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文学の森殺人事件 エピローグ

 私たちが『西園寺探偵事務所』に帰宅したのは夜の十一時過ぎだった。西園寺は約六時間で事件を解決した訳だが、その割にはどこか顔色が悪かった。とはいえ、尊敬していた二階堂ゆみが殺害された事実を受け止められないのは誰だって同じだろう。気掛かりなのは大島徹と名和田茜のことだ。彼らは赤羽雄一と三木剛という例えようのないクズのせいで、事件にかかわってしまっていたのではないのか? 特に大島は二階堂ゆみを尊敬していて、彼女のような作家になるために上京してきた苦労人だ。そんな彼が嘘の供述をしていたと思うと胸が痛んだ。もし彼に更生の余地があれば、充分に罪を償ったあとで構わないのだが、お互いに大好きな小説に囲まれながら談笑したい、と思った。
 応接間で疲れた顔をしていた私たちに手作りのクッキーを焼いてくれた橘小豆は、
「大変な事件に巻き込まれたと聞いています」と言った。
「これからニュースにもなるだろうけど本当に不可解な事件でしたね」と私は言った。「少なくとも立壁さんに罪をかぶせた赤羽雄一は許せません」
「七人全員が共謀して事件を犯したという事実には驚かされた」西園寺は言った。
「人は自らの意思で人を殺めてしまわなくとも、怨念が大きければ大きいほど殺人に近付くという事実に驚いています」私は人間と言う生き物には誰しもが本能で殺人を犯してしまう可能性があると思った。あるいは行動に出さないだけで、誰しもが殺してやりたいと思う、人間の一人や二人いるのだろう。それは人間らしい生活が送りづらくなっている現代社会の闇を感じさせることでもある「だが、人を一度殺めてしまうと一生業を背負わされます」

 西園寺はため息を吐いた。
「皆さん、疲れたでしょう? 今日はもう仕事のことなんか忘れて下さい」と橘小豆は言った。
「しかし」
「本当に残念だ」
 私たちが口のするのは事件のことばかりだ。橘小豆はどんよりとした暗い気持ちに支配されている私たちを気遣い、西園寺がこれまで解決した事件に言及し始めた。確かにひとつの事件に気を落としていたら、探偵など務まらない。そのことは十分に理解しているが、この日は夜遅くまで眠れなくなるだろう。いつもの私は『西園寺探偵事務所』の仮眠室で睡眠を取っている。私は独身で妻も子供もいないために、ここに住んでいる。とはいえ、私は西園寺さんとこうやって話しているのが、気の合う同僚や上司に愛されているという事実が、誰よりも光栄に思ったし、これからも彼らと行動を共にしたいと願った。

 三ヶ月後、X刑務所から私に宛てて一通の手紙が届いた。
 
 大島徹からだった。

 私は自分が犯してしまった過ちを悔い改めています。どのような事情があるにせよ人を殺す計画に参加したのは間違いでした。私は自他共に認めるほど頭が悪くて、取り立てて特別な才能も持ち合わせていません。自分に特別な才能がないのは嫌ほど理解しています。初めて小説を出版社に送って、不採用の通知を受け取ったあの日からずっと変わりません。私は赤羽の言うとおりに動かされて罪を犯してしまいました。と言うのも、立壁さんも名和田さんも、二階堂先生に恨みを持っていたのは事実ですが、殺人を共謀するほど身勝手でもなければ、狂ってもいません。もしかしたら自分にはない才能がまやかしだったのが許せなかっただけなのかもしれません。私の演技は臭くて、人を騙す側の人間というよりむしろ騙される側の方が向いていると思います。プロになったら一番のファンになってやる、と言ってくれたスコットさんのことを思うと胸が痛みます。私はどうしようもない馬鹿です。こんなことを言うのは自分勝手ですが、仮釈放された時に一度だけ会ってくれませんか? そして私の顔を思いっきり殴って下さい。そこまでしないと私の気が済みません。もちろん手加減はなしでお願いします。

             親愛なるスコット・ジェファーソンさんに   大島徹

 大島が仮釈放されたら一度だけ会ってやりたいと思ったのは、彼の犯した過ちを見過ごせなかったからかもしれない。彼は汚くて、不細工で、甲斐性なしで、何の仕事もできない人間だ。だが、ほとんどの人が大島側の人間だ。大島のように何も出来ない人物を放っておけない。これは私の空論かもしれない。大島の顔を思いっきり殴っても、彼のことは嫌いにはなれないだろう。彼と同様に立壁由紀や名和田茜もまた主体性のない、集団心理に動かされた、馬鹿で頭の悪い、可哀想な人間なのだ。
 私は大島からの手紙を読みながら、橘小豆が淹れてくれたコーヒーを飲んで、また次の事件へと突き動かされるであろう、西園寺一に付いていこうと決めたのだった。            

 

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