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全日本インカレ3000mSC

お久しぶりです。川瀬宙夢です。
本来ならば連載していた陸上アルバムの最終章として書く予定であった人生最後のインカレの結果報告でしたが、忙しさを言い訳に連載がストップしていました。順番通りに書いた方が読んでもらいやすいかもしれませんが今の率直な感情を少しでもリアルに残すためにも、今回全日本インカレの結果報告を書きます。

目標

まず今回全日本インカレに出場するにあたって、目標は表彰台に乗ること(3位以内)、タイムとしては8'50"00を切れれば良いと考えていた。
実際順位は出場してみないと分からないものの、練習の手応え的には8’50切りを狙える状態ではあった。練習、調整と問題なく、良い身体の状態で当日を迎えることができた。

当日は日差しは強いものの、競技場の中は日陰で暑さはそれほど気にならなかった。最初の1000mを2'55くらいで入り、次の1000mで落ち着き、ラスト勝負になると予想していた。

結果

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9/11 13:40〜 男子3000mSC
5位 8'52"74

通過タイムは2'58-6'00くらい-8'52だった。

レース展開

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スタートダッシュの周りの勢いが凄く、自分は少し集団から置いていかれた。僕は2'55ペースで行けばそのうち追いつくだろうと考えながら焦らず走った。

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先頭は三浦くん、そして2位集団に9人ほどおり、そこから3秒ほど後ろを走っていた。2周目に入り前の集団も落ち着いたのか距離が開かないようになりそのまま走った。1000mの通過が2'58くらい。思ったより通過が遅くなってしまった。

そのままのリズムで2000mを通過。前から10番目だったと思う。先頭の三浦くんは遥か彼方である。前の2位集団とは5秒差くらいだった。

ここまで差を開けるつもりはなかったが、後半勝負を意識し過ぎてしまい少し攻めきれない走りだった。そしてここで気が付いたのだが競技場内は日陰のためか思ったより体力は消耗していなかった。想定より体力が残っていたこと、前との差が大きかったことを踏まえて少し早いが2000m通過後から僕はギアを1段階上げた。

調子の良さからぐんぐんとペースアップでき、1周で順位を3つほど上げた。

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ラスト1周、もう1段階ギアを上げた。1人また1人と交わしていき、水濠を超えて4番まで順位を上げた。しかし早稲田大学の2人は遠い。

最後のラストスパート勝負で順大の森下くんに負けてしまい5位でのゴールだった。

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レースの反省

「序盤からもう少し前で勝負をしていたらなあ…」と、目標タイムにも順位にもあと少し届かず、むしろレース展開に課題が残る試合でした。
しかしなぜ序盤から攻められなかったのか。
一つはレース感とバードリングの技術、もう一つは集中力が足りなかったと思う。
最初のスタートダッシュで集団と距離が空きましたが、そこからなかなか差を詰めて行けませんでした。集団でない分障害は跳びやすかったですが、障害を自分のリズムで跳び続けてしまいました。結果、自分が走りやすかった3’00ペースでハマってしまいました。
そしてそこに気付けなかった集中力。本来であればタイムを見て修正をかける場面ですが、いつも通りができませんでした。今振り返ってみると、もしかしたら集中し切れていなかったのかもしれないなと感じています。

しかし後半勝負と割り切り、最初に集団に離されてから2000mまでひたすら自分のペースで刻み続けました。前との差を気にしすぎず、無駄な力を使わないように気持ちを切り替えられたのは良かったと思う。
ラスト1000mは自分でもよく走ったと思う。ラスト1000m、ラスト1周、ラスト150mとしっかり切り替えられた。特にラスト1周の障害は動かない足との戦いで、去年のように抜き足を障害に引っ掛けて転ばないか心配でしたがなんとか身体に対して足もついてきてくれ、しっかりと走り抜けらた。
最後のスパート勝負は実力負けだった笑

というわけで、序盤攻め切れなかった悔しさはあるものの、しっかりと走り切れた全日本インカレだった。
タラレバはあるが、それも後半しっかり走れたからこそ言えるものでなんだかんだ最善の走りだったのかもしれない。練習してきたことはしっかり発揮できたし、6年間の中で一番しっかりと走り切れた試合だったと思う。

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6年間の反省

さて、ここまでは全日本インカレについての反省を書いた。ここからは少し個人的な想いなども含めた反省を書いていきます。
自分の過去のnoteを読んでくださっている方なら知っていると思うが、僕は大学でインカレ入賞を目標に陸上部に入部した。しかし気がつけばなんだかんだと5年間、箱根駅伝に向けて練習していた。
無事箱根駅伝にも出場でき、そこまでの人生の選択に間違いはなかったと思う。しかし、自分の陸上競技人生に満足はできていなかった。
5年生で初めて全日本インカレに出場し、4位入賞できたが、有力選手の棄権や、そもそも自分自身の走りに納得が行かず、僕の気持ちが満たされることはなかった。

そのため今シーズン、いよいよ3000mSCに特化した練習が始まった。
箱根後はウエイトトレーニングなど、より楽にスピードを出せる身体作りに取り組んでいた。
しかしスピード練習をやり始めた3月末に疲労骨折をしてしまった。6月末まで疲労骨折で走ることができず、コロナウイルスの関係で思うようにも出歩けず苦しい日々は続いたがそれでも目標がブレることはなかった。6月末にようやくポイント練習に復帰でき、7月8月と本当にギリギリのラインでなんとか走りを戻してくることができた。
結果全日本インカレでは表彰台の目標は達成できなかったがなんとか入賞はでき、内容としても納得のいく走りをすることができた。

6年間の締めくくりのレースであった。怪我により最大限の準備ができたとは言えないが、その中での最善を尽くしてくることができたと思う。

まとめ

中学での敗戦を機に高校で、高校での敗戦を機に大学で陸上競技を続けてきた。次のステージでは勝つぞと、自分の可能性を信じて必死にしがみ付いてきた競技生活だったと思う。
自分自身に満足するのにここまで時間はかかったが、その過程でたくさんのことを学べたのも事実である。

本当にここまで頑張って良かった!!!!
走っている時間は苦しくてキツイが、走り終わったあとは達成感や爽快感に包まれているように、この長い競技生活も苦しく悩んだ時期の方が長かったが、節目節目に味わえた一瞬の達成感や喜びでここまで続けてこられたのかなと思う。

まだまだ書きたいことはあるのですが、週末にかなり重い試験を控えているので全日本インカレの反省はここまでにします。今後の陸上人生に関しては未定です笑
一先ず、全日本インカレ応援ありがとうございました!!

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また週1か2週間に1本くらいのペースでnoteの続きを書けたらと思うので、良かったら今後もnoteを覗きに来てください!!




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