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あなただけの町 下/ナチョスの短編

先生をリビングの中に招き入れた。

マスクと防護服を想像していた私は、先生の格好にあっけに取られた。

ただの白衣姿でマスクすら着けていない。

流行病の検査でなかったとしても、マスクをしていないのは変だ。

「椅子に座って、マスクを外して、少し上を向いてもらえますか?」

「あっ、はい。」

先生の言う通りにすると、綿棒よりも細くて長いものを鼻の中に突っ込まれた。

「はい、いいですよー。」

マスクを付け直し、気になることを聞いた。

「先生はマスクしなくても大丈夫なんですか?防護服とか、その、着ないのも少しビックリして」

「あははは、ご冗談を。」

そう返した先生は、何事もなかったかのように検査を進めている。

何か嫌な違和感に襲われた私は話を続けた。

「いや、だって、先生が感染しちゃったら大変じゃないですか」

「いえいえ、そんな私の代わりなんていくらでもいるので、」

照れるように笑う。

「そう言う話じゃなくて、先生が感染して病院内で広がったら、最悪それで命を落とす人も出てきますよね!?」

私は怒りと呆れを含んで言った。

熱のせいなのか、怒りのせいなのか、体が急に熱くなる。

私の熱を冷ますように、手がひんやりとしたものに包まれる。

冷たい。

それは先生の手だった。

"生"を感じない手。

なぜ私の手を包むのか、なぜこんなにも冷たいのか、私は何が起こっているのかさっぱりわからなかった。

「最初は冗談かと思っていたのですが、どうやら本当にご存知ないようですね。ご心配はご無用です。私、人間じゃないので。」

そう言って微笑んだ。

言っている意味がわからない。

「え?」

「私、アンドロイドなんです。あんまり老人のアンドロイドってイメージないですか?」

アンドロイド。

「人間のお医者さんは今では全体の10%くらいですよ。だから言ったんです。私の代わりなんていくらでもいるんですよ。」

言葉が喉元でつっかえる。

しかし自分が何を言おうとしているかもわからない。

「いやぁ、この町で住んでいて気づかない方が難しいんじゃないですかね。よっぽど鈍感なんですね。」

人間であることを疑わせない苦笑いの機微。

「だってあなた以外、全員アンドロイドの町ですよ。ここ。人間はあなただけの町です。」

感染症に感染しているかなんてもはや関係なかった。

実際に関係がない。

私が感染していたところで、町に出ても誰にもうつりはしないのだから。

「体調が良くなって、町にお出かけになられる時に町民の耳たぶの裏を見てみてください。英数字の番号が入っていたら、それは人間じゃないので。あ、検査の結果が出ました。陽性ですね。お薬は、すぐに届きます。必要な食料品などはすでにスーパーから届いていると思いますので、しっかり食べて、薬を飲んで、寝てください。では。」

私は熱でうなされている間、この会話が夢だったのではないかと思えた。

熱の時に見る奇妙な夢だったのではないかと。

体調が良くなってから、町に出かけて一人ひとりの耳たぶの裏を見た。

見る人見る人、みんなに番号が入っていた。

それでもみんなはこれまでと同様に親切にしてくれたし、居心地も良かった。

私が見たいものが見れて、食べたいものが食べれて、話したい相手とだけ話せて、私の好きなもので溢れていた。

それで一体何の不満があるのだろう。

それからも私は、この町で一生を過ごした。

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