見出し画像

ヤドカリ放浪記2012〜柳津-垂井宿編〜

11月6日
AM5:10
道の駅柳津
キッチリ八時間で目覚めた典型的老人型朝
しばらくすると雨がポツポツと降り出して来てカミナリもゴロゴロガッシャーーン!!
何処かに落ちたか消防車が出動してた
AM7:16
すき家岐阜南鶉店

朝の寒い時から氷入りの麦茶を出してくれる牛丼屋
此処に来る途中にトラックから雨水をぶっかけられて思いっきり寒いからお茶を頼んだのに全然持って来てくれないおっちゃんスタッフ
注文したたまごかけごはん朝食と一緒にお茶を持って来てくれた気の利いたサービス…
とにかく腹を充たす
AM7:33
サークルK岐阜南うずら店
九州ではあまり見掛けないコンビニ
この日は先を急がないので寄り道し修、羅の刻を立ち読みする
AM8:12
道の駅柳津
道の駅帰還
スタンプ捺したり、トイレでで洗浄器使ったり出売店物色したりとちょいと時間潰し
外の農産物直売所でミカン買おうかと思ったら熊本産だったので止めた(´・ω・`)
そろそろ頃合いをみて道の駅を出発する
AM9:01
柳津宮東郵便局
財布補充
東京はしご酒で贅沢を覚えて金銭感覚麻痺してたからお金の無くなりが早かったわw
AM9:27
セルフ石油岐阜六条店
レギュラー平均144円のこの辺りでリッター133円と格安
前日に見付けた給油所なのだ
満タンにしておく♪
AM9:47
河渡宿

中山道五十四番目の宿場町
多分もう宿場町に入っている
此処は町並み三町分しかないとってもとっても小さな宿場町なのだ
AM9:59
観音堂

馬頭観世音菩薩を安置するお堂
境内に観音堂縁起が刻まれた石碑がある
それには河渡宿についても記されていた
また境内には常夜灯も建つ
お堂に散策マップがあったので助かった
でも住宅街となっている河渡宿はイマイチ面白味が無い…
そして特に史跡を見る事無く宿場町を出てしまった
そんな五十四番目の宿場町・河渡宿…
AM10:40
美江寺宿

中山道五十五番目の宿場町
門前町として賑わっていたのだ宿場町だが戦国時代に御本尊である十一面観音が持ち去られ寂れてしまったらしい…
AM10:42
美江寺観世音堂

美江寺いったいは大小河川が集中する水害多発地であった
これを観世音菩薩の御利益で守ってもらおうと伊賀国名張から勧進し美江寺を建立
勧進した御本尊は十一面観音
この史実から美江寺は地名にもなり宿場町名ともなった
AM10:48
美江神社

江戸時代から熊野権現を御祭神に祀っていた神社
境内には美江寺宿跡の碑と復元された高札が建つ

AM10:56
和田家

旧美江寺城主末裔の住宅
虫籠窓のある白壁で歴史を感じる建物だ
AM11:01
美江寺宿本陣跡

市指定史跡
山本家が勤めていた本陣
建物は当時の物では無いが和風家屋が建ち現在も山本家子孫が住んでいる
残っているのは鬼瓦に手水鉢のみらしい
AM11:08
武藤家住宅
美江寺宿で一番宿場町時代の面影を保っているお宅
庭から生え出る樹木が情緒を醸し出している
AM11:12
美江寺千手観音堂

1833年に寄進された石造千手観音像を祀っているお堂
神々しさはないが安らかな顔です
AM11:17
新月橋
犀川に架かる橋
1667年勧進で築造されたのが文書での初見
この橋は何代目になるんだろう…
AM11:20
千躰寺
この寺には高さ12mから23mの桧材一木造の阿弥陀如来立像が千体が八段に並べ祀られている
仏像は千躰仏と呼ばれ寺名の由来となる
スッゲー見たかったけど本堂には鍵が掛かっていて見る事は出来なかった…
AM11:30
開蒙学校跡

市指定史跡
中国の敦煌の開蒙要訓から出た言葉で寺での教科書に使われた本だったのが由来
明治初期、日本各地に開蒙校とか開蒙舎という学校が次々開校した
とどのつまり小学校の始まり
本陣前にある
AM11:37
美江寺城跡

室町後期から戦国時代に掛けて美濃国守護土岐氏に属した和田氏の居城跡
十六条城とも呼ばれていた
現在は中小学校の敷地であり碑は校内に建つ為、近くで見学は不可能である
AM11:45
布屋

1696年創業の造り酒屋
建物は明治の物で濃尾震災にもビクともしなかったとか…
この日は定休日
PM0:08
赤坂宿

中山道五十六番目の宿場町
舟待ち宿として存在していた
杭瀬宿が発展した宿場町だが鉄道の開通とともに衰微していった宿場町だとか…
PM0:13
赤坂港跡

1900年初頭、川を交通の手段を主流としていた頃の川港は五百艘を超える舟が往来していたらしい
此処はそんな舟が出入りしていた川港跡
急に噴水が噴き上がった
PM0:15
赤坂港会館

旧岐阜縣警察赤坂第五分區屯所跡
復元された交番です
資料館にもなっているが土日祝日のみの開放
PM0:20
浅間神社
赤坂港会館横にある神社
とりあえず参拝しておく
PM0:21
矢橋たばこ店

懐かしい外観の煙草屋
ただそれだけなんですが…
PM0:24
赤坂ボランティアガイドセンター
まぁ〜ガイドを頼めるスポットなんだろう
店内には化石やら大理石等の壺等を展示している
どうやら赤坂宿は化石の産地らしいね
此処で散策マップを手に入れる
PM0:30
赤坂本陣公園

赤坂宿本陣跡を整備した公園
本陣としての面影はないが幕末の青年志士・所郁太郎の功績を顕彰した像や皇女和宮を偲ぶ碑が建つ
岐阜では中津川宿に次いで大きな本陣だったらしい
PM0:35
清水家住宅
大垣市景観遺産だとか…
PM0:36
赤坂宿道標

宿場の中心となる地に建つ道標
史跡中山道赤坂宿の碑も建つ
PM0:40
矢橋家住宅

これこそ景観遺産
玄関上には手形型の何かが飾られている
恐らく江戸時代のものだろう
風化して読む事は難しい
隣の監事家住宅も同様に手形型が飾られている
二軒続けての景観は実に素晴らしい
PM0:45
赤坂宿脇本陣跡

赤坂宿で唯一の脇本陣・榎屋
脇本陣を勤めていたのは飯沼家
問屋・年寄役を兼務していた家柄
現在も宿として営業を営み榎屋旅館の屋号を掲げている
PM0:50
五七
五七押寿司が名物らしい赤坂宿の土産屋
升も名物みたいで升はもちろん勝升ストラップなんかも売っている
PM0:55
お嫁入り普請探索館
和宮降嫁の際に大行列一行が宿泊する為に五十四軒の家が建て直された二階建ての珍しい建物を、お嫁入り普請と呼ぶらしい
此処はそんな普請であり無料資料館
しかし連絡してじゃないと見学出来ないので面倒臭い…
なのでスルー
PM1:03
所郁太郎生誕地
憂国の青年志士郁太郎さんが生まれた地
そう言えば手前の寺に墓もあったな…
PM1:06
お茶屋屋敷跡

1604年に徳川家康が織田信長の造営した岐阜城御殿を移築させた将軍専用の休泊所跡
お茶屋屋敷は中山道の道中四里毎に造営され周囲には土塁・空濠をめぐらし、その内郭を本丸といい、厳然とした城郭の構えであった
現在此処が唯一の遺構でその一部を偲ぶ事の出来る重要な遺跡であるとの事
ちょいと敷地内を散策してみる

PM1:13
古井戸跡

このお茶屋屋敷は1628年頃まで存在し将軍の旅舎にしようされていた
その際に多くの家来や供廻り行列人等が炊事等に使った井戸
今は埋もれて無い
PM1:16
大手門跡

お茶屋屋敷の正面入口
原初形態の本陣を偲ばせる空濠土囲等を構築した城廊形式の一部が現存している
PM1:19
ボタン園

お茶屋屋敷跡内にある園所
時期が時期だけに花は咲いていない
そんなボタン園の前に家屋があるのだがなんなんだろう…
PM1:31
勝山

海抜53mの丘陵
かの関ヶ原合戦において徳川家康が本陣を構えた山
天下分け目の決戦を制した家康が縁起を担いでこの名に改名させたらしい
元々は岡山
PM1:39
岡山本陣跡

そんな徳川家康が本陣を構えた場所
多分ここ…
PM1:45
安楽寺

聖徳太子創建の寺
徳川家の三ツ葉葵の紋を許された由緒ある寺院
石造供養塔群が俺的にはスポット♪

PM2:24
マックスバリュ垂井店
昼飯と晩飯を購入する
昼に巻き寿司、夜は鍋焼きうどん
最近鍋が続いているのだ♪
PM2:44
垂井宿

中山道五十七番目の宿場町
美濃一之宮である南宮大社の門前町として賑わった宿場町
また美濃路との追分宿としても大変賑わっていた宿場町らしい
この時間になるとスッカリ陽が傾く
PM2:45
相川人足渡跡

垂井宿の玄関口・相川は昔は暴れ川で度々洪水が起こっていた
その為、江戸時代初期から人足渡しによる渡川が主であった
川越人足は垂井宿の百姓が務め渡川時の水量によって渡賃が決められていた
一方姫宮や朝鮮通信使等特別大通行の時には木橋が架けられていたらしい
そんな現・相川橋
PM2:51
東見付

宿場入口に設けられ宿役人は此処で大名等の行列を迎えたり非常時には閉鎖していた場所
ここ東の見付から約766mに渡る垂井宿が広がり、廣重が描いた事で知られているらしい西の見付にいたるまでの宿場町
PM3:00
亀丸屋

旧旅籠屋
1777年に建てられた母屋と離れに上段の間を含む八畳間が三つあり浪花講・文明講の指定旅館であった
当時は南側に入口があり二階には鉄砲窓が残る珍しい造り
三百年近く続き今なお当時の姿を残して旅館として営んでいる貴重なスポット
鬼瓦に玄武が飾られている
PM3:07
たるい庵
おもてなし処及び観光案内所
色々スポットを教えてもらうがおもてなしはなかった
PM3:15
問屋場跡

金岩家が務めていた問屋場
問屋場には年寄・帳付・馬指・人足指等がいて荷物の運送や相川の人足渡の手配もしており庄屋等も兼ねていたらしい
PM3:17
丹波屋

松井家住宅
なんとも重厚なズッシリとした構えの家
当時の面影の少ない町並みで一際目立つ漆黒の旧家
見応えあります
PM3:22
石鳥居前

南宮大社大鳥居の前の通りが凄い
たぶん蔵なんだろうが、これは時代を感じる♪

PM3:26
商家

1817年に建てられた油屋卯吉宅
当時は多くの人を雇い、油商売を営んでいた
明治以後、小林家が部屋を改造し亀屋として旅籠屋を営んでいた
土蔵造りに格子を入れた宿場町時代の代表的商家の面影を残す貴重な建物
PM3:33
西見付

安藤廣重がこの付近から西を見て雨の降る中山道松並木の中を大名が行列をつくり西の見付へ入ってくる様子や本陣からの出迎え、茶屋の様子を左右対称に描いたスポット
この浮世絵は傑作らしい
PM3:42
長屋氏屋敷跡つばき

鎌倉中期頃から戦国時代に掛けて垂井にいた豪族長屋家が住んでいた屋敷
太平記ゆかりの地であり足利尊氏滞在の屋敷跡らしい
そこに残った椿は町指定天然記念物である
PM3:44
西清水
天保年間の垂井宿宿並図には脇の道に手洗い道と記載されていた手洗いポイント
現在は鯉や小魚が泳ぐ
PM3:46
本龍寺

脇本陣から移設したと伝わる山門や書院の玄関を持つ寺
松尾芭蕉も訪れた事もあり唄を残している
作り木の 庭をいさめる 時雨かな
PM3:53
長浜屋

旧旅籠屋
1831年、十三代将軍に嫁ぐ有姫ら総勢3200名が垂井宿に宿泊した際に御輿担ぎ、23名が泊まった歴史のある旅籠屋
やがて衰退と共に酒屋となり2000年迄営業していたが現在は垂井宿の歴史と文化を守る会として修理を施して開放している
土日祝日のみだが…
PM3:56
垂井の泉

岐阜県名水50選に選ばれた湧水
幹回り八mのケヤキなどの名所も集うスポット
垂井の地名は此処から来ている



どうやら過去に訪れた事のある場所らしい
見覚えがあるもん
PM3:57
裏清水

垂井の泉の湧くすぐ側の路地に湧く清水
めっちゃ綺麗な水が湧く♪
垂井一の湧水かも
PM4:01
古清水
地元の人々が当番制で守ってきた清水
沢蟹が棲む程綺麗だ
ただ場所が分かり辛い場所に湧く…
PM4:07
垂井宿本陣跡

栗田家が勤めていた本陣
明治維新後、学習義校となり役場となり現在は更地となっている
標柱だけでかなり分かり辛く、行きの際に見落としておりました
PM4:24
タルイピアセンター

図書館と歴史民俗資料館が一緒になった無料スポット
おもてなし処たるい庵で教えてもらった企画展美濃路を観る為に訪問
行き交うヒト・モノ・ドウブツ 江戸時代の国際道路とサブタイトルが付いた展示物
美濃路七宿に御茶壷道中、像・駱駝が初めて日本に輸入された道中記等々面白い展示物目白押し
童謡のずいずいずっころばしは御茶壷道中の事を唄っていたいた事にビックリしました
常設展示室では縄文時代からの垂井の歴史を観る
その中にはもちろん宿場町時代の歴史も含まれている
旅籠亀丸屋のジオラマでは垂井街道絵巻が観れる
他にも半兵衛物語や垂井ゆかりの寺院や祭り・スポットを紹介したビデオが観れる
宿場町時代の資料を観れただけで満足♪
PM5:18
アミ
垂井町のショッピングプラザ
値引き弁当を買っちゃった
PM5:57
ヤドカリ帰還

今宵は垂井宿に流れる相川の畔にある無料駐車場でP泊
鍋焼きうどんでおでん加えて、鍋
おじゃる丸に忍たまを視て、バラエティ視てのんびり晩酌
翌日のルート等も考えず、のんびりマッタリ宅呑みの如く晩酌

日中は暑い岐阜県だが的陽が沈むとやっぱり冷えるね〜
太陽って素晴らしい♪
サンバルカンもそんな事を歌っていたなw

この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

よろしければサポートよろしくおねがいいたします クリエイターとしての活動費にしたいと思います