生きたいのに死のうとする現象

前回の記事で書いたこと。

夫の躁鬱に振り回されていること。

あれから、夫は通院している精神科医に、アルコールを飲んでしまっていること、薬をもう4ヶ月を飲んでいなかったこと、そして万引きをしてしまったことを全て先生に話そうと思う、と話しかけてきたため、少し話を聞くことにした。

働きたい理由

アルコール依存症は、
「酒が好きすぎて飲みたい!やめられない!」と言うことが直接的な原因になることは、私は少ないと感じる。

夫は現に、アルコールを飲みたいのではなく「飲まなきゃいけないようなストレスがある」と言うこと。つまり、飲まなきゃやってらんねー状態。

その根っこをほじくると、仕事のことでのストレスがあるようだった。

夫は現在働いていないが、障害年金受給のおかげでなんとか暮らせている。

発達障害による「生きづらさ」が「働きにくさ」にもつながると思う。そのせいで、働けない、となってしまう。

これだけの原因で済めば「だったらずっと障害年金受ければ?」と思うし、夫が望むのなら離婚して(と言うかする予定だが)、生活保護にでもなってもらって、一生働かずに幸せに暮らしてくれればいい。

しかし、夫は働きたいのである。
いや、言い換えれば「お給料を得て、そのお金で海外旅行に行きたい」だそうなのである。

夫の場合は働かず家にいてのんびり、と言うことがゴールになるわけではなく、「仕事をしてその給料をやりくりしたお金で海外旅行に行く楽しみが欲しい」と言うことだ。
もちろん、不労所得があれば「働いて給料を得る」と言う手順は不要だと思うけれど、現実的ではないから、ね・・・。

とはいえ、男性は社会的欲求が強い生き物だし、「働く」と言うことは重要なのかもしれない。

ちなみに、アルバイトやフリーターじゃダメなのか聞いてみたところ、正社員の方が福利厚生もあるので正社員がいいだそう。

九州か東京か

そして、今悩んでいることは、

  • 九州に戻って療養する

  • 東京で仕事を探して働く

のどちらか、だそうだ。

今まで長年この土地(関東)にいて、仕事をうまく続けられなかった。それでも「働いてお金を稼ぐ」と言うことを諦めきれず、ちょっと前に面接に行って、内定をもらったのだという。

私はこの時点で、もはや「躁鬱」とか「アルコール依存症」の問題ではなく、この人の問題は「働く」と言うところにあるのだと再確認した。

躁鬱やアルコール依存があるから働けないのだと思っていたのだが、働けないからそういった症状が出るのか・・・そして皮肉なことに、発達障害だから働きにくい。

この数年間、「正社員で働く」と言う夢は叶ってない。

夫の場合、職場の人間関係が合って、仕事内容も合えば「通い詰めて働くこと」自体は苦ではないそう。数打ちゃ当たると言う言葉があるが、それにしても当たる確率が低いと思う・・。

もう一つの九州に帰ると言う話は、
単純に九州が故郷だから。

私は、九州に帰ってしばらくゆっくり療養して欲しいと思った。心も体も。アルコールのせいでボロボロだろうし。
しかし、話す中で考えてみると、
躁鬱やアルコールのトラブルは、ストレスの原因となる根っこを安定させないと、改善しないのかもと思った。

生きたいのに死のうとする現象

話を聞いていると、夫は生きたいのだと思う。

正社員になってコツコツ勤務し、給料をやりくりして海外旅行に行くのが理想だという。そんなふうに考えている人が死にたいと思うわけがない。

しかし、その理想がなかなか叶わないせいでストレスが溜まり、それを解消するために薬やアルコール漬けになって、寿命を縮めている。

なんだか最近、こういう現象が世の中に多い気がする。

理想があるんだけど、叶わないから死にたい。みたいな。

理想って、それは「生きる」ってことであるのだと思う。でも、それが手に入らないとストレスが溜まって、死にじわじわ近づくのってなんだか矛盾している気もする・・・。

この現象が増えたのは、情報社会のせいか?

今はありとあらゆる情報にアクセスできる。それは、行動する前から出鼻を挫いて、テンションを下げさせるのかも・・・

昔は新発売のゲームは攻略本がすぐに出なくて楽しみがあった。(ネットが主流じゃない時代)
自分でプレイして遊んで試してみるしか、「これこうやったらどうなるんだろう?」と言う好奇心を満たせなかった。

でも今は、攻略本なんかなくたってスマホひとつで全部答えが出る。

実際に私も気になるゲームがあってついネットで情報を調べてしまったり、もう他にクリアして調べ尽くしている人のブログやSNSなんか読んだりすると、たちまち興味が失せてしまうのだった。

「なんとなく先々が見える」と言うものは、人を無気力にするのかもしれない。

今の時代、「好きこそ物の上手なれ」と言う人はだんだん一握りになっているように思う。

それは、挑戦する前からなんとなくやった気になれるから。Youtubeでもなんでも自分よりもっと完璧にやっている人のものを見るだけで、「自分だったらこんなにうまくやれないしいいや」みたいに諦めにつながる気がする。

夫の悩みもこれに近いのかもしれない。

なんとなく、先々を見据えてしまいすぎることによる、無気力・・。

考えるばかりで行動が伴わない。

考えている方が、楽だから。

晴れない霧の中にいる

夫は「働きたくても働けない」と言う状況にずっと悩んでいる。

そのストレスから躁鬱やアルコール依存症になり、死に急ぐ。

私はその二次災害を受け、離婚に向けてまずは別居として、実家への引越し作業を進めている。

言い換えてみれば・・・私のことなんてどうでもいいのかもしれない。

自分の理想が叶わないのは、私のせいではないし、理想を追っかける前に、他に楽しみはないのか?と問いたい。
もしかしたら、正社員になって稼いだお金で一緒に旅行に行きたいのかもしれない。
でも私はそんなこと望んではいないし、散々苦労をかけられて、仮に旅行に行けるほどのお金ができたとしても「今更なんなんだよ!!!」と言う感想しか出ないと思う。

夫から愛を感じなかったっていったら嘘になるけど、
それでも、自分の理想を叶えることに精一杯なんだろうなーと思う。

私への愛情が欲しくて、安定した正社員(お給料)を手に入れて、海外旅行する・・・と言う理想を叶えようとした結果、
結局のところ離婚になって、私の気持ちも離れていって、体調も崩し、働くこともままならない。。。。

夫は全て失わないと気づかないだろうか。

叶わない理想を諦めるという手段はないのだろうか。

正直、私はこの人をサポートするくらいの余裕はもうなくなってしまった。

夫が理想を叶えることに必死なら、私も夫のことを見るのはやめて、自分のために時間や気力を使いたいと思った。


片付かない荷物。

仕事に対するストレスもあり、

夫もまたいつ躁になってやらかすか、わからない。

ここのところ無気力で、何もやる気が起きない。

やらなきゃいけないことがあるはずなのに、できない。

結局私も、夫と同じような罠にハマっているのかもしれないね。

理想は1日にして手に入るものではないし、今できることをコツコツするしかない。

18年一緒にいた夫(発達障害/躁鬱/アルコール依存症持ち)と離婚することになりました。離婚して新しい一歩を踏み出すまでを投稿します。