見出し画像

デザイン思考に取り組むために、耕すべきもの ~ プロセスから組織土壌やマインドセットへ

1)有料記事になっていますが、文章は基本全て無料でご覧いただけます!

2)2022年11月26日に、このnoteをベースとしたCULTIBASE Labのイベントを開催しました!15000字も読めない!という方はぜひこちらもチェックしてみてください!

「デザイン思考の研修をやってほしいんですよね」
というような声は、いまだ多くいただくお声かけの一つです。

その背景も、割と似通ったものが多く
「もっと良いアイデアを出せるようになってほしい」
「顧客目線を獲得しなければだめだ」
「新しい事業を考えなければならない」などなど
やはり、今うまくいっていない状況を打開するための手段として、デザイン思考というものがどうやら良さそうだ、といったものがほとんどです。

もう以前のようなブームというほどではありませんが、広く認知が広がったからこそ、「デザイン思考」というものに対する期待も改めて寄せられているというのが現状でしょう。

一方で、普段クライアントワークで様々な企業(僕の場合は特にメーカー系の大企業が多いのですが)では、デザイン思考がなかなかうまくいかないというような声も聞かれます。

どの企業の中にも、どうやったらうまくいくのかというのを真剣に考えて取り組まれている方々がいらっしゃるのだなと日々感じており、MIMIGURIでも、オープンになっているものですと、コニカミノルタさまとのプロジェクトや、リコーさまでの講演など、微力ながらご支援をさせていただいています。

こうした取り組みや日々の探究の中で、デザイン思考というものがうまくいかない根本的原因がどこにあるのか、少しずつ言語化ができてきたこともあり、改めてnoteに書いてみることで、それらをまとめてみようと思いました。

長文ですし、決して読みやすい投稿ではありませんが、皆さんにとって何かしらの気づきに繋がれば嬉しいですし、フィードバックいただく機会にもなればと考えています。是非目次の中で気になったところからでも、ご笑覧いただければ幸いです。

そもそもデザイン思考とは?

一般化したデザイン思考の5ステップモデル


デザイン思考という言葉も、相当に一般化し、もはや一見関係のないものまで、デザイン思考と謳われる状況も見受けられるようになってきました。

実際のところ、デザイン思考の定義は非常に曖昧で、僕が研究しているテーマの1つである、意味のイノベーションについても、その提唱者であるベルガンティ自身が、デザイン思考とは対の概念であるとしたり、デザイン思考の1種であるとしたりと、まだそのあり方を探究し続けているような状況です。

ベルガンティも共著者に入っているこの論文では、意味のイノベーションは、デザイン思考の4つのパラダイムの1つとしているようです。
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1111/caim.12353

そもそも、皆さんがデザイン思考と聞いて思い浮かぶものはなんでしょうか?
そのうち最も多いと考えられるのが、5ステップモデルだと思います。
実際にデザイン思考という言葉で画像検索をかけても、ほとんどが5ステップモデルについて紹介しているものばかりです。


5ステップモデルは、もう用いられていない?

実は、この5ステップモデルを提唱した、スタンフォード大学のd.schoolでは、もうこのモデル自体を盛んには謳っていないというのはご存じでしょうか?

d.schoolのアカデミックディレクターである、Carissa Carter氏は、ブログの中で、5ステップモデルというのは最初のレシピのようなものに過ぎず、デザイン思考の全てではないと言及し、現在は8つのコア能力を身につけることが重要であると言及しています。

実際に、d.schoolのウェブサイトにも、5ステップモデルではなく、8つのコア能力の話が中心に据えられており、おそらくカリキュラム全体もこれをベースに作られているのではないかと考えられれます。

8つのコア能力(日本語訳は小田のもの)


どこで聞いたのかが、記憶が定かではないのですが、5ステップモデルというのは、スタンフォードの学生だから意味があるのであり、ベースとなるスキルやマインドセットがないのに、ただ5ステップモデルをやればよい、というように広がってしまったのが良くなかった、というように言われているという話もあります…

とはいえ、そんなこと急に言われても、という側面もあると思いますし、ここでは一旦5ステップモデルを議論の題材として扱いながら、デザイン思考がうまくいかないという状況は、どのように生じているのかを見ていきたいと思います。




デザイン思考がうまくいかないのはなぜか

これまでMIMIGURIでお仕事させていただいた、多くの企業の話を聞いていく中で、デザイン思考がうまく回っていないという状況には、大きく2つのパターンがあるのではないかと考えています。

これは特に、メーカーを中心によく見受けられる状況で、サービスデザインを手掛ける企業では、乗り越えられているところも多いのではないかと考えています。

1. プロトタイピングに進まない

最も多く起きており、かつよく言及されているバッドパターンの1つが、プロトタイピングのステップになかなかいかないという問題です。

デザイン思考は本来、ラピッドなイテレーション、つまりできるだけ早く失敗し、学びを素早く得ていくプロセスを重視しています。
しかしながら、共感・定義 ・アイデア創出のフェーズにじっくりと時間をかけ、納得できるアイデア(上長が承認してくれるアイデア)が生まれるまで、プロトタイピングに進まないというケースが、非常に多く散見されます。

原因は、「プロトタイピングが重すぎる」ことと、「アカウンタビリティー移譲の欠如」ということにあると考えられます。


- プロトタイプが重すぎる

「プロトタイピングが重すぎる」とは、しっかりとしたリッチなプロトタイピングを作らねば、正しく検証できない、という認識が故に、お金と時間をかけてプロトタイプを制作しようしてしまい、そのための予算とリソースが必要になってしまうという状況のことです。

そのため、しっかりと筋の良いアイデアが生まれ、承認されるまでプロトタイピングのフェーズに進めないという状況が発生します。そのため、時間をかけてコンセプトを定めようとするのですが、なかなかこれだというものが見つからず、ただひたすらアイデアを出しては打ち返される日々、という日常が広がってしまいます。

デザインスプリントのプログラムなどでもそうですが、5ステップというのは、できるだけ小さく素早く回すことが重要です。そのため、プロトタイピングはできるだけすぐにできてお金がかからないようなところから始めることが大切です。

それじゃあ正しく検証できないじゃないか、という声も聞こえてきそうですが、本来プロトタイピングは、正しさを検証するためだけのものではありません。(ここは後ほど改めて説明します)

S&D Prototyping株式会社の代表、三冨さんの書いた書籍はおすすめです。


- アカウンタビリティー移譲の欠如

もう1つの原因が、「アカウンタビリティー移譲の欠如」です。アカウンタビリティーとは、「説明責任」と呼ばれるものですが、簡単に言ってしまえば、自分たちで説明できるのなら、承認を得なくても意思決定して進めて良いよ、という範囲のことだと言って良いでしょう。

移譲が欠如しているということは、事前に上長が説明をもらい、承認をしなければ実行できない状態を意味しています。先ほども言及しましたが、上長に承認されないとプロトタイピングができないというのは、正しい姿ではないように思います。

確かに好き勝手やれば良いということではないですが、一緒にプロセスを進めているチームでの合意が重要なのであって、そのプロセスで直接手を動かしていない、上長の承認が必要になってしまっては、結局プロトタイピングに進む正当性を説明することばかりに時間が取られてしまい、小さく学びを積み重ねるなんてとてもできなくなってしまいます。

もちろん、湯水のように予算を使って良いわけではありませんし、いつまで経っても事業に繋がらないような活動を積み重ねていてもよくありません。ただ、ある程度現場の判断で実験を進められるようにしなければ、チームの主体性は失われ、探究の楽しさも損なわれてしまいます。

以前記事も書きましたが、任天堂のチームは、この辺りのアカウンタビリティーの移譲がうまくできているようにも感じられます。

段ボールを使って試行錯誤するようなプロセスを、わざわざ上長に承認を取ってやらねばならないようなチームであれば、デザイン思考などうまくいくはずがありません。

この辺りは、リクナビNEXTやnana musicなどの事業に取り組まれていた、株式会社ローンディールのCSO、細野さんの書籍に、決済権の中でどのようにチームによる実験を駆動させていくかが解説されています。


2. 共感まで戻らない

2つ目のパターンの方が、多くの人が勘違いしている部分かもしれません。デザイン思考とは、イテレーション、つまり繰り返しを伴うプロセスであり、一度プロトタイプを構築してテストしたら終わり、というものではありません。ここまでは多くの人が理解していることでしょう。

問題は、繰り返しの戻り先が、アイデア創造のところになってしまっているケースが多いということです。本来は、共感のフェーズまで戻り得るプロセスのはずなのですが、いつの間にか、共感フェーズで定義したコンセプトがどうしたら実現しうるかを確かめるだけのプロセスになってしまっています。

ここにも、「組織における評価構造」と、「デザインマインドセットの不足」という、2つの原因があると考えられます。


- 組織における評価構造

「組織における評価構造」とは、組織の中で事業や商品に関して、評価や承認を行っていくプロセスの構造のことです。ゲートや、デザインレビュー(DR)といった言葉が社内であれば、まさにそのことで、大企業になると、そういったプロセスがある程度ルールだって構造化されているケースが多くあります。

比較的既存事業の改変や、すでに良し悪しの評価基準はっきりしているものへのの場合は、こうした構造がしっかりあった方が良い側面もあるでしょう。しかしながら、デザイン思考とは、新たな事業/価値創出や、何をもって良さが判断されているかがわからないようなところに価値を発揮するプロセスです。

なぜ評価構造に問題が生じるかというと、多くの企業で、ゲートやデザインレビューといったものは、一度通過したら基本的に後戻りしないことを前提にしていることが多いからです。そのため、一度定義したコンセプトを問い直すということがしにくく、それがゆえに、イテレーションがどうしたら定めたコンセプトを実現できるのかを、繰り返し検証するというプロセスに止まってしまうのです。

最悪の場合、うまくいかないということがわかっても、承認してしまったがゆえにもうやるしかないという状況に陥ってしまいます。ゲートで承認したということは、承認した人にもその説明責任が生じてしまい、その責務を負った承認者は、なんとかして形にしなければとなってしまいがちなのです。

これは、パターンの1つ目であげた、プロトタイピングに進まない問題とも密接に関連しています。評価構造が影響してしまい、共感定義のイテレーションと、アイデア創造からテストのイテレーションといったように、プロセスが分断されてしまうのです。間に組織内での評価構造が絡んでしまうと、一度定めたものを問い直すことができなくなってしまうのです。


- デザインマインドセットの不足

仮に評価構造が影響を及ぼさない形になっていたとしても、「デザインマンドセットの不足」という原因が、同様な影響をもたらしてしまいます。

どうしても、人間は一度定めたものを問い直すということを避けたがってしまう側面があります。インタビューを通じて、これが潜在的なインサイトだと認識してしまうと、ある種それを結論としてベースに起き、アイデアを考え始めてしまいます。

色々とアイデアを考え、それらをテストしますが、考えたアイデアがうまくいかないという現実に直面することで一杯一杯になってしまい、そもそものベースにあったインサイトが間違っていたかもしれない、というところまでは、なかなか問い直せないものです。

なぜこれがデザインマインドセットと関係があるかといえば、デザイナーが本質的に向き合ってきた、真善美といったようなものに対するスタンスがあるからです。

デザインマインドセットといっても、様々な要素があると思いますが、最も重要なものの一つに、誰にも否定されないような、絶対的な美しさや良さというものを創り出すことはできない、というものがあると私は考えています。

デザインとは、誰かのために(あるいは社会や地球環境のために)なされるものを設計することだと考えますが、長く愛されるものや多くの人に評価されるものはあれど、もうこれ以上ない、というような美しさや良さを形にすることはできないと思います。だからこそ「デザインに終わりはない」とされるわけです。

(デザインマインドの話は、リコーさんのnoteにも綺麗に整理されていました!)

こうした考え方は、私たちは良し悪しを、社会的に合意することによって形成しているという「社会構成主義」に通じます。今良いとされているデザインというのは、あくまである単位の集団の中で合意されていることに過ぎず、社会環境が変化したり、人々の価値観が変化していけば、その評価が変わることも多々あるでしょう。

(歴史の中での位置付け、という意味では何かしらの強固な良さに関する認識が定着していくことはありますが、これもあくまで人々の合意に過ぎません)

売上のような数字は、わかりやすい絶対的な指標として扱われますが、ただ売上を上げることだけを目指していればよい、という社会環境ではありませんし、もしそうであれば、パーパスなんて言語化する必要はないでしょう。

同時に、これだけ複雑化した社会の中では、誰にとっても良いというものはもはや少なく、さまざまなパラドックスと向き合う中で、私たちにとっての良さを形にしていくことが求められます。

だからこそ、デザインマインドセットにおいては、どれだけ前提から問い直すことができるかが重要になります。何度も何度も前提を問い直し、いま私たちの社会や顧客との間で合意できる良さとは何かを、止めどなく考え続けようとする姿勢が重要です。もちろん締め切りも大事ですが(笑)




 デザイン思考とどう向き合えば良いのか

デザイン思考とは、良さに関する学びの営みである

ここまで、デザイン思考がなぜうまくいかないのかについて見てきましたが、ではどうすればうまくいくようになるのでしょうか?

まず、デザイン思考は、「良さに関する学びを積み重ねる営みである」ということを理解することが大切です。

5ステップモデルを大きく2つのプロセスに分解すれば、何が良いとされるかを探るプロセスと、どうすればその良さが体現されるかを探るプロセスに分けることができます。つまり、デザイン思考とは、このプロセスを行き来し続けることで、良さに関する学びを積み重ねる営みなのです。


デザイン思考の根本にあるダブルダイヤモンドモデル

デザイン思考において同じように出てくる、ダブルダイヤモンドモデルにも同様な構造があります。

ダブルダイヤモンドモデルとは、2004年にイギリスの公的機関である、Design Councilが提唱したモデルで、今もなおアップデートがなされ続けているモデルです。

よく発散と収束を2回繰り返す、というような形で矮小化されて理解されがちですが、最初のダイヤモンドは「Designing the Right Thing」、つまり何が正しいか(良いか)をデザインするプロセス、後ろのダイヤモンドは「Designing the Thing Right」、つまり正しくモノをデザインするプロセスとされています。

拙著、「リサーチ・ドリブン・イノベーション」でも、このダブルダイヤモンドモデルを改変した、「探究的ダブルダイヤモンドモデル」というものを紹介していますが、結局のところ基本にある大事な本質はこの2つの構造にあると考えています。

探究的ダブルダイヤモンドモデル

先ほども述べたように、デザインにおける「良さ」とは絶対的なものではなく、常に変わり続けるものであり、デザイナーはそれを探究し続けることが求められています。こうした探究や学習のマインドセットがデザイン思考には欠かせません。

2つの学びを積み重ねた先にしか、オリジナリティある良いデザインや提供価値は実現しないのです。


ダブルダイヤモンドモデルの変遷

ダブルダイヤモンドモデルも進化し続けているというのは先ほど言及しましたが、最も最近のアップデートとして挙げられるのが、デザインカウンシルの提唱した「Systemic Design Approach」です。
(日本語訳を、Design Rethinkersさんがまとめてくださっています!)

このモデルの最大の特徴は、循環的な終わりなき営みが考慮されている点にあると考えています。少し前のアップデートからダブルダイヤモンドに循環するような矢印がつくようになっていたのですが、よくみると矢印の向きが変わっており、より循環的な営みを表現しようとしたのではないかと考えられます。

Design Rethinkersさんのnoteより引用
一つ前の2019年に発表したモデル

些細な変化ではありますが、ダブルダイヤモンドの右側に旅は継続されるという表現が追加されたことや、もともとDiscoverとなっていた最初のフェーズが、Exploreという、より継続的な営みを表すような言葉になっていることからも、より循環の伴う、継続的な営みであるということが表現されていることがわかります。


SECIモデルとのつながり

こうしたアップデートがなされている裏側で、自身の書籍で提唱した探究的ダブルダイヤモンドモデルについて紹介する中で、どうしてもモデルを左から右へ流れていく、線形のプロセスとして捉えてしまう人が多いことに頭を悩ませていました。

その同時期に、野中郁次郎先生の「SECIモデル」の循環的営みの重要性について、MIMIGURI社内で盛んに議論がなされていたいました。

SECIモデルとは、組織の中での個人の暗黙知が、組織にとっての形式知へと変わっていく営みの中で、組織的な知識創造が行われることを表現したモデルで、数多くの研究者や実践者にインスピレーションを与えた、伝説的なモデルであり、アジャイル開発の1つである、「スクラム」のベースの思想にもなっているとされています。

MIMIGURIでも、頻出する概念の1つであり、SECI飯というスタンプもあります笑(誕生の瞬間を貼ってしまう)

スタンプ誕生の瞬間

そんな中、ダブルダイヤモンドモデルと、このSECIモデルには、絶対に何かしら関係があるはずだ、デザイナーのより探究的な姿勢を、循環として表現することはできないかと、去年の秋頃から考え始め、あーでもないこーでもないと試行錯誤を続けていました。

2月ごろに形になり始め、今は多くのクライアントワークでも提案しているモデルが、「デュアルサイクルモデル」です。


デュアルサイクルモデルの提案

デュアルサイクルモデル

最もシンプルに表現すれば、何が良いかを探索するプロセスと、その良さがどう体現されうるかを考えるプロセスの2つの営みを繰り返すモデルです。

Systemic Design Approachと大きく違うのは、プロセスの基点が中央にあるように見えることです。こうすることで、より2つの営みを行き来しやすくすることを狙いました。

また、SECIモデルとは図のような関係性になっています。どちらのサイクルも、知識創造の営みには変わらず、内面化→共同化→表出化を通して、組織的な形式知として連結化されていくという営みです。

SECIモデルとの関係性

デュアルサイクルモデルでは、内面化の置かれている位置が、上下逆になっていることも1つの特徴です。

良さの探索における内面化は、私にとって〇〇における良さを感じる時ってどんなときだっけ?というように、どちらかというと「省察|Reflection」的な営みになると考えています。

一方で、良さの体現、つまりこの良さをどうしたら実現できるのか、ということを考えるときには、その良さを実現するための要件を分解したり、似たような事例で良さが体現されているものはないかを探したりと、自分の外に目を向けて考えてみる行為が先に生まれると考えています。

まだ厳密に定義付けられていないのですが、いわゆるReflectionに対して、Projectionというような「投射的営み」として位置付けられるのではと考えています。アブダクションや面的思考、プロジェクションサイエンスと言った領域との紐付きをイメージしていますが、この辺りはまた探究が進み次第まとめたいと思います。

他にもいくつかの工夫を用いてモデル化を行っているのですが、その説明については、別に改めて記述します。ここでは、デュアルサイクルのイメージを掴んでもらうために、架空の取り組みを2つほど挙げてみようと思います。




具体的イメージ|スポーツクラブとサポーターの関係を考える

まず1つ目の例として、スポーツクラブを挙げてみたいと思います。スポーツクラブ、とりわけサッカークラブは、クラブによってサポーターの気質の特色も豊かであり、選手とサポーターの一体感は、チームの強さにも大きく影響してきます。

私が応援しているジェフ千葉も、WIN by ALLというスローガンを掲げています。今回は応援しているということもあって、ジェフを対象に、デュアルサイクルの流れを妄想してみました。(そろそろJ1に上がってほしいのものです…)


良さの探索のサイクル

デュアルサイクルは中央から始まります。まず存在しているのは、WIN by ALLというスローガンです。今回はまずここから、良さの探索に向けた問いを立ててみることにしました。(①の部分)

ここでいうALLとは何を指しているのだろうか?
どのような勝利が、目指すべき姿なのだろうか?
私たちが最も分かち合いたい瞬間とは?

といったように、WIN by ALLという言葉に込められた意味や、ありたい姿を探るような問いを立ち上げていきます。

その上で問いを起点にさまざまな人々と対話したり、お客さんに対してインタビューするといった活動を広げていきます。(②の部分)この時重要なのは、何かしら仮説を立てて確かめるという感覚ではなく、問いに対するさまざまな解釈の違いを面白がろうとすることです。

いきなり共通していそうな考えを探しても、オリジナリティある切り口や、深みのある仮説は得られません。違いに目を向け、そこに対話を積み重ねていくことで、より意味深い良さを考える土台が築かれていきます。

ここでは、チームの目指す姿や、サポーターと分かち合いたいものについて考えていく中で、圧倒的な勝利の瞬間を求める人も入れば、喜怒哀楽を共にしていくようなシーンを求める人もいるという違いが立ち上がってきました。こうした違いについて対話を積み重ねていく上で、違いの中にも「心の動きを求めている」という新たな視点が見えてきました。

すると、さらに目指す良さを深掘りする問いとして、どんな「心の動き」を分かち合いたいのか、という問いが見えてきます。(③の部分)さまざまな心の動きがありますが、一体感を生み出すのは、心の動きが最大化する瞬間にあるのではないかと考えました。

このようなプロセスを通して「私たちはどうすれば、心の動きが最大化する瞬間を、選手とサポーターとで共に分かち合うことができるのだろうか?」という新たな仮説としての問いが見えてきます。この問いの形式は「How Might We」と呼ばれるものです。


良さの体現のサイクル

今度は、合意した問いをもとに、どうすればそれを体現することができるのかを考えていきます。

まず最初に行うべきは、体現する手段を考える上での糸口を広げていくことです。まずは、人々の心が動く瞬間にはどんなものがあるのかを広げてみることで、着想しやすい状態を作っていきます。

アイデアを考える上では、ロジカルな思考よりかは、さまざまな要素を広げながら、それらを面で捉えてみると、アイデアが見えてくる、というような、アブダクションと呼ばれるような思考から発想することが重要になります。糸口を広げるからこそ、その面は豊かになっていくため、幅広い視点が求められます。

その上で、具体的なアイデアを挙げていきます。アイデア発想自体の方法については、もう世の中にごまんとあるので、ここでは取り上げませんが(アイデア大全などはおすすめです)、面に広げた要素の点と点がつながり、アイデアが見えてくる瞬間をどう構築するか、という観点が大切になります。

そして、実際にアイデアを形にしてみることで、良さがどう形となって体現されるかを確かめてみることが大切です。まさにプロトタイピングのフェーズであり、その状況を観察することで、学びを得ようとする姿勢も大切になります。

こうした一連のプロセスの結果として、より良いサポーターとの関係を構築するための、新しい応援のあり方が見えてきたというのがこの場合のひとつのゴールイメージです。


良さの探究の営みは、終わらない

ここで終わってしまっては、実はもともと5ステップモデルとさほど違いはないかもしれません。あくまでこの段階で見えてきているアイデアは、続いていく探究の営みの中で生み出された、暫定解に過ぎません。

探究的な姿勢を有していると、これまで回してきたサイクルの中で、新たな問いが見えてきているはずです。ここでは、「挑戦に伴う「苦しさ」を分かち合うことで、より一体感ある瞬間が生まれるのでは?」という問いを掲げてみました。

その上で、ここからは2つの方向に、営みは広がっていくことが可能です。

そもそもどのような苦しさが分かち合えると、人々の心が動くのだろうか?というところに関心を向ければ、それは良さを探索する活動に入っていくことになるでしょう。

一方で苦しさの分かち合い方に関心を広げれば、体現の仕方に目線が向いていきます。苦しさを感じる瞬間やその表現方法について面を広げていくと、新たなアイデアが見えてくるかもしれません。

一度右側を回してから、左側に戻ってきても良いでしょう。正しい進め方が敷かれているわけではなく、こうした営みそのものをデザインしていく姿勢が重要です。

そして、この循環が永遠に続いていきます。良さというのは、人々の価値観や私たちが置かれたコンテクストによって定義されていくもの。それらが変化し続けることはある種必然であり、ともすれば、良さ自体も変わり続けていきます。これは冒頭で記述した社会構成主義の観点でもあります。

大切なのは、そこに関心を持ち、探究し続けることです。まさに「デザインに終わりがない」わけです。

こうした事例について、他にもいくつか妄想で考えてみようと思っているので、もしこれについて考えてほしいというテーマがあれば、ぜひ教えてください!




デザイン思考を組織に根付かせるためには

ここまで見てきたように、デザイン思考の本質は、良さの探究にまつわる2つのサイクルを回し続けることにあると、私は考えています。ではこうした活動を組織に根付かせるためにはどうしたら良いのでしょうか?

ここは依然として私自身も探究の途上ではありますが、今回は今の時点で見えてきている4つの観点を共有したいと思います。


① 探究のマインドセットを育む

まず何より大事なのは、一人一人やチームの中に、探究のマインドセットが育まれるかということに尽きると考えています。

探究のマインドセットに何が含まれるのだろうか?というのは非常に難しいですが、実際に企業の方と関わる中で感じているのは、好奇心問いの感性にあると考えています。

好奇心とは何かを一言で表現するのはとても難しいですが、一見関係なさそうなことに目を向け、関連づけてみようとする心の動きのこと、というのが私なりの理解です。

好奇心がなければ、今の価値観の中での良し悪しの判断が強く出過ぎてしまい、結果としてサクセストラップに陥ってしまう原因になるとも考えています。

また、私は理解している、という自己認識は、好奇心の低下にも繋がっていくと考えています。「そんなことはわかっているのだから、考えなくても良いだろう」と上長に言われてしまった、という話をよく聞きますが、これでは新たな良さなど探究できるはずもありません。好奇心なき意思決定者のもとで、面白いプロダクトが生まれている事例はあまり見掛けられません。

好奇心の種類や、育み方についても様々な研究がなされており、好奇心研究に取り組まれている方とのCULTIBASEでのイベントも企画しているので、そちらもぜひお楽しみにください。

そしてもう1つは、問いの感性です。先ほどのデュアルサイクルの事例でも示したように、探究の営みでは、問いから問いが生まれ続けていきます。

どうしても良い答えを導くための問いとは?というところに意識が行ってしまいがちなのですが、問いの本質は、その問いが新たな問いを生み出し得ることにあると考えています。

こうした問いとの向き合い方については、SHIBUYA SCRAMBLE SQUAREの15階にある、SHIBUYA QWSにて、問いの感性を耕すためのプログラムを展開しています。また、弊社代表安斎の書籍もぜひご覧いただければと思います。


② 評価する側こそ、プロセスに巻き込まれるべき

デザイン思考にしても、オープンイノベーションにしてもそうなのですが、うまくいく活動か否かは、プロセスの質そのもの以上に、意思決定者のプロセスへの関わり方にあると考えています。

特に共創と名して、さまざまな人を巻き込んだアイデアソンのような活動が、さほど良い結果に繋がっていないというケースは多いのですが、その原因は、最終的にアイデアを評価する人は、評価の時にしかプロセスに関わっていないケースがほとんどだからだと考えています。

さまざまなアイデアには、その前提にある、こんな良さを実現したいという考えがあり、さらに言えば、そうした良さはさまざまな葛藤と向き合う中で言語化された、提案者のこだわりや仮説でもあると言えます。

最後にまとめられたプレゼンを見ただけで、その良さを理解できるのであれば、それはさほど革新的なものとは言えないでしょう。これまでの前提を壊すからこそ、破壊的イノベーションとなるのであり、今までの良さの観点でアイデアを評価していては、そこに潜む可能性に気がつけるはずもありません。

とは言え、評価をする人が全てのプロセスに関わるのは現実的ではないでしょう。しかしながら、まだまだその余地は潜んでいると考えています。

特に効果的なのは、プロセスを進めている人たちが、良さにまつわる葛藤と向き合い対話している様子を眺めてもらうことです。その様子に触れることで、アイデアの前提に潜んでいた、良さにつながりうる葛藤への理解が深まります。

おすすめは、多様決と呼ばれる方法を活用することです。アイデアを最後に評価してもらう前にこの多様決を実施し、少し早めに来てもらってコーヒーでも飲みながらその対話の様子を眺めてもらうだけで、だいぶ景色は変わるはずです。


③ カスタマーサポートで、関係性を終わらせない

3つ目は組織の構造の問題でもありますが、特にハード系のメーカーに多く見られる傾向として、実際に商品を買ってくれた人たちとの関係構築を変えていく必要があると考えています。

SaaS系の企業であれば、実際にプロダクト開発に関わる人と、ユーザーとの距離は非常に近いと思います。そのため、どのように良さが体現されているのかということについての解像度が非常に高く、アジャイルなプロセスが実現しやすくなっているように思えます。

一方でハード系のメーカーの多くは、ユーザーとの関係のフロントに立つのは、カスタマーサポートや保守の部署であることがほとんどです。もちろんこうした部署の存在を否定することはしませんが、実際にどのように良さが体現されているかを直接見に行こうとする活動を、積極的に行えていないことは意外に多いように思えます。

もっと言えば、開発側の人たちこそ、もっと日常的にその様子に触れに行こうとすることがとても重要であると考えています。

良い製品を作ることはもちろん重要ですが、どんな良さを形にすることが、カスタマーサクセスの実現につながるのかを、考え続けることが最も重要だと思います。この辺りが、SaaS系の企業と大きく差がつき始めているなと、とても強く感じています。

一番取り入れやすい活動は、作ったプロダクトを、ユーザーと一緒に使って楽しむことを、日常の景色にしていくことでしょう。(ゲームのようなエンターテイメント系のプロダクトであっても、社内で遊んだりしたことがない、ということも実際に見かけたことがあります。)

そうした活動によって、ユーザーと一緒に、良さの探究を進めていくことができます。共創の本質は、そうした共に良さについて考えることにあると考えています。

以前CULTIBASEでも取り上げさせていただいた、Notionなどの企業は、その代表例のようにも思えます。


④ 人事評価に「学び」の視点を

4つ目の観点は、人事評価の話です。MIMIGURIでは、デザイン組織の支援も数多く行っていますが、そのホットトピックは、人事評価制度設計にあります。

組織の活動をどのように評価するか、というのは非常に難しい問題です。売上への貢献度で測る、といってもなかなか難しいですし、それで全てをジャッジしてしまっては、売れることが最上位の目的になってしまい、そこが行き過ぎてしまえば、あまり豊かな世の中になるようにも思えません。
(もちろん売上に貢献しようとする営みを否定はしませんが、あまりにもそれだけになってしまってはよくないよなという感覚は、皆さんの中にもあると思います。)

ましてや、デザイン組織ともなれば、よりその評価は難しくなります。良いデザインとは何かの絶対的な解がないわけで、単純なデザインのスキルセットだけで評価してしまえば、既存の良さに対しての力は評価できても、新しい良さの探索にまつわる取り組みは評価しにくくなります。これは新規事業部の取り組みをどう評価するかという観点にも近いかもしれません。

そこで私たちが大切にしているのは、理念やパーパスを起点とした、良さの探究の営みの中で、組織に還元できるような「学び」をどう生み出すことができたのか、を評価しようとすることです。

「学び」を評価しようというと、それぞれが好き勝手に学んだことを評価面談でプレゼンするだけになってしまうのでは?と考えてしまうかもしれませんが、大切なのは、理念やパーパスを起点とした組織的な良さの探究の営みの中での「学び」であることです。

MIMIGURIでは、「CULTIVATE the CREATIVITY|創造性の土壌を耕す」というスローガンを掲げて、さまざまな活動を展開しており、それぞれのメンバーが、創造性の土壌を耕すとはどういうことなのか、何ができるのかといったことについて、探究テーマを掲げています。

そして半期ごとにその探究の中で生まれた「学び」をプレゼンし、組織的探究にどう貢献しているのかをマネージャー間ですり合わせていくというプロセスを踏んでいます。

探究の中で生まれた学びこそ、より新たな価値を生み出すための源泉となります。これをしっかりと評価していこうという姿勢がなければ、デザイン思考を組織に根付かせることや、デザイン組織へと変容していくことはできないでしょう。

もうここまで読んでいると気がついた人もいるかもしれませんが、評価するという活動の営みそのものが、何を良いとするかと、その良さをどう評価しようとするかという、デュアルサイクルの営みになっているのです。

評価制度設計は、最も難しい活動の一つですが、組織を変容させていく上で、最もレバレッジが効く活動でもあると考えています。





組織の耕し手としてのデザイナー

この記事では、デザイン思考がなぜ組織に根付かないのか、どのように向き合うべきなのかを見てきました。

少なくとも、単なる5ステップからなるプロセスの話ではなく、組織の土壌やマインドセットそのものから変えていく必要があるものであることは、ご理解いただけたのではないかと思います。

こうした組織の文化ともいうべき、ディスコースのデザインこそ、これからのデザイナーに求められるひとつの役割になっていくでしょう。(デザイナーに限らずではありますが、ディスコースのデザインという視点は、デザイン組織や価値共創に欠かせなくなると考えています)

私自身、もともとはいわゆるデザイナーを志し、修士研究、博士研究、そしてMIMIGURIでの活動の中で徐々に取り組みを変容させながら、どうすればもっと組織や社会が創造的になるのかを、微力ながら考えたいと思っています。

組織を創造的にしたいと考える人にとって、少しでもインスピレーションが与えられるような探究を、さらに深めていきたいと考えていますので、ぜひ皆さんの中で浮かんできた気づきや問いなど、コメント等でフィードバックいただければと考えています。



ここまで、こんなにも長い文章をお読みいただきありがとうございました!

こうしたこうしたnoteの執筆などは、大体休日にカフェでやっています(家だと本当に進まない…笑)
有料パートにデュアルサイクルの事例で使っていたテンプレートを載せておきますが、コーヒー代くらいに思っていただければ嬉しく思いますし、TwitterでDMいただければ、配布もしますので、ご希望の方はご連絡ください。


ここから先は

0字 / 2ファイル

¥ 100

みなさんからいただいた支援は、本の購入や思考のための場の形成(コーヒー)の用意に生かさせていただき、新しいアウトプットに繋げさせていただきます!