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生きる理由 死ぬ理由

涙を流してまで
腕を切ってまで
過量服薬してまで

生きる意味は本当にあるの?



生きる理由

生きるために支えになっているもの。

私なら
音楽を聴いたり、Xを見たり、日記を綴ったり、手芸をしたり。

きっとあなたにも小さいことでも何かはあるはず。


でも
だとしても


「死んではいけない」理由にはなるのでしょうか。

そして

「生きる理由」にもなるのでしょうか。

私は、基本的に自殺肯定派だ。
私のデフォルトが「死にたい」と言っているのだ。
いつか、この世に“さよなら”を告げたいと
心の底から願っている立場だ。

それでも「生きなければいけない」と
何かしら生きるための術や目標を日々設定して生活している。


死ぬまでのタイムリミット


私は少し前まで、将来に希望が見える大学生だった。
夢を追い、勉学やボランティア活動、サークル活動に明け暮れていた。

しかし、昨年度末に大学を退学した。
理由は親の離婚と借金。
DVの吹き荒れる家庭には居られない、安全に代えられる物は無いと、大学退学を決意し、母親と共に祖母の家へと転がり込んだ。

新しい環境に来て、まず私はアルバイトを始めた。
お金が無ければ生活できない、ただそれだけの簡単な理由だ。
貯金は無かった。既に全て父親に搾取されていた。


大学や高校など、今までの繋がりを絶った環境での生活は孤独であった。

アルバイトは以前働いていたチェーン店に勤めたため、すぐに戦力扱いとなり、長い日は一日10時間の勤務をこなしていた。

しかし、長い期間依存していたOD(オーバードーズ/過量服薬)からは抜け出せなかった。

昼から夜まで働き、帰宅後ODをし、朝までぼんやりと過ごし、1,2時間のみの睡眠でまた仕事に向かう。
そんな生活で、心も身体もボロボロだった。


ついに来た限界。
4月8日、私は“さよなら”をする決断をした。


楽になれると信じていたのに

パブロン244錠と精神薬を過剰摂取した。

「もう楽になれる。」

そう思ったのに、その夢は叶わなかった。

そしてHCU病棟に6日間、精神科閉鎖病棟に3か月半の入院を余儀なくされ、祖母と母からは半勘当状態、グループホームへの入所が決まった。
また、生活保護で暮らしていくことになった。

親からも見放され、死ぬことも許されず、結果退院して一か月足らずでOD癖も復活してしまった。


死んじゃいけない理由

入院中、看護師さんとの会話で

私「なんで死んじゃダメなの?理由が分からない。」
看護師さん「じゃあ梓さんは、私が『死ぬ』って言ったら、どうする?」
私「止める」
看護師さん「そうだよね。でも梓さんは私のことを深くは知らない。きっと、死んじゃいけないことに、理由なんてないんだよ。」

「死んじゃいけないことに理由は無い」

私はこの言葉に強く心を打たれた。


そもそも、死んではいけない理由を探していること自体が、ナンセンスなのだと知った。

それでも探してしまうのは、その答えが見つからないと死んでしまうほど苦しいからだとも思う。
だから、仮にナンセンスであったとしても、答えが見つからないとしても、私は探し続けるのだと思う。


だって辛いじゃない。
何のために生きなければいけないのか、死んではいけないのか。
答えがないなんて、無意味に生きるなんて、それこそ地獄だ。


その答えが見つかるまで、もがいてもがいて、

私はきっと生き続けるのだと思う。

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