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慶應高校野球部監督の講演から「常識を覆す」ことについて考えてみる

先日、慶應高校野球部監督の森林貴彦さんの講演を聴きました。

慶應高校野球部というと、107年ぶりに高校野球大会(その頃は甲子園球場は無かった)で優勝したことと、「選手たちが坊主アタマで無い」ことなどがメディアで取り上げられていた印象です。

森林さんは「恩返し&常識を覆す」という目的(最近企業経営で聞く言葉でいうとパーパス)を設定し、慶應高校野球部を率いています。

その森林さんの話を聴いて「常識を覆す」ということについて考えてみたことを書いてみます。

「常識を覆す」手前に、「常識に違和感を持つキッカケ」が必要

森林さんいわく、高校野球界はまだまだ「勝利至上主義」が幅を利かせてるのだとか。

投手の酷使、理不尽な上下関係、「サインを盗む」など勝つために手段を選ばないチームも多い。

そんな中、森林さんは「人生100年時代、高校野球が人生のピークではない」として、その後の80年に向けた貴重な3年間として「野球で人を育てる」ことも重視した「価値至上主義」を掲げてチームを運営しています。

森林さんは大学院で様々なスポーツ分野の人達と学んだ経験があり、そこで野球界の特質さに気づいたと言います(例えばラグビーは、指導者は試合中ベンチに入っていない=選手たちが考えざるを得ない環境になる、など)。

この話から「常識を覆す」手前では、常識を疑うキッカケが必要で、常識を疑うには自分がドップリはまっている世界とは違う場所に出入りすることが大事だと感じます。

毎日、同じ勤務先に行き、ほぼ固定されたメンバーとやり取りし、帰ってマスメディアから流されてくる情報を受け取って、、、みたいな生活では、そもそも常識を疑うキッカケが無いよなと。

常識のように言われていることを、別の視点から眺めてみる

森林さんは「上意下達」の高校野球の世界にあって、選手たちが「自分で考える」ようなチームづくりを志向します。

これは森林さんが「高校生を大人扱いできる」から、「理解力、思考力、論理性、計画性、意志」といった部分を伸ばすような指導も行えたのだと。

ではなぜ大人扱いできたのか?

それは森林さんが小学校の教員だから。

高校野球の監督は(私の通っていた高校もそうですが)多くは高校の教員か、強豪校であれば専業という方もいるようで、森林さんのように小学校教員というケースは珍しいのだとか。

それこそ森林さん御本人も「小学校教員のまま野球監督をやってよいものか?」と、常識的に考えたこともあるようです。

が、結果的に小学校教員のまま監督業も兼ねることで、「小学生と比較したら、高校生は大人」ということに気づいたのだとか。

この事が旧来の「高校生には指示を出すべきもの」という思考ではなく「高校生は自分達で考えられる」という思考で、選手達に接することに繋がり、ひとつひとつのプレーの目的を選手達が考えながら練習、あるいは試合に臨むようになっているのです。

「◯◯とはこういうもの」と、常識のように言われていることが本当なのか?
それを確かめるために、別の視点から対象物(森林さんであれば高校生)を観察してみることも常識を覆すことにつながるのだなと感じます。

マクロ的な環境変化を捉えるのも、常識を覆すうえで大事

ここで挙げた以外にも、様々な考え方・工夫を取り入れており、結果として従来の常識を打ち破り、甲子園優勝監督となった森林さん。

「常識やぶり」を貫けたのは、ご本人・選手たちの意志や、関係者の理解があってのことだと思うのですが「マクロ的な環境変化」も後押ししているのでは?と推測しました。

以下のグラフは高校生の生徒数と、高校野球選手、高校サッカー選手の数の推移を示したもの。

左軸:サッカー選手、野球選手の数
右軸:高校生の数
日本高等学校野球連盟日本サッカー協会文部科学省学校基本調査のデータをもとに筆者作成

サッカー選手にはユースクラブ所属選手も数%含まれていますが、この10年近く、サッカーと比較すれば選手人口の減少トレンドが大きいです。

(余談ですがこれを見ると、Jリーグが始まった頃にサッカー選手が急増してるのが分かります。データを眺めると色々見えることがあり面白いですね)

高校野球界が盤石な時期であれば、森林さんのような存在への圧力は、より大きかったのではないかと思うのです。

ここ数年夏の甲子園の時期が酷暑ということで、甲子園のあり方にも議論が出ています。
(森林さんも、「選手のパフォーマンスを最大に出せる環境ではない」と仰ってました)

このようなマクロ的な環境変化が、森林さんの「常識を覆す」動きを下支えしているように思います。

身の回りにある「常識とされるもの」も揺らいできている

昭和から100年経過し、色々なところで長く続いていた「常識とされるもの」が揺らいできた感じがします。

コロナ禍もあり働き方はリアル×リモートのハイブリッドが定着しましたし、学校教育のあり方も一方通行型を見直す動きが出ています。

私の所属する会社は、JTCと揶揄されるような伝統的な日本企業ではありますが、幸い、会社での仕事は良い経験になっており(もちろん収入の柱になっていることもありますが)、まだまだそこで働こうと思っています。

とはいえ「この考え方はイマイチだな」みたいな仕組み・社内制度・文化みたいなのを感じる機会もあります。

他方で先述したような「常識とされるものが揺らいで来ている」感覚もあり、森林さんの話も踏まえると「より良く変えていくチャンスが来ている」ということかもしれません。

それも踏まえ、持ち場で常識とされるものに向き合ってみたいと思います。

それにしても今回の高校野球のように、一見職場から離れたところのインプットが、職場における違和感に気づくキッカケになりますね。
引き続き雑多なインプット、そしてnoteでのアップデートを行っていきます。

では今回は以上です。
どなたかの参考になっていれば幸いです!

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