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自己犠牲と痩せ我慢

今日のおすすめの一冊は、田端信太郎氏の『これからのお金の教科書』(SB Creative)です。その中から「お金っていうのは追えば逃げるもの」という題でブログを書きました。

田端さんは同書の中で『お金を「使う」のではなく「回す」』と言っています。

「お金は天下の回りもの」と言いますが、実に含蓄のある言葉です。あたり前の話ですが、お金が意識を持って勝手に動いているわけではない。お金を「これに使おう」と考えて、実際に使っている人間が回しているわけです。だからこそ、回り回ってくるお金を受け取るには、人間同士の交わり、お金の流れの中に身を置く必要があります。
そして人間同士の交わりに身を置くということは、そのために自分も他の人へとお金を回す必要も、時としてあるわけです。たとえば、無人島にいてお金持ちになれるはずがない。もちろん、無人島でお金持ちになれずとも、幸せに暮らせる人もいるかもしれない。ですが現実に無人島で一生を終えたいかというと、そういう人はいないと思います。
やっぱり、多くの人間は、誰か他に人間がいないと、自分一人だけでは何をやってもそれほど楽しくないからです。たとえリアルで他人と対面するのが嫌な人であっても、結局はツイッターなどのSNSを通じて画面の向こうにいる生身の人と交流し、楽しんでいるのは同じです。そうして人間と人間の間を情報が回り、そこに喜怒哀楽が発生したりするからおもしろいわけです。それが価値となり、お金が巡っていることを、まさに「経済」というのです。
そういう意味で、人付き合いにまったく時間やお金といったコストをかけたくないという人がお金持ちになるのは、絶対に不可能とは言いませんが、かなり難しいはずです。結婚式のご祝儀だってそうです。これも出すのがもったいないという考えの人もいるけれど、誰からどれぐらいもらったか結構みんな覚えているものです。
そこでケチって「なんだ、アイツ本当はそんなに来たくなかったのかな?呼んだのは迷惑だったか?」なんて思われることこそもったいない。それは実際にそう思われるかどうかとは別の問題です。べつに芸能人でもないので何十万、何百万包むような話でもないでしょう。せいぜい数万の違いで、これから先の人間関係に影響を与えるリスクを負う必要はないということです。
このような話をしてきていますが、ぼくもものすごく気前が良いかはわかりません。正直に言えば、「人付き合いの場でお金を出すことに、どんなときでも一瞬たりとも躊躇しない」というわけではないからです。けれど「田端さんはケチだ」と思われるのはすごく嫌だし、それは結局のところ、損だと思うから、そこは意識してやっているのです。
たしかにきみが持っているそのお金を手に入れるためには、きみ自身の相応の努力や労力があったことだと思います。でも、もしお金持ちになりたいのなら、それにとらわれずに、気前良く人と付き合う必要があります。こんなエピソードを紹介したいと思います。
昔、元都知事の石原慎太郎さんと作家の三島由紀夫が二人で飲む機会があったそうです。飲みながら、「男にとって最も大切なものは何か」という話になった。それをお互いに手のひらに書いて、せーので一斉に見せ合おうと手を開いたら、二人とも「自己犠牲」と書いてあった。それでお互いにますます意気投合して飲み明かしたという話ががあるのですが、その話を聞いたときに、ぼくは「なるほどな!」と膝を打つ思いがしました。
結局、「お金をたくさん稼いだりして、より多くの資源を持っている人間がなぜ偉いのか?尊敬されてしかるべきなのか?」といえば、その人は、そうでない人よりも、より他人のために、その人なりの自己犠牲ができる余力があるからなのです。「自己犠牲」というと、言葉としてはキツくて今の時代には嫌がられるかもしれない。
ネットで炎上する定番の話題に、男女のデートにおける割り勘論争がありますが、ぼくは男性がデートのご飯代を出すという行為は、いちばんささやかな自己犠牲だと思う。一部の女性が奢らない男性を嫌うのは、結局それぐらいの自己犠牲もしない男がいざというときに自分を守ってくれるわけがないと思うからでしょう。
どれだけその人がお金を持っていても、他人のためにお金を使えない、自己犠牲が出来ない人に対して、周りの人もその人のために自己犠牲しようとは絶対思いません。突き詰めて言えば、ビジネスをするということは、他人の力を良くも悪くも利用させてもらうことです。だからこそ、まずその人が自分から自己犠牲できる姿勢を見せないと、好循環の歯車の一回転目が回らない。
お金が人々の間をめぐり回って、その場にいる人間を以前より、少しでもお金持ちにするためには、まず誰かが1人目になって、身銭を切ってお金を回そうと、ちょっとの自己犠牲や、ささやかな冒険を始めることがとても重要なのです。

小林正観さんは、30歳を過ぎたら若さとは別の価値観で生きたほうがいいといいます。別の要素でおしゃれを考えたほうがいいということです。女性の場合、30歳を過ぎたら「エレガンス」が重要で、優雅さ、雅(みやび)さというものを内面に取り込み、高貴にいきることを選択して欲しい、と。

男性の場合は、30歳を過ぎたら何を考えるかというと「ダンディズム」です。ダンディズムとは「男らしさ」ですが、小林正観さんの考えるダンディズムとは、「痩せ我慢」だそうです。頼まれごとを、心の中では「(ハードル高いな)ちょっとこれは…」と思っても「はい、分かりました」と二つ返事でニッコリと引き受けること、これが「ダンディズム」だということです。

「自己犠牲」と「ダンディズム(痩せ我慢)」とっても似てると思います。

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