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『おかえりモネ』と出会って魂が震える体験をしたその正体は…BUMP OF CHICKENの「手当て」+心に触れまくる藤原基央の歌詞の世界

モネたちを見届けたというより、見守られ続け、一緒に駆け抜けた、奇跡みたいな半年間が過ぎ、少しばかり喪失感を抱きつつ、感傷的な気持ちでBUMP OF CHICKENのアルバム『aurora arc』を聴き返した。

『おかえりモネ』の主題歌がバンプの「なないろ」だから、ドラマの世界がバンプっぽくても何も不思議じゃないけど、最終回を見たら、最後までまるで藤原基央の歌詞の世界だと確信し、改めてアルバムを聴き出したというわけである。
ということで『おかえりモネ』とBUMP OF CHICKEN・藤原基央との関連性について考えてみようと思う。(※思い入れが強すぎて、2万字以上と長くなりました。)

「わたしたち、距離も時間も関係ないですから」とモネが菅波先生に言うシーンで終わりを迎えたこのドラマ。バンプリスナーならすぐに気付くだろう。まさに「流れ星の正体」を彷彿させる。

時間と距離を飛び越えて 君のその手からここまで来た》
《お互いに あの頃と違っていても 必ず探し出せる 僕らには関係ない事

ドラマの最終話が「流れ星の正体」というタイトルだとしても過言ではない気がするほどフィットする。

そもそも24週目、最後の週が「あなたが思う未来へ」というタイトルだったことも興味深い。「記念撮影」はこんな歌詞で締めくくられているから。

《今僕がいる未来に向けて》
《その昨日の下の 変らない景色の中から ここまで繋がっている》

「空も森も海も水で全部つながっている」という繋がりを強調していたドラマだから、この辺も近いものを感じた。

「記念撮影」に関してドラマとリンクするシーンがいつくかある。そのほとんどが幼馴染たちが集合した場面である。

《曖昧なメロディー 一緒になぞった》 《終わる魔法の中にいた事》
《冗談と沈黙の奥の何か》 《面倒な本音を つっこんで隠していた》
《想像じゃない未来に立って 相変わらず同じ怪我をしたよ》
《迷子のままでも大丈夫》

この曲を聴いていると、震災前の学生時代、吹奏楽部で無邪気に演奏できていた若かりし頃の幼馴染たちの笑い声が聞こえてくるようだ。そして震災後、モネと幼馴染たちの間には見えない隔たりのようなものができてしまったけれど、再会すれば、泣いたり笑ったり、状況はみんな、あの頃と違うんだけど、なぜかひとつに戻れて、手を取り合えるという心地良い幼馴染マジックアワーが流れた。幼馴染が再会すると流れる魔法の時間…。気仙沼にてお盆の海のシーンもそうだし、東京やまた最後に気仙沼で再会するシーン然り…。特に三生の泣き顔が呼び起こされる。

「俺ら、もう普通に笑おうよ。」
「UFOは来たよ。だって俺見たもん。だから泣いたんだよ。」

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そして、三生の友だち思いの熱い心情だだもれ泣かせシーンはまさに「リボン」

《嵐の中をここまで来たんだ》《手作りの地図 大事に一緒に 使った》
《側にいる事を選んで 今側にいるから 迷子じゃないんだ》

※これは未知が「わたしが側にいる」と言い、決して亮をひとりにしないと誓った心情ともリンクする。

《指差したUFO すれ違った野良猫》
《心で正面から向き合えるよ 僕らを結ぶリボンは 解けないわけじゃない 結んできたんだ》
ここはどこなんだろうね どこに行くんだろうね 迷子じゃないんだ》
《泣いたり怒ったり笑ったりの全部で》

三生の感情のこもった台詞や、手を繋ぎ合い、「手なんか繋がなくたっていい。」と手を振りほどくシーンで、私の脳内では「リボン」が流れ続けていた。

「Aurora」は百音の唄ではないかと思えた。

《もうきっと多分大丈夫 どこが痛いか分かったからね》
《正義の味方には見つけて貰えなかった類》
《溜め息にもなれなかった 名前さえ持たない思いが 心の一番奥の方 爪を立てて 堪えていたんだ
《大切にするのは下手でも 大切だって事は分かってる》
《そういう闇の中にいて 勇気の眼差しで 次の足場を探しているだけ》
《ああ、なぜ、どうして、と繰り返して それでも続けてきただろう》

百音が登米で川にかかる朝霧の中、朝岡さんやサヤカさんに自分のつらい胸の内を吐き出す場面、未知に「お姉ちゃん、津波見てないもんね」と言われ、涙を流す場面、百音の瞳から溢れる涙の奥、深い傷の中にはいつもこの楽曲を思い浮かべることができた。

「アリア」はモネと同級生たち、または百音と未知、モネと百音を鏡のように映し出した曲だと思う。

《同じものにはなれない 抱えているうちに 迷子になったよ》
《僕らはお揃いの服を着た 別々の呼吸 違う生き物》
《見つけたら 鏡のように 見つけてくれた事 触ったら 応えるように 触ってくれた事》
《何も言えなかった 何を言えなかった》
《もう痛まないけど 治らない傷
《名前を呼んでくれただけで 君と僕だけの 世界になったよ》
《一度でも 心の奥が 繋がった気がしたよ》

この曲を聴いていると、言葉にならない悲しみを秘めたまっすぐな亮の眼差しや、未知が「お姉ちゃん」「モネ、モネ」(幼少期)と、モネが「みーちゃん」と何度も言う光景が思い出される。どこか似ていても、どんなに分かり合おうとしても、誰も《同じものにはなれない》寂しさが切ない。

「アンサー」では

《本当の声はいつだって 正しい道を照らしている なんだって疑っているから とても強く信じている》
鈍く残った痛みとか しまってしまった思いとか》
失くしたくないものを 見つけたんだって気付いたら こんなに嬉しくなって こんなに怖くなるなんて》
《小さな肩 震える今 それでも笑った》

とあり、この曲もドラマの世界を代弁しているように感じる。モネの心のようであり、菅波先生の心のようでもあり…。特に菅波先生がモネの心の痛みを聞き、肩に触れて「手当て」しようとしたけれど、できなかったあのもどかしいシーンが思い起こされた。

「望遠のマーチ」からは三生や亮の心情を感じられる。

《嘘と本当に囲まれて 逃げ出す事もままならないまま》
《本気で迷って 必死にヘラヘラしている》
《希望 絶望》 《死んだような今日だって 死ねないで叫んでいる》
与えられた居場所が 苦しかったら そんなの疑ったって かまわないんだ》

亮も三生も自分の運命から逃れられず、ずっとあがいていた。自分の人生を模索しながら、本当の居場所を探していたから、彼らの曲のように気がしてならない。

「Spica」は未知と亮の唄だと思った。

伝えたい事 言えないまま 消えたらと思うと怖くなって》
《手をとった時 その繋ぎ目が 僕の世界の真ん中になった》
《約束が生まれた時の 笑った顔が嬉しかったよ》
終わりのない闇に飲まれたって 信じてくれるから立っていられる》
《汚れても 醜く見えても 卑怯でも 強く抱きしめるよ》
どこからだって 帰ってこられる いってきます

亮の船がまだ戻って来ていない時、心配した未知が「まだ何も話せていない」と泣き出しそうなシーンや、亮と一緒にいて笑顔の未知、終盤二人の思いが通じ合って、喫茶店で抱きしめ合っているシーン、最終回で亮が未知に向かって「行ってくる」と自分の船から手を振るシーンなど、未知×亮の場面にはこの曲がしっくりする。

「新世界」はベタだけど、モネと菅波先生の唄に思える。

《君と会った時 僕の今日までが意味を貰ったよ》
《いつの日か 抜け殻になったら 待ち合わせしようよ》
《昨日が愛しくなったのは そこにいたからなんだよ》
《どんなに遠く離れても 宇宙ごと抱きしめるよ》

菅波先生もまたモネと同じように、言えない過去、癒えない過去を引きずっていて、他人と距離を保って、静かに生きていたように見える。でもモネと出会って、自分の過去とも向き合って、自分の痛みの原因となった相手とも和解し合って、相手に許され、過去から解放されたら、少しずつ愛らしい性格に変わっていった気がする。モネに対してもいつの間にか「手当て」できるようになっていたし、菅波先生ほど劇的に性格が変わったように見える人は他にいないのではないだろうか。ドラマの中で、みんな成長したけど、なぜか菅波先生がダントツで変わったように見えるから不思議だ。実はそんなに変わっていないかもしれないのに。人に対する思いやりを隠していただけで、そもそもやさしい人なのに、モネという存在と心を共有し合ったおかげで、本来のやさしい菅波先生が見られるようになった気がする。

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「話がしたいよ」もまた、『おかえりモネ』の本質を兼ね備えている。

《バスが来るまでの おまけみたいな時間

気仙沼のバス停で亮に見送られながら、モネがバスに乗ったら、菅波先生がいたというあのバスの名シーンはまさに「話がしたいよ」の世界。あの頃は二人の間にはまだ距離があったから、話がしたいよというより、どうやって話をしようかみたいなぎこちない間があって、そこがまた良かった。

《君の苦手だった味》※これは菅波先生の苦手だった牡蠣
《君がここにいたら 君がここにいたら 話がしたいよ》
《どうやったって戻れないのは一緒だよ じゃあこういう事を思っているのも一緒がいい》
《抗いようもなく忘れながら生きているよ》
《鼻で愛想笑い 綺麗事

特にこの曲は新次の心境も物語っていると思う。
「元に戻ろうとしても、どうがんばっても戻せないものがある。」だから、自分はもう船には乗らないんだと亮に告げたシーン。新次が美波と話したくても話せない、亮が漁で成果を上げても、息子のことを喜び合える「話す相手がいない」と言って、酒に戻ってしまった時の新次も今思えば、まさに「話がしたいよ」の世界だった。

美波がいないという現実から逃れたくて、忘れたくて酒に溺れた新次。どんなにアルコールの力を借りても結局、元には戻せないし、完全に忘れることもできないし、「立ち直れない」ではなく、「立ち直らねえ」と言い放った時の新次の気迫は役者魂を感じた。でも、亮が悪天候で海から戻って来られなくなった夜、美波に「頼むから、亮を返してくれ」と祈った自分自身の行為によって、美波がすでに亡くなっていることを受け入れている自分がいるということに新次は気付いた。その時から新次は囚われていた何かから解放され、「死亡届」に印を押すという流れにもって行ったあたりが、山場だったし、圧巻だった。

もちろん新次と亮、美波親子を語る上では、そもそも作中で使用された中島みゆきが作った「かもめはかもめ」という名曲が鍵を握っていたが、「話がしたいよ」も新次の心情を表していたと個人的には思う。

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『おかえりモネ』の中では何度も「綺麗事」という台詞が使われ、「綺麗事」がキーワードのドラマだったとも思う。モネが「誰かの役に立ちたい」と思うことは結局「自分のためじゃん」と東京で莉子に暗に綺麗事と言われたり、気仙沼に戻ってきたモネに対して亮が「綺麗事にしか聞こえないわ」と言い放ったり、モネの職場にふらっと来たまるでかつてのモネみたいな赤いマフラーの中学生まで気象予報士を目指した理由が「綺麗事っぽい」と言ったり…。そして最終回直前、モネが未知に対して「綺麗事で何の役にも立たないかもしれないけど、みーちゃんが思い出す度に私は言う。みーちゃんは悪くない。」とモネ自身まで「綺麗事」を発した。

そもそも被災地に寄り添う、被災した人や傷付いている人を慰めようとすること自体が「綺麗事」かもしれないという提起。相手のためだけじゃなくて、自分のため、自分自身を救うために「綺麗事」を言うのはどうかと思うというのは案外よくある話かもしれない。相手が自分自身であれ他者であれ、「助けたい、救いたい、慰めたい」と思うこと自体が「綺麗事」と捉えられがちな、息苦しい現代社会の負の側面を表していたように感じる。

しかし結局は「綺麗事」でもどんな手段でもいいから、「誰かの役に立つ(と信じて続けること)」「誰かを救おうとすること」は誰かがしなきゃいけないことだし、誰かが助けを求めていたとしてそれに気付いていても何もせず黙って見ているだけの部外者でいるよりは、手段がちょっとズレているとしても真っ先に手を差し伸べることのできる人がいてほしい、そういう人がいる社会の方がいいということをこのドラマを通して教えられた気がする。

綺麗事というのは、前向き、ポジティブという言葉との関連性もあると思うのだが、「正しくて、明るくてポジティブで前向きであることが、魅力にならない世界なんてクソです」と耕治と出会ったばかりの頃の亜哉子が発した台詞にも通じるものがあるだろう。つまり「明るくて前向きで綺麗」というのは「お日様(太陽)」を表現しているとも考えられる。

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私自身もそうだが、近年はどうも見るからに明るく前向きなものに対する嫌悪感のような気持ちが増えているように感じる。明るすぎるハッピーなものに近寄り難さを感じるというか…。音楽もそうで、人生の応援歌みたいな明るく前向きな曲が多い、ドリカムやゆずが苦手と感じる人が少なくない時代になった気がする。
でも『おかえりモネ』の中では、暗さなんて少しも感じられないそんな明るいものを丸ごと肯定していた。『おかえりモネ』が全体を通して、暗いイメージがあるにも関わらずである。「綺麗事」がないと、生きられない人もいる。夏の暑苦しい「太陽」だってなきゃ、生き物は生きていけない。明るくて前向きな性格の耕治や美波、それから莉子あたりもそうだろうか、明日美や菜津も陽だまりのような性格だ。ただ人を喜ばせようと愛想をふりまいているだけだとしても、そういう人もいないと世の中は回らない。しかも実はそんな明るい陽キャラに見える人たちだって、内心思い悩んでいることはあったりするし。そもそもそのただ明るいだけの自分自身に悩んでいたり…。

「明るい光、明かり、希望が見えない、それらを信じられない世界なんてクソ」ということを伝えたかったのではないだろうか。そのために「綺麗事」発言が何度も登場したように思える。そもそも、災害時、被災地に入って、被災していない人たちが助けようとしたら、被災者から「綺麗事」って思われる場合もあるけど、だからって誰も被災地に駆けつけなかったら、救援はどんどん遅れてしまうだろう。「綺麗事」って思われることを恐れずに駆けつけ続けてくれる前向きな太陽みたいな人たちがいてくれるから、救われる場合もあるのだ。そういう人たちがいてくれるから、こうして社会は続いて来られたんだと思う。

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「綺麗事」を前面に出しておきながら、一方で、その真逆な「暗さ、闇、夜」も『おかえりモネ』は決して蔑ろにしない。バンプの曲の話に戻り、最初にも述べた「流れ星の正体」について考えみることにする。

《いつも迷路 終わらないパレード 止まったら溺れる ゴールなんてわからないままで いつまで どこまで》
《どれくらいざわついていてもひとり》 《変わらなくて変われなくて》
太陽が忘れた路地裏に 心を殺した教室の窓に 逃げ込んだ毛布の内側に 全ての力で輝け 流れ星》

というように、陰キャラの《誰かの胸の夜の空》も大切にしてくれるのがこのドラマの醍醐味である。前向きで明るい太陽みたいなキャラも大切に描きつつ、社会からこぼれ落ちてしまうそうな、何ならそんな人はいないことにしてもいいと排除されてしまいがちな人たちのことも、丁寧に描き切ってくれた。

アル中で警察沙汰も起こしていた新次、社会に馴染めず部屋にひきこもって生活している姿を見せない宇田川さん…。太陽なんて感じないまま、他者になかなか理解してもらえない寂しさを抱えながら自分だけの世界で、ひっそり暗闇の中で生きている人たちのことも決して見放すことはなかった。

新次は亮やモネたち家族、周囲の人たちのサポートが実って、元には戻れないとしても、未来に向かって少しずつ歩み出すことができるようになった。しかし宇田川さんの方は、一貫して社会に顔を見せることないまま、最終回を迎えた。ひきこもりの当事者のリアルな姿が描かれていた。宇田川さんにも支援者がいて汐見湯の菜津家族のおかげでなんとか生活はできていたけれど、汐見湯に客がいない時間帯の夜中に浴場の掃除をするのがやっとで、部屋からは出られない様子。「流れ星の正体」の《逃げ込んだ毛布の内側に》が宇田川さんの気持ちをそのまま表しているようで、宇田川さんのテーマソングのような気さえする。

でも部屋から出られないとしても、社会の誰かとつながることは可能というひきこもりの人も希望を持てる夢のあるやさしい設定だった。お祝い、応援など事あるごとに達筆な宇田川さんが「文字」を書いて、誰かにエールを送っていた。宇田川さんの心がモネたちの元へ届いていた。暗い夜空にきらめく一筋の流れ星のように…。

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伝えたい気持ちが生まれたら 生まれた証の尾を引いて 伝えたい誰かの空へ向かう》

文字だけでも社会と繋がれるという可能性を示してくれた。モネが気仙沼に戻る時は、宇田川さんが描いたという絵画もプレゼントされた。その絵はまるで、印象派の画家・クロード・モネの絵画を彷彿させる柔らかなタッチの海や空を描いた作品だった。
少し話は逸れてしまうが「モネ」という名前には複合的な意味があって、最後に明かされた未知がお姉ちゃんと百音を合わせて「モネ」という名前になったこと、それから登米(伊豆沼など)で蓮の花が有名だから「水連」の絵を描いたクロード・モネも由来ということ。他にも気仙沼の牡蠣の養殖地の地名も関係しているらしい。百音ということだから、たくさんの音を奏でられるとか、たくさんの人の声を聞ける人という意味もあるかもしれない。

ラジオを通して「声を聞かせてください」とモネが言っていたけれど、「新世界」の中には《声を聞かせてよ》という歌詞もある。「新世界」はモネ×菅波先生の世界だけでなく、モネ対ラジオのリスナーつまりすべての地元の人たちの世界とも読み解くことができるかもしれない。「新世界」は単純な恋愛ソングではなく、「All You Need Is Love」みたいな万人に対する人間愛を歌っているらしいので、モネがすべての人たちに捧げようとしている愛もこの曲からは感じられる。

宇田川さんの話に戻って、つまり社会から疎外されているような人も、ちゃんと社会の一員で「自分が居られる場所で、自分ができることをすれば大丈夫」というメッセージが込められていると思う。耕治や菅波先生が「それぞれがそれぞれの場所で持てる力を発揮すれば案外うまくいく」みたいな発言もしていて、それは宇田川さんや新次など、社会的に問題児とレッテルを貼られてしまっているような弱者に対して、愛のある言葉だったと感じる。私自身、太陽みたいな明るいキャラではないし、社会貢献できている人間でもなく、宇田川さん寄りの人間なので、この言葉にはとても励まされた。

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『aurora arc』に収録されている楽曲については一通り、言及できた。
《どこから いつからも ただいま おかえり》「シリウス」は言うまでもないだろうか。まさに『おかえりモネ』が伝えたかったことだろう。「流れ星の正体」の《時間と距離を飛び越えて》と似た意味を持っていると考えられる。

このアルバムを引っ提げてバンプのライブ、『aurora ark』ツアーというのがあったのは記憶に新しいと思うが、そのツアーで象徴になったのが大きな船だった。だから最終回に「俺の船だ」と亮が自分の船に乗って言った言葉もまた、バンプに通じるよなと妄想を繰り広げてしまった…。なんというか、『おかえりモネ』ってみんな誠実で真面目でまっすぐだけど、どこかひねくれていて不器用で臆病で繊細で、まるで藤くんみたいに思えるんだもの…。正確には藤くんが歌詞の中で描きがちな人物という意味だけど。もっと簡単に言えば、『おかえりモネ』のテーマの裏方主人公が藤原基央だった気がしてしまう。(特に後半の菅波先生が藤くんの人柄に近い気もしたし。)常に温かくやさしく包み込んでくれて、時々痛みやトゲが出現するけどなぜかほっとできるこのドラマの世界の正体は藤くんだったのではないかと私は思う。
『aurora ark』ツアーのその先に、『おかえりモネ』というドラマが生まれたと言っても過言ではないだろう。幼馴染たちの関係性なんて、まんまバンプのメンバーに見えてしまう。だから「リボン」や「記念撮影」がドラマに馴染むのだろう。

亮の「俺の船だ」に関しては、「俺の人生だ」と置き換えることができる。自分の船を持ちたいと新次と話していた時、「おやじに船、乗ってほしい。おやじを元に戻すことが俺の生きてきた目的だよ」と言う亮に対して、「それではおまえの人生でない。おまえは自分の船でやりたいようにやれ(自分人生、好きなように生きろ)」と新次が諭す。つまり亮はずっと自分の人生ではなく、新次の人生を生きていたと言える。新次が船に乗ろうとしないから、乗ろうとするまで自分が乗る、何が何でも漁をし続ける(自分が新次の人生の手本を示す)と亮は、本当は新次に生きてほしい人生を自分の時間の中で代わりに生きてしまっていたのだ。だから時々、息苦しくなってしまったのかもしれない。自分が本当に歩みたい人生ではない気がして…。けれど亮は自分の船を持ち、誰のためでもなく自分のために、誰の人生でもなく自分の人生を生き直そうと決心した上で、「俺の船(人生)だ」と言ったのだろう。あの短い言葉の裏側にとても深い意味がはらんでいる気がした。

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※長沼の風車は後ろから眺めると、まるで空に浮かぶ巨船に見えます。

『aurora arc』に限らず、バンプの他の楽曲も『おかえりモネ』の中に散りばめられていた。
モネが登米から離れ、サヤカさんの大切にしていた切り倒したヒバの木の根元に小さな新しい芽が生えていた感動的な山のシーンには「ハルジオン」が合っていた。

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《いつの日も ふと 気付けば 僕のすぐそばで》
生きていく意味を 失くした時 自分の価値を 忘れた時》
《枯れて解ったよ あれは僕のタメ 咲いてた》
《気付くのが 遅くて うなだれた 僕の目が 捕えたのは 水たまりの中の 小さな芽 新しい芽》
生きていく意味と また 出会えた 自分の価値が 今 生まれた》
《枯れても 枯れない花が咲く 僕の中に深く 根を張る》

まさにサヤカさんの心情そのものを歌っているように感じる。
ヒバの小さな芽に気付き、彩雲を見つめながら、「山の神さま、いや海の神さまでも空の神さまでもいい。どうかあの子に良い未来を。」と願ったサヤカさんの感極まる名シーンがこの曲を聴けばすぐに蘇ってくる。

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「正しいけど冷たい」という台詞など、「正しさ」もこのドラマの中でポイントになった。
《ヤジロベエみたいな正しさだ》という主題歌「なないろ」だけでなく、バンプの曲は元々「正しさ」「正しい」という言葉が多い。

《選んできた道のりの 正しさを 祈った》
《不器用な 旅路の果てに 正しさを祈りながら》「ロストマン」
《響いたら正しい矢になって戻ってきた》「コロニー」
《本当の声はいつだって 正しい道を照らしている》「アンサー」
《せめてその白い手紙が 正しく届きますように》「Aurora」

などはごく一部で、藤くんが常々歌っている「正しさ」が、『おかえりモネ』というドラマにそのまま反映されていたと思う。
何が間違っていて、何が正解なんて本当は誰も決められない。綺麗事が間違いなんて決めつけられないし、だからと言って堂々と綺麗事が正しいとも言いづらい。
未知がモネに対して言った「お姉ちゃんは正しいけど、冷たいよ」という部分を拾って考えてみると、情に流されず亮を突き放した行為は正しいかもしれないけど、亮を救ってあげられなかったという点で冷たい。もしも情に流されて、亮と一線を越えてしまったら、菅波先生がいるのに不謹慎、モネは間違いを犯したということになるけれど、でも一時的に亮を救ったかもしれず、間違いだけどやさしいということになるかもしれない。だから正しさっていうのは、温かくやさしいものではなく、時には冷たく厳しいものとみなされる。「ちょっと冷たい正しさ」の代表格と言えば、菅波先生ということになるけれど。

しかしそのいつも正しい菅波先生もかつて自分が正しいと信じたことで、間違いを犯してしまった。だから正しさというのは責任と怖さも秘めている。正しいと暴走してしまうと、相手を傷つけかねないから。
ならば正しさとは一体どう向き合えばいいのか。独断で決めることではなく、誰かの意見も聞いた上で判断しなければならないことだし、逆に誰かの意見をそのまま信じて正しいと決めてしまうのもちょっと違う。総合的に考えてじっくり悩み、最後には自分で決めて信じ抜くことが「正しさ」との正しい付き合い方だとこのドラマから教えられた。

そもそもモネが気仙沼から離れたことは正しいことだったのか。最初だけ見れば、単純に居づらくて逃げただけに見える。逃げるという行為は間違っていると捉えられることも少なくない。けれど正しくはなかったかもしれないけど、気仙沼から離れたおかげで、登米でサヤカさんや菅波先生や朝岡さんと出会った。彼らとの出会いがなかったら、モネの人生は違っていた。気仙沼から離れずそこに居座り続けていたらまた違った人生があっただろうけど、おそらく菅波先生みたいにとても大切でモネにとって必要と思える人とは出会えなかったかもしれない。登米に行ったおかげで、東京へ行くきっかけも掴んだし、モネは様々な人たちと出会い、様々なふるさとを作ることができたから、結果的に気仙沼を離れたことは正しかったと言える。

モネだけでなく、未知が長年気仙沼から離れられなかったことや、亮が漁師になったこと、三生が寺を継いだこと、亜哉子が教師をやめたこと、耕治が銀行をやめたこと、新次が船に戻らないと決めたことなど全員の選択が正しいかと考えると、それは一概に判断できない。言えることは全員、最終的には自分の意志で決めて、今歩いている場所、選んだ場所が「正しい」道だと信じて生きている。
モネが東京から気仙沼に戻ったことも、仕事として正しいかと言えば、収入面だけ考えれば気仙沼ではまだ利益を出せていないようだし、東京にいた方が正しかったかもしれない。けれど気仙沼に戻って、改めて幼馴染や家族、自分と向き合って、あの時、逃げた自分自身と再会し、もう逃げずに「ここにいる」と決心できたから、気仙沼に戻ったことは正しいことだと思える。

「ここにいる」「ここにいます」という言葉もドラマの中で重要な言葉だった。気仙沼に戻って来た方がいいのではないかと心配する耕治に対して「ここにいます」と登米からモネがメールしたり、菅波先生が「東京に戻って来ますか」とメールすると「ここにいます」と気仙沼から返信したり…。それから最後にサヤカさんも寂しくないかと問われ、「あの子の中にいる それだけで十分だ」と笑って答えた。

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「ここ」「どこ」など場所を示すワードもまた、藤くんが歌詞でよく使用する言葉だ。「Flare」の中には

どこにいたんだよ ここにいるんだよ ちゃんと ずっと》
どこにいるんだよ ここにいたんだよ ちゃんと ずっと》

とある。

《ここはどこなんだろうね どこに行くんだろうね》と「リボン」の中でも歌っている。
《同じ鼓動を目印にして ここに居るよ いつだって呼んでるから》「カルマ」という歌詞もある。

どこにいるか(どこで生きるか)問題もまた、正しさと同様に最終的には自分自身で決めることだと思う。
そこが苦しかったら、逃げ出してもいい、他の場所で生きてもいい。ここに縛られる必要はないけど、ここが好きなら、ずっとそこにいてもいい。自分で自分の居場所をみつけて「あなたが思う未来へ」進めばいい。とモネたちが、どこにいてもいいし、どこに行ってもいいよとやさしく励ましてくれた。
宇田川さんは部屋から出られなくてもいい、今は汐見湯で生きてればいいと。新次は海じゃない場所の方がいいなら、苺を育てながらそこで暮らせばいい。そう言えば海と苺という漢字はよく見ると少し似ている。亮は自分の人生として船という場所を選んだ。サヤカさんは登米というひとりで暮らし続ける場所を選び、菅波先生は東京で働いている。莉子は仙台で。そして百音は気仙沼という「ここ」で…。
みんながそれぞれ選んだ場所を大切にしながら、誠実に丁寧に生きていれば、世界はうまく循環するということを示してくれたのかもしれない。

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そして「ここ」は物理的な場所だけでなく、「心の中」という抽象的な場所も示している。
バンプの楽曲を並べていたわりに、肝心の「なないろ」にまだあまり触れられていなかった。

《胸の奥 君がいる場所 ここでしか会えない瞳》

というように、心を示す「ここ」が登場する。この部分では、亡くなった人とは心の中でしか会えなくて、亡くなっているから思い出すのは変わらない姿で、思い出すと寂しくなってしまう、けれど忘れてしまったらもっと寂しいということを表現しているらしい。
亮や新次が思い出す美波が変わらずあの頃のままという切ない場面が思い出せる。

《思い出すと寂しいけど 思い出せないと寂しい事 忘れない事しか出来ない 夜を越えて 続く僕の旅》

オープニングでは1番の歌詞のみ使用されたため、この2番部分を知らない人も多いかもしれないが、2番は終盤、おばあちゃんが未知とモネに対して語りかけた台詞で丸ごと引用されていた気がする。
「忘れないって大事だけど 苦しい だから時々忘れて 笑ってね」と亡くなったおばあちゃんが言うものだから、さらに泣ける。

失くせない記憶は傘のように 鞄の中で出番を待つ》
手探りで今日を歩く 今日の僕が》
《相変わらずの猫背でもいいよ 僕が僕を笑えるから》
失くせない記憶も傘のように 鞄の中で明日へ向かう》

この辺は耕治が新次と一緒に呑んでいて、雨が降って来たから、傘を貸そうとしたけど受け取られなかったシーンを思い出す。失くせない記憶を抱えて、猫背で生きていた新次にぴったり合う歌詞だった。

《いつもと同じ足で出かけようぜ》
疲れた靴でどこまでだっていける》

朝岡さんが靴を泥だらけにして被災地を歩き回ったというエピソードに合う部分はこの辺だろう。

「なないろ」に関しては、菅波先生に合うという感想も多いみたいだけど、亮や新次、朝岡さん、もちろんモネにも、誰にでもしっくりするから不思議だ。さすが藤くんはどんな環境に置かれた人にでも合う、普遍的な歌詞を書く達人だと感心してしまう。

『おかえりモネ』とは結局何だったのだろうかと考えてみると、それぞれの傷や痛み、トラウマと向き合い、自分の人生を見つめ直し、自分の人生を取り戻そうとする物語だったと言える。《これは僕の旅》《続く僕の旅》とか自分の人生の旅を描いていたドラマだったと思う。
「おかえり」の意味が、「気仙沼におかえり」という意味だけでなく、「あの頃の自分におかえり」という意味で、最終回で「おかえり」は連呼された。モネは好きだった音楽(楽器)に「おかえり」と言われ、純粋に音楽が好きだった頃の自分を思い出し、けれどもう逃げるとか目を背けるとか弱い部分は乗り越えて、少し成長した自分自身に「おかえり」という意味で、幼馴染たちからモネらしいモネが戻ってきてうれしいと祝福されていたように見えた。
つまり単純に場所に「おかえり」ではなかった点で、すごいドラマだったなと思う。

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さらにドラマでポイントとなった「手当て」について。「手当て」もまた、バンプの歌詞でよく使用されている言葉だった。

《眠るのが恐くなって 左の胸 手を当てた「睡眠時間」
《耳に手を当てて ただ聴いていた》「angel fall」
《ため息 胸に手を当てさせたのは 誰だろう》「Butterfly」
《どこだろう 今痛んだのは 手を当ててから解らなくなる》「コロニー」
《呼吸はどうか 普通かどうか 手を当てた胸に》「パレード」
《新しい傷跡に 手を当てるそのたびに》「月虹」

藤くんが痛みや傷と向き合い、「手当て」することの大切さを歌ってくれるように、『おかえりモネ』の中でも「手当て」はここぞという場面で繰り返し登場した。(モネ×菅波先生、耕治×亜哉子など)
菅波先生は医師だから、「手当て」はある意味、仕事上当然できるはずの行為だけど、相手の体の痛みは治せても、心の傷にはなかなか触れることのできない臆病な存在だった。

普通の触れ方を知らないから 戸惑っていたら触れてくれた手に》「ファイター」

二人が親密な関係になる前、モネは菅波先生の背中をさすってくれたのに、菅波先生はモネの背中をさするどころか、相手の体に手を差し伸べることさえできなかった。
「ファイター」はそういう菅波先生のテーマソングのような曲だと思った。

《止まったら消えてしまいそうだから 痛みとあわせて心も隠して》
ここにいるためだけに 命の全部が叫んでいる》

この曲にも先に述べた「ここ」にいるが登場している。

《右手に触れた温度が 明かりになった》
《僕の見たかった 欲しかった全部が 君の中にあるんだよ》

「流星群」もまた菅波先生の唄と言えるだろう。ドラマでは背中をさするシーンだけでなく、手をつなぐ、握るシーンも象徴的だった。手をつなぐ行為もまた、「手当て」の一部になる。何も言ってあげられなくても、何もできなくてもただ側にいることはできる、あなたの心の側にいるよという意志を示すように、手と手を取り合う映像が多く見受けられた。

《笑う事よりも大切な 誰かの手を強く握って「HAPPY」

ちなみに「宇宙飛行士への手紙」も菅波先生寄りの唄だろう。

《どうやったって無理なんだ 知らない記憶を知る事は》
《出来るだけ離れないで いたいと願うのは 出会う前の君に 僕は絶対出会えないから
《出来るだけ離れないで いたいと願うのは 出会う前の傷を 僕にそっと見せてくれたから

「19対5」と菅波先生が呟いたように、モネと一緒に過ごした時間は圧倒的に亮に負けていると気にしていたから、まさにこの曲だと感じた。

「手当て」の延長線上に、「洗濯」シーンもまたこのドラマを振り返る上で、重要な場面となっている。
「すべてが整うと雨が降る」とサヤカさんは言っていたが、能で心を整えるように、洗濯するのも気持ちを整える行為として最初から最後まで描かれ続けた。
サヤカさんの家の外観モデルになった登米の「寺池園」に足を運んだ際、その場にいた係の人から真っ先に「こちらがモネちゃんが使った洗濯物干しです。こちらが洗濯場です。」と洗濯に関して説明された。

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サヤカさんの家に来たばかりの最初のシーンでモネは洗濯物を干していた。気仙沼の実家でも洗濯物を取り込んだり、畳んだりしていた。そして菅波先生と親しくなった場所はコインランドリーだった。最後に亜哉子は洗濯物を畳んでいた…。
最初は単純に、洗濯は天気と密接に関係しているから、太陽、風をイメージさせるために、洗濯シーンが多く使われているのかなと思っていたけれど、それだけではなかった。コインランドリーはそもそも天気は関係ない。そこでは空回りばかりしている、心のもやもやを表現する手段として使われていた。そして最後に気付いたのは、洗濯は心を洗い流し、整える大切な行為だったということ。

日常が描かれたドラマだったが、料理より掃除より洗濯が一番、心を整える行為として描かれていた。このからくりに気付いた時、このドラマは単純そうに見えてなんて奥の深いドラマなんだろうと驚いてしまった。台詞だって一見シンプルな言葉なのに、その奥に秘められた意味に気付くとはっとさせられてしまう。これはやはり藤くんの歌詞の世界にも通じる。

《歯磨きして顔洗って着替えたら いつもと同じ足で出かけようぜ》「なないろ」

何気ない日常のあたりまえの行為だけど、洗濯と同じように気持ちを整えてから、今日という日を始めることの大切さを教えてくれている。

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「GO」も『おかえりモネ』の世界を彷彿とさせる。

《遠くで響くトランペット 固まったままで聴いていた》
《とても素晴らしい日になるよ 怖がりながらも選んだ未来》
《とても素晴らしい日になるよ 選ばれなくても選んだ未来》

耕治が吹くトランペットのシーンを思い出すし、モネが楽器と再会した場面も蘇る。
トランペットの話が出てきたので、菅波先生の元患者のホルン奏者の宮田が吹いていた曲「ロンドンデリーの歌(ダニー・ボーイ)」についても触れておく。歌詞はいくつかあるらしいが、二種類の日本語訳が興味深かった。

《貴方が愛してくれないのなら 庭の小道に咲くヒナギクとなって 銀色の靴を履いた貴方に 枯れるまで踏み潰されたい
《花が全て枯れ落ちる頃 あなたが帰ってきたら もし私が死んでいて、もしも死んでしまっていても 帰ってきて そして私が横たわる場所を探して それからひざまづいて 私のために祈りを捧げて》

というように、少しもの悲しい終わり方の歌だと知った。何度、災害に遭っても、困難な状況に戻されても、うまく事が運ばなくても、「しぶとく」生き続けるモネのおじいちゃんなど被災地の人たちの心情を、強さではなく「しぶとさ」と言っていたドラマの世界にこの曲もぴったりだと思った。踏み潰されても最後まで生き続けるよと…。
病気と戦う宮田にも、病気になる前までのようには吹けなくなってしまって、それでもホルンという楽器と向き合い続ける「しぶとさ」がある。
被災地に留まり、若いながらもそれぞれの仕事を懸命に続ける亮や未知もしぶといと言える。
しぶとさは「執着」という言葉にも言い換えられる気がするので、執着になるとちょっとマイナスイメージも湧いてしまうけれど、みんな何かに執着してしぶとく生きていた。

そしてモネが帰ってきたことがドラマで描かれたように、二つ目の和訳では(戦地から)帰ってくる人を待つ人の心情が歌われている。
この曲がホルンで演奏されたのはたまたま偶然なのかもしれないけれど、それにしてはドラマの世界に馴染み過ぎる気がする。もしかしたらこの曲のチョイスも「かもめはかもめ」同様、入念に考えた上で採用されたのかもしれない。
「アメリカン・パトロール」だって、陽気で底抜けに明るい太陽みたいな曲で、つまり純粋にただ楽しく音楽と向き合えていたモネたちを強調したくて、選ばれた曲かもしれない。このように、主題歌やサントラ以外の挿入曲もまた、ドラマの世界を彩り、際立たせるのに、重要な役割を果たしていたと考えられる。

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少し話が逸れてしまったが、次に未知と亮のテーマソングと言えるようなバンプの楽曲をいくつか紹介する。
亮が「我慢大会みたいだな」と言う場面があったことから、「大我慢大会」という曲を思い出した。

《平気な顔してみたって あんまり上手じゃないみたい》
《痩せ我慢 作り笑い 外だろうと中だろうと》
《今ここにいるって事 ここにいる人に 届いて》
《まともな奴ってどこだ 普通の人って誰だ》

亮と未知に関しては、最初はまんまと騙された。二人とも百音と比べたら、「何も問題なく、まっとうで模範的な人」に見えていたから…。自分ができることを誰に強制されるわけでもなく、こつこつやり続けていた。その場所に留まって、必死にしがみついて、しぶとく…。亮なんていつも笑顔で、誰にでもやさしくて、何も抱えているようには見えなかった。未知も勉強熱心で、将来の目標も明確で、出来過ぎた子に見えた。何をしていいか分からないモネと比べたら二人とも立派な大人だった。
けれど話が展開するうちに、モネ以上に二人とも痛みや闇を抱えていて、実はただ我慢して笑って生きているだけなんだと気付かされた。

瞳の奥に隠した 暗くて深い海の事 どれだけ抑えても ずっと揺れている 覚えている》
《その手を上げて見せて ここにいると教えて》
《大切な全部を抱えてきて 荷物のように思っていた》

「孤独の合唱」もまるで亮と未知の歌だ。二人とも何も台詞がない時も、瞳の奥で何かを訴えていた。笑顔だとしても、暗くて深い瞳の奥深くが何かを物語っていた。「助けて」と訴えるような眼差しで微笑んでいた…。まだ若いのにすべてを背負っていて、すべてを自分の力で何とかしようと、自分の時間さえ犠牲にして、本当の自分の気持ちを隠して、無理して生きているように見えた。背負っているものがあまりにも多すぎる気がして、だんだん気の毒に思えた。
完璧なように見えて、がんばりすぎていて、誰の力も借りようとせず、とても孤独で、二人は似た者同士だったから、最終的には結ばれて本当に良かったと思う。結ばれたというよりは、突っ走っていた孤独な思いを分け合えて良かったというか…。

未知に関しては、「アルエ」や「ギルド」もテーマソングになり得ると思う。

《何故いつも哀しそうなの》《自分の場所を知らないの》《「私は独りで平気なの」》
《ハートに巻いた包帯を 僕がゆっくり解くから》「アルエ」
《いずれにせよ その瞳は 開けるべきなんだよ それが全て 気が狂う程 まともな日常
《愛されたくて吠えて 愛されることに怯えて 逃げ込んだ檻 その隙間から引きずり出してやる
《構わないから その姿で 生きるべきなんだよ それも全て 気が狂う程 まともな日常「ギルド」

未知はいつも強がって「大丈夫」ってひとりきりで黙々とがんばっていた。哀しそうな眼差しで…。自分がやるべき仕事を淡々とこなして、憑りつかれたように研究に明け暮れて、まともな人に見えるけど、発狂寸前にも見えた。
そして時々、「お姉ちゃん、津波見てないもんね」、「お姉ちゃん、ずるい」、「なんでいつもお姉ちゃんなの」とモネに八つ当たりしていた。「助けて」と訴えるように、そういう時だけいつもは冷静な未知も感情を露わにしていた。
そういう側面は亮も同じだ。百音に対してだけは亮も本音を言う時があった。「分かってんでしょ」とか「綺麗事にしか聞こえないわ」とか…。他の女子に対しては絶対見せない弱い自分をモネにだけはなぜか見せていた。亮にとってモネは幼馴染というより、母親のような存在だったのかもしれない。美波を亡くした亮は、無意識で百音を精神的に母親代わりに見なしていた気がする。モネの寛大な母性にすがるように、助けを求めていたから…。

モネは二人から助けを求められているのが分かっていたから、困っている人たちを救える「役に立つ人になりたい」と願い続けたのかもしれない。未知も亮も本音をぶつけられるのはモネだけだった。本音は時に傷付く言葉にもなるけど、でも傷付けられたとしても、正直な気持ちを打ち明けてもらえてモネは救われたと思う。震災以来、二人とは隔たりがあったから…。

このドラマは人と人との結びつきが強かった。モネと菅波先生、モネとサヤカさん、モネと亮、亮と未知、亮と新次、新次と耕治、耕治と亜哉子、耕治と亮、おじいちゃんとおばあちゃん、サヤカさんと朝岡さん、そしてモネと未知など…。それぞれ深いところでつながっていて、一対一のシーンは見応えがあった。時々衝突することもあるけど、人間愛に溢れていた。

モネと菅波先生、未知と亮という二組のカップルの恋愛模様も描かれていたけど、どちらもいわゆるよくある恋愛ドラマとは違って、派手な展開は一切なかった。そこが良かったと思う。
二組ともクリスマスのシーンがあり、そこはやはり「Merry Christmas」が合うと感じた。

《許せずにいる事 解らない事 認めたくない事 話せない事》
《今夜こそ 優しくなれないかな 全て受け止めて笑えないかな》

恋愛ドラマ定番のクリスマスシーンも派手な要素はなく、ただ二人でちょっと話して終わりみたいな日常と変わらない時間の流れが心地良かった。何しろ菅波先生はクリスマスになわとびをプレゼントしてしまったりするわけだし…。ズレてる感覚がツボになった。誕生日プレゼントに教科書も。
ハグと手をつなぐのみで、キスシーンさえなかったのが、また爽やかで素敵だった。最終的に菅波先生とモネは七年半を見せつけたことになるけど、ぎこちなかった最初の頃とたいして変わらないというか、菅波先生がちょっと親しみやすいキャラになったくらいで、恋愛に関しては、部屋の合鍵を渡した仲、いずれ結婚したいと親に挨拶までした仲なのに、小学生レベルの純愛のままでそこが魅力だった。

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そしてカップル同士の見せ場よりも何よりも、『おかえりモネ』で印象深いシーンはモネと未知という姉妹の関係だった。
未知は何かにつけてモネに当たり続けていた。亮のことも、仕事のことも含めて…。姉妹だからお互い意識したり、嫉妬するのはよくある話だけど、それにしては未知はモネにこだわりすぎるよなと不思議だった。単純に妹だから幼いのかと思っていたけど、最後の最後に未知のトラウマが明かされた時は衝撃を受けた。
震災の時、「おばあちゃんを置いて逃げた」という未知の自責の念が明かされた時、このドラマは何て深いんだろうと思った。

そもそもおばあちゃんを置いて自分だけ逃げてしまったとしても、あの時、おばあちゃんは大人たちに助けられて命拾いしたんだから、そんなに未知は自分を責めることはない。もしも自分だけ逃げて、おばあちゃんが震災で亡くなってしまっていたら、それこそ自分のせいだと後悔してもしきれないだろうけど、おばあちゃんは助かっているんだから、そこまで責任を感じる必要はないと思った。
しかし未知は真面目だから、勝手に責任を負ってしまった。このドラマの人物はみんな真面目すぎるから不器用で愛らしい。適当に流せる人なら、要領良くすぐに忘れて、好きなように前に進めるのに、みんな過去の何かに捕らわれていて、そのことと真面目に向き合いすぎて、心を痛めていたように見える。

「みーちゃんは悪くない。こんなことは綺麗事で、何の役にも立たないかもしれない。でもみーちゃんが思い出す度に私が言う。みーちゃんは絶対に悪くない。…これからは私がここにいる。だからみーちゃんは好きな所に行きな。」
最終回直前、海辺で百音が未知にやさしくそう言い続ける様はまさに仏さまの言う所の解脱、苦しみから解き放たれた瞬間だったと思う。
気仙沼に帰って来たモネは菩薩のように見えた。すべての人を救いたいとただひたすら願い、祈り、最善を尽くし、根気強く「声を聞かせてください」とラジオで語りかけるシーンは、臨床心理士によるカウンセリングかと思えた。
モネは逃げずに、未知の傷と向き合い、痛みを共有することで、苦しみから解放してあげた。それは簡単なことではない。だからこそやろうとしたのかもしれない。
未知も「誰かの役に立ちたい」と思っていたと言っていたように、結局この二人は鏡みたいなもので、似ている部分があるんだなとも思った。

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少し自分の境遇に置き換えて考えてみると、私にも妹がいて、2008年12月から妹に「お姉ちゃんが悪い、お姉ちゃんのせいだ」と言われ続ける生活を送っている。
元々発達障害だった(後から分かったこと)妹は二次障害で精神疾患を患っている。その頃はまだ薬もほとんど服用しておらず、家族も発達障害や精神疾患のことはほとんど知らなかったため、妹の暴力的行為や暴言の対処法を知らず、手をこまねいていた。
物干し竿を振り回したり、家族が危ない(特に私がターゲットにされていた)と思ったため、緊急搬送してもらい、精神科に緊急入院となった。

家族も本人ももちろん精神科の入院の実態なんて知らなかった。閉鎖病棟の隔離室がどんなものかなんて知る由もなかった。たった二泊三日程度で、父親が迎えに行ってしまったから、退院となったわけだけれど、妹はその入院のことを根に思い、私を敵とみなすようになった。妹が帰って来た日は昼まで、移流霧のように、濃い霧が立ち込めていた。だから私も霧を見ると思い出してしまう。

便器しかない牢屋みたいな鍵のかかる部屋に閉じ込められたら、そういう気持ちになってしまうのは仕方ないかもしれない。だからあの日以来、妹と私の間には確執が生まれた。私はその部屋を見ていないし、分からないから何も言えないけど、でも「ごめん、悪かった」と言うしかなかった。本当は暴力をふるっていた妹自身が悪いし、病気のせいで、私のせいではないと分かっているけれど、一応謝り続けた。未だに妹の状態が悪い時は近寄れず、逃げる生活を送り続けている。

そもそもなぜそこまで敵に思われているかと言うと、薬の副作用で足が不自由になったからだ。薬の副作用さえ起きなければ、ここまで関係がこじれることはなかったかもしれない。すぐに許してもらえたかもしれない。その副作用は一度出現すると治らないらしいので、たぶん一生許されることはないだろう。
「お姉ちゃん、隔離室見てないもんね。薬の副作用も知らないもんね。」、「お姉ちゃんが悪い、早く消えろ。」と言われる度に「ごめん、悪かった」と言って、逃げるしかない。現実ではモネと未知のように簡単に関係を修復できるわけもない。姉妹、兄弟って難しいし、カップルの恋愛関係よりも、家族関係の方が難しいということを考えさせられた。

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それからおばあちゃんの描かれ方も素敵だった。
亡くなったおばあちゃんの初盆にみんなが集まったり、牡蠣に転生したかと思えば今度は木に生まれ変わって、いつでも家族を見守り続けているというここだけ妙にファンタジー感あって、個人的に好きだった。
「supernova」はおばあちゃんの唄だと思う。

《本当の大事さは 居なくなってから知るんだ》
延べられた手を守った その時に 守りたかったのは自分かもしれない》
《君を失くした後で 見つけ出すんだ 君との出会いがあった事》
《本当の存在は 居なくなっても ここに居る

ドラマの放送中に祖母が亡くなり、初盆は来年だけど、祖父の初盆だったので、ドラマのように盆棚を飾った。祖父母が作っていた野菜や、小さな虫たち、月や星や山を見ると、それぞれに祖父母が宿っているように思えて、《ここに居る》ってこういうことなんだろうと分かった。モネのおばあちゃんが転生したように、祖父母も転生して、自分のことを見守ってくれていると思って、寂しさを紛らしている。

忘れない事しかできない 夜を越えて 続く僕の旅》「なないろ」

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まとめると、『おかえりモネ』のおかげでまだ気付けなかったバンプの側面(藤くんがリスナーの心の傷の手当てしてくれていたことなど)を知れて、新しい見方、聴き方ができるようになった。
「声を聞かせてください」《声を聞かせてよ》「新世界」
「お姉ちゃん、ずるい」《とても楽しくて ずるくて あまりに眩しかった》「記念撮影」
「あなたが思う未来へ」《今僕がいる未来に向けて》「記念撮影」

このように大切な台詞、テーマの裏にはいつでもバンプの曲が流れている。
トラウマ、傷、痛みを抱えながら、日々必死に食らいついて生きているような人の心を浄化してくれて、息を吹き返させてくれて、呼吸を整えてくれて、人生を生き直させてくれる素晴らしいドラマだった。
派手さはなく、地味で淡々とした日常生活が続くだけの物語なのに、静かに確実に心打たれる。

脚本を担当した安達奈緒子さんがバンプの楽曲に寄せた物語を作ったというよりは、たまたま偶然、藤原基央の世界と描きたい世界が合致して、奇跡的にバンプの楽曲が呼び起こされるシーン、台詞が増えたのだろう。
人に思いを伝える力の強い藤くんが紡ぐ言葉の世界をまるで映画のように可視化した物語が『おかえりモネ』という類まれなる作品だったと考える。
読み解くのがやや難解な藤くんの歌詞の世界を踏襲し、とても分かりやすく映画仕立てで再現してくれた気がする。
とても真面目で誠実で一生懸命でちょっと不器用な人たち(カッコ悪くてカッコ良い人たち)ばかり登場するから、素直に応援したくなった。登場人物全員の人生をこれからも見続けたいと思えた。ひとりひとりの人生が愛しくなった。
新次が酒に溺れたのだって、忘れたいけど忘れたくないと妻への誠実な愛を通したためだから、アル中だとしても、良くない人とは思えなかった。

朝ドラだから、明るく正しく清らかにあれという概念を覆してくれたドラマになった。
基本的にヒロインには暗さがあって、霧の中、ぼんやりしていた。しかし「役に立ちたい」と目標を見出し、微かな明かりを頼りに彷徨いながら未来に向かって歩もうとする芯の強さ、しぶとさがあった。
ヒロインなのに受け身のシーンが多くて、そこにいなかった人、当事者にはなれなかった人の寂しさを上手く表現していたと思う。
モネは空を見つめ、人の心の奥底も見つめ、汚れや嵐からも目を背けず、見守り、信じ続けていた。最初は逃げてしまったかもしれないけど、他者や自分の痛みと向き合い、最終的には菩薩やカウンセラーのように心を掬い、迷子を救える人になっていた。
みんなどこでもいいから、「ここ」という場所を見つけたらそこに行って、自分の思うように生きていいんだよと、すべての人を肯定してくれる、慈愛に満ちた作品だった。毎日、心洗われる名画を鑑賞した気分になれる半年間だった。彩雲や虹など、なないろの光を毎日見つけることができたような、とても幸せでかけがえのない日々だった。

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痛み、傷をどうやって手当てすればいいか、正しさ、綺麗事とは何か、忘れないこと、「ここにいる」とはどういうことか、心を洗濯し続けることの大切さなど、本当に様々なことを教えられた。私にとってはモネたちが明かりそのものだった。
こんな名作が地元・宮城の代表作になったことが本当にうれしい。登米や気仙沼にモネたちの心や、『おかえりモネ』制作に携わってくれた方々の思いがずっと残っていると思うから、忘れることなく大切にしながら、私はこれからも「ここ」で生きていこうと思う。

もしもバンプリスナーで『おかえりモネ』を見逃してしまった人がいれば、今後発売されるブルーレイ、DVDや12月末あたりに放送されるであろう総集編を是非チェックしてほしいし、『おかえりモネ』ファンで「なないろ」以外、バンプの曲を知らない人がいたら、是非他の楽曲も聴いてみてほしい。両者を支持するファンとして、BUMP OF CHICKENも『おかえりモネ』も両方、お勧めする。聴いて、見て、損することはない。ささやかでも生きる上で「役立つ」何かを必ず発見できること間違いない。バンプもモネも人生にいずれ「役立つ」ことをさりげなく教えてくれる。心の傷や痛みをどうしていいか分からずもがいている人は特に感じ取れるものが多いはずだ。

どうやら私はすでにモネロスに陥っているらしい(これを2日間12時間ほどかけて書いているくらいだから)。最初は地元が映るし、バンプが主題歌だから見てみようくらいの気持ちだったのに、曲ばかり注目していたのに、いつの間にかドラマそのものに夢中になっていた。モネ活なんてするほど、『おかえりモネ』が大切な日常の一部になっていた。

なくしたくないものを 見つけたんだって気づいたら こんなに嬉しくなって こんなに怖くなるなんて》「アンサー」

気づけば失くしたくないと思えるほど、このドラマが大切な存在になっていた。ロスを解消するためには、「おかえりモネ展」に定期的に足を運んだり、空や森や海を見るしかない。柔らかなモネの風を感じられる自然に包まれる生活を心がけたい。
おこがましいけど、いつか『おかえりモネ』みたいな作品を書くことが目標になった。モネのおかげで新たな夢をみつけた。

この10年、特に被災地で生き続けていた人たちは、こんな素敵なドラマをプレゼントされて、報われた気分にもなったかもしれない。これからも地道にやれることをがんばろうと前向きになれたかもしれない。このドラマに勇気付けられた人たちは少なくなかったと思う。

震災だけでなく、台風やオリンピックなど史実に基づいて物語が展開した分、とてもリアルで、今を生きる私たちにより深く響く作品になった気がする。

最後に、屋内セットで頻繁に登場した様々なランプシェードなど照明関係がとにかくかわいくて、物語の雰囲気を印象深いものにしてくれた。薄暗い闇の中で心が迷子のモネをやさしく照らす明かりばかりだった。眩しすぎない微かに灯る柔らかな光が心地良かった。登米も気象会社も気仙沼も。いつでもモネを正しく導くように明かりが灯っていた。光の使い方がかなり優れていたように見える。ストーリーに沿って。暗さ、影が目立つ物語だから、明かりや光はそれを際立たせるのに重要だったと思う。

『おかえりモネ』が終わってしまって寂しいと思えるほど、この作品は自分にとって本当に大切なものになった。どんなに寂しくても忘れない。忘れたくない。忘れてしまう方が寂しいから。昨日も今日も明日もずっとモネは「ここ」にいてくれる。私の心の中にずっと…。

《君がここにいる事を 僕は忘れないから》
《一緒じゃなくても 一人だったとしても また明日の中に 君がいますように「Gravity」

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「サンキャッチャーお日様化身揺らめかせ 光のシャワー部屋が星空」

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※洗濯物の影も日常の一部と思って、あえてそのまま撮影しました。

<追記>

登場人物たちの名前のセンスも良かったと思う。

三回生きるような三生、耕し治める耕治、新たに次へ新次(立ち直らねぇと後ろ向きだった彼がこんな前向きな名前だからなおすごい)、美しい波の美波、明日を美しくみたいな明日美、そして百音と未知は二人揃って「百の音を未だ知らない」または「未だ知らない百の音」というような姉妹名。未知に関しては「未知という名の船に乗り」という合唱曲もあるから、「未知という名の亮の船」って感じがして未知という名前には未知の可能性がある気がする。

《もう死ぬまで いたい場所にいる 隣で (隣で) 君の側で 魂がここだよって叫ぶ》
《誰より (近くで) 特等席で 僕も同じように 息をしていたい》
消えない傷の意味 知らないままで》「アカシア」

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