですか?』

 と、御行が言い出した。

 確かに、高安嶺に城があれば、大和への敵の侵入を防ぐことができる。

 一方で、飛鳥で氏族が蜂起した場合に、それに対処することも可能だ。

 御行の意見はもっともだとなり、『これは大伴氏に対する明確な敵行為だ』となって、先の蒲生野への行動への一端となったのだが、今回はこれを修復し、さらに増築するという。

 これは、葛城大王もいよいよ本腰を入れて有力豪族たちの排除に乗り出したのだとの話になった。

 そこに数日前、鎌子の屋敷に雷が落ちたという。

 鎌子は数か月前から体調を崩していると聞いている ―― そこに落雷である。

『これはもしや……』となった。

 現在朝廷内は、大友皇子が力を付けてきたとはいえ、まだ鎌子の力は絶大だ。

 また鎌子は、大伴氏の身内である ―― 鎌子の母が、安麻呂の父である馬飼や叔父の馬来田、吹負の父である大伴咋子連(おおとものくじこのむらじ)の娘、智仙娘(ちせんのいらつめ)である。

 鎌子がいる以上は、まだ身内として朝廷内にいることができる。

 その次席を蘇我赤兄が担っているが、彼ではまだまだ実力不足。

 必然、鎌子に何かあったらと、彼がいない未来情勢を、大伴氏だけでなく、他の氏族たちも描き始める。

 鎌子が亡くなれば、飛鳥派・難波派は瓦解する。

 蘇我赤兄は飛鳥派だが、日和見で、有利となれば裏切り、大友皇子に付くかもしれない。

『これは、もはや悠長なことは言ってられない』 

 と、一族に招集がかかり、先ほどから議論が続いていた。

 で、安麻呂もその場に臨席したのだが、長老たちが、

『葛城を倒す! 大友を倒す!』

 と連呼するばかりで、

『では、その有効な策は?』

 となると、みな口を塞いで、俯くだけ、

『兎に角、葛城を倒す! 大友を倒す!』

 と、また長老たちが叫ぶ、堂々巡り。

 憎しみだけが先行して、感情論になっているので、話もまとまらない。

 呆れ、飽きた安麻呂は、『ちょっと厠に』と言って、八重女の屋敷まで避難してきたのであった。

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