長い綺麗事

自分が積み上げてきたささやかな画家としての3年間に

手を合わせて感謝するとともに丁寧に破壊してみようと思っています


しかし、考えてみれば考えてみるほどに、破壊の仕方がわからないものです

実態のないものを破壊する、何かのきっかけなしになかなかできるものではないと思うのです

けれど、生きている上でみんな自然にやってきたことでもあるのが確かな事

三歩進んで二歩下がって行く

効率よく前に進む事が人生の醍醐味ではないという事を思い知らされます

進んだ距離が重要なポイントではないと思います、飛び級で学校を進学する事が他の人と差をつけたと思うのも無理はないことですが、実はそういうことではないというのが真実に思います

これはあくまでたとえ話です

マラソンでもそういう状況があります

遅い子が速い子に負ける

速い子は走る時間が短いです

しかし距離は同じです

速い子にはメダルが与えられるとします

遅い子は苦しい思いだったり、劣等感だったり、自分を卑下したり、開き直ったり、それぞれの感情が生まれます

こういう競争には優勝は一人しかいません

しかし実際にその競技中の時間に人それぞれ心に感得するものがあるはずです

何度も言いますが同じ距離の中での話です

けど

人生はマラソンではないです、自分で道も決めますし、集団で駆け抜ける事に安心感を得る人もいるし、1人ゴールインを着る事に快感を覚える人もいます

走る前から落ち込んでいる人や、どうせ無理だと開き直る人もいます

途中で諦めてしまう人も最近多いです

しかも序盤でです

中には隣の人を攻撃する人も現れます

それに快感を覚える人も

それを見るのが好きな人もいるでしょう

何度も言いますが人生はマラソンではないです

時間すら平等ではないですし、身体的な能力も平等ではないです

しかし心のあり方は自由に等しく与えられています

メダルを与える

一等賞の人に

そのメダルがたとえ純金でできていたとしても、それがこの世で一番の価値あるものという事にはならないのが人生です

走ったり歩いたり休んだりしているうちにたくさんの人に会うでしょう

自分を攻撃してきた人がこの道の先でいずれ倒れているかもしれません

自分を助けてくれた人が後ろの方で泣いているかもしれません

まだ見ぬたくさんの人々がこの世界にいます

想像もつかない事が起こります

全てが動いているパズルは完成しないようにおもわれていても

全ては不思議とあるべき場所にあり常に完璧な形をしています

その時その時、完璧にピースはハマっているんです

僕はその中で絵を描いて、生活にヒーヒー言っています

一喜一憂しています

しかしそれだけの事です

全ては動き、流れ、変わっていきます、まさに全てが一つの生き物のようにです

アスリートが一等賞をとって喜ぶ、それはメダルが!!欲しかったからでしょうか?本当に?

メダルなのでしょうか?

メダルが取れなければ自分が今までしてきたことは全てが無意味なマラソンだったのでしょうか?

本気でそう思いますか?

実は

走る距離も、時間も何もかもが平等では無いんですよ

そうなれば

欲しいのはメダルでは無いはずです

メダルはおまけです、たとえそれが純金でできていたとしてもです

矛盾する話かもしれませんが

それでも

全ては平等です

地位、名誉なんかをメダルに置き換えて考えてみるとわかりやすいものです

ノーベル賞を受賞した人たちはノーベル賞が欲しかったのでしょうか?

僕達芸術家は地位や名誉が欲しくて、お金が欲しくて絵をやっているんでしょうか?

人それぞれの考え方があります

千差万別、十人十色

それが一つのメダルを奪い合うのはおかしい話です

人生を生きながら、自分のメダルを自分でこしらえていると考えてみるのも面白いかなと思います

ゴールした時、それぞれのメダルが、いろんな形、色、大きさ、香り、重さ、素材、をしていると思います

それを見て全てに感謝してゴール出来る事が理想です、これは一等賞の人しか出来ない事じゃ無いです。

僕はまだ歩いていますが毎日ありがたい事だなと思ってます、なんとなくほわーんとそう感じています、これからいろんな事がある中で僕がどうなって行くのか?とても見ものです😆

すいません、全ては綺麗事ですね💁‍♂️

#芸術 #芸術家 #画家 #マラソン #アスリート #人生 #生きる #平等 #飯田大輝






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