大嫌いな桜
私は桜が嫌いだ。
なぜなら亡くなった母を思い出すからである。
母は大学卒業前の冬に末期の肝硬変で亡くなった。
亡くなるひと月ほど前、母が倒れて入院した時に、私は東京から地元の病院にすぐに駆けつけた際、母から「お前は大学に戻って勉強しろ!」と諌められた。
今思えば「自分のせいで大学を卒業できなかったら」と親心からのことだったのかもしれない。
それもあって1ヶ月間で私は二回しか見舞うことができなかった。
危篤の知らせが届いた時には吹雪に見舞われ、電車が止まってしまい帰れなかった。
結局、母の死に目には間に合わなかった。
そして数ヶ月経った大学卒業式の日、母の遺影を抱く父と兄妹、生前母の親しかった友人が参列した。
本来であれば賑わう食事会が、終始無言で箸をすすめる皆の「静寂」だけが今でも忘れられない。
「あと少しだけ生き延びてくれれば、せめて大学卒業の晴れ姿を見せて少しでも親孝行ができたのに…」
私が桜が嫌いなのは、そんな後悔にも似た罪悪感もあったが、それよりずっと誰にも言えずに苦しんできた本当の気持ちがある。
それは「母が亡くなった」と知らせが届いた時、
”心のどこかでホッとした自分がいる”
ことにショックを受けたからだ。
母は重度のアルコール依存だった。
”血を吐いても酒を飲む姿”を私は幼少期から見せられて育った。
仕事依存で共依存だった父は、朝から晩まで仕事に明け暮れ”その事実”から目を逸らした。
おまけに自営業で経済的にも不安定であまり裕福ではなかった。
そのため、足らない生活費(ほぼお酒代)の分を補うため、私は高校の頃からアルバイトを始め、その給与のほとんどを母に渡した。
それは浪人時代も含めた大学入学までの4年間続いた。
今で言う典型的な「ヤングケアラー」だ。
母が亡くなって安心してしまったのは、幼少期からずっと母から”死の恐怖”で支配されてきたからかもしれない。
本来であれば父が、あるいは夫婦で背負うべき問題を、私はずっと背負わされた。
それがやっと解放されたのだ。
それ以来、私は桜を見られなくなった。
散りゆく桜を見るたびに、あの何とも言えない”行き場を失った母への恨み”が疼くからだ。
私はあの日から、自分の心を守るために母を理想化し”親不孝な自分”と言う偽りの自分を創り上げた。
そんな中、今から3年ほど前、私はコロナにかかり重症肺炎で死の淵をさまよった。
ちょうど母が私を産んでくれた年齢と同じ40歳の時だった。
1年半ほど後遺症で寝たきりになり、「明日死ぬかもしれない」と言う単回生PTSDと、幼少期からの感情の抑圧が絡み合った複雑性PTSDによる重度のうつ病になり、何度も希死念慮に襲われた。
そして必要に迫られ、少しずつ日常生活を取り戻せるようになってからは、アファメーションやソマティックリリースなどのトラウマケアを学び実践してきた。
そのおかげか、当時の自分を「あれはどうしようもなかったし、本当に良く頑張ったよ、私は本当に偉い」と自分を許し認められるようになった。
私はこの歳になってようやく「今」を生きていると思う。
居場所は他のどこでも誰でもなく「今ここ」にあったのだ。
今日は数年ぶりに「お花見サイクリング」をしている。
この投稿も途中の海の見える公園で書いている。
ちょうど葉桜から散る花びらを受けながら、何度も止まってはスマホで写真を収めた。
通り過ぎゆく母子や老夫婦の笑顔が微笑ましかった。
花の香りを感じること。
風を切ること。
太陽をいっぱい浴びること。
タンポポが可愛いこと。
息を吸えること。
ペダルを漕げること。
前に進めること。
「明日死ぬかもしれない」という眠れない夜がもうないこと。
健康に生きられること。
そのどれもが新しくて心地よかった。
あれ・・・
俺って桜嫌いだったっけ?
よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!