元自衛官が、いまの季節に戦争について考えてみる

さきの原爆投下の日に続いて、この国では終戦記念日を迎えつつある、そんな季節である。この時期に繰り返されるのは、メディアなどで「平和は大切だ」「戦争は絶対にやってはいけない」「核のない世界を作れ」というものだ。

それは当然感じるものだけれども、現にいまも世界では戦争が続いており、多くの大国は核抑止を信じて核兵器に頼ってる一面がある。
 わたしは自衛官として、基本的な戦闘訓練などを経験してきたけれども、かつての先人たちの労苦はこれとは比較にならないほどつらいものだったはずだ。
 よく知られているように、戦地に派遣された兵士の大半は、戦闘で死んでいったわけではない。それよりも、飢えや疫病などで倒れていった。あるいは、船で輸送中に敵の魚雷で沈められた、“海没死”による死者も30万人にも上るという。あるいは、戦陣訓によって投降することを禁じられていたから、半ば自決を強要された人々も多かっただろう。
 むかし、自衛隊の相浦駐屯地で遠泳訓練に参加したことがあるけれども、足がつかない湾のなかを泳ぐだけでもかなりの恐怖を憶えたものだった。これが、外洋を航海していて、船が沈められ、そこで溺れ死ぬ感覚というのは、いったいどれだけ苦しい体験なのだろうか?

それではなぜ、これほど悲惨な結果になったのか。
 日本の軍隊は輸送や補給など、兵站=後方支援を軽視していたこともよく指摘される。帝国陸軍は、「攻撃精神旺盛なる軍隊」を標榜していたから、補給のことを考えるだけで臆病者呼ばわりされる…そんな風潮があったようである。
 くわえて、外地に派遣された兵士のために補給船を出しても、制海権を敵に握られているから次々に沈没させられてしまう。その結果、第一線の兵士たちには必要な食料、弾薬、需品、武器装備が届かない、どんどん窮乏してしまうことになる。
 そして、補給品が届かない軍隊では、まずモラル(士気)と規律から崩壊していくことになる。たとえば、戦地では略奪、暴行、強姦、放火、殺戮を当たり前のように行うようになる。まさに、いまのロシア軍のような状態だろうか。
 中国大陸では、日本軍は新兵に度胸をつけさせるため、捕虜を使って“刺突訓練”を行ったといわれる。また、一部の防疫部隊(731部隊)では、捕虜を使った人体実験を行っていたことはよく知られている。こうした残虐なことをやってきたい歴史を、目を背けずに直視するしかない。
 このように、制海権と制空権を敵に奪われないことは、一国にとって死活的に重要ということでもある。現在でも、日本は資源や食糧を海外に依存しているきわめて脆弱な国であり、とくに台湾有事でも起きればその影響をもろに受けることになるだろう。現代においても、海上輸送路(シーレーン)防衛が死活的に重要であることには変わりはないらしい。

また、戦略面からみれば、資源と領土をもとめてむやみやたらと戦火を拡張させていったところもあり、そこがいまいち理解できない。
 もともと日本の陸軍はソ連(いまのロシア)を敵と想定して、そのための準備を行ってきた。対外的には、朝鮮半島や満州(いまの中国東北部)に進出したのは、対ソ戦を念頭に置いていたからだろう。
 百歩譲ってそこまでは理解できる。ロシア=ソ連に備えるはずが、なんで中国との戦争にはまり込んだのか。さらには、アメリカなど連合国をぜんぶ敵に回して全面戦争を戦う羽目になったのか。そこが理解できない。一正面だけでも戦争は大変なのに、これが二正面作戦どころか、三正面作戦である。絶対にやっていはいけないことを、なぜやったのか…。
 外交面では、ドイツやイタリアなど、枢軸国側と同盟を結んだことは明らかに失策だったように思える。戦前の日本の陸軍は、はじめはフランスの兵制を取り入れ、それからプロイセン(いまのドイツ)の軍隊を見習い、とくに参謀システムを取り入れたといわれている。だから、軍人たちがドイツに対して親近感をもっていた可能性はあり、それが日独伊の同盟成立に寄与したのだろうか?

つぎは目を転じて、末端の兵士たちの生活はどうだったのかというと、これも暴力的で陰惨なものであったことは知られている。
 たとえば、内務班での私的制裁がある。厳しい訓練が終わって、隊舎では心安げるかといえば、まったくそんなところではなかったのだ。「一下級将校の見た帝国陸軍」「私の中の日本軍」などを著した故・山本七平氏によると、次のようなものだったらしい。
 まず、古参兵たちにより「まったく近ごろのショネコー(初年兵)はぶったるんでやがる。気合を入れなきゃならん」というなじりが始まり、それから「メガネを掛けている者は外せッ」「歯を食いしばれ」とつづく。それから、ビンタなどのありとあらゆる体罰が、消灯後もえんえんと続いたといわれる。
 日本の陸軍は、公式には私的制裁や体罰の存在を否定していたらしい。しかし現実には、「体罰は強い軍隊をつくるためには不可欠なもの」という根拠不明な精神論がはびこっていたようである。

いまの自衛隊でこんな指導をやってたら、とたんにニュースになるわ大問題になるだろう。しかしおれの見たところ、陸上自衛隊はあるていどは旧日本軍の伝統を引きずっているように見える。国家というのは歴史的な存在なので、組織の伝統もそうやすやすと変えられるものではない、ということか。
 戦争はいけない、平和が大切なのは、当たり前。でもそこで思考を停止せずに、一歩先にすすんで、ではどうすればよかったの? 一人ひとりが考えてみることも大切だと思います。
 


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