ゼミの研究報告1週間前のつぶやきより

佐藤ひろおです。会社を休んで早稲田の大学院生をしています。
三国志の研究を学んでいます。ゼミの研究報告が迫ってます。
この前の火曜日に、新幹線に乗りながらツイートした、ゼミの研究報告にむけた心の動きについて、まとめます。

12月13日、大学院のゼミの研究報告
12月16日、会社への復職をひかえた面談

この2つが終われば、年内は閉店です。
余白の2週間、なにをして遊ぼうかな。

研究報告の1か月前は、「逃げたい。キャンセルしたい」と思う。前回報告で指摘された点は、ずっと脳内でわだかまっているというか、富士山にかかる雲みたいに、もやーっとアタマやオデコあたりに、掛かっている。

毎回、その時点のベストの材料で、ベストの論理構築をしているわけです。だから、いちど研究報告が終わり、ボロボロにされたら(それは毎回のことだ)、「ああ言えばこう言う」「伝え方を変えていれば」という次元の修正ではきかない。

研究報告の3週間前から1週間前にかけて、新しい材料(歴史資料など)を読む。漠然とテーマはあるが、「読んだからどうなる」というものではないけれども、「読まなけりゃ始まらない」ので読む。 興味ある題材なのに、しんどくなる。つまらないのではなく、成果が出ることが確約されないため、それを苦痛に感じるのだろう。

研究報告の10日前から1週間前ぐらいに、「この時点までに読めた資料から言えることは、これだ」というのが定まる。散歩しながら考えがまとまり、スマホの録音アプリに吹き込みながら歩く、という不審者ムーブが通常パターン。 まあ、歩きながら電話してるひといるしね。
なぜ研究報告の10日前から1週間前に考えがまとまるのか。これは問いの立て方が逆で、その時点までにまとまったもので書き始めないと、間に合わない。 レジュメを書くこと自体も、思索であり、仮説が鍛えられ、深まる。そのプロセスのためにも、1週間前は自分のために与えてやりたい。

ゼミによって流派が違うでしょうけど、ぼくの所属先では、A4用紙で10枚くらい。40字×40行×10枚で、改行や注釈により7割がけすると、原稿用紙30枚くらいですか。 これを20分から30分かけてゼミで話す。規模感、ペースは、だいぶ慣れてきました。

ゼミ報告では、題材そのものが不適とか、不要というジャッジが下ることがあります。先生のキャラクター、自分との関係性、指導の重点により変化しますが、 論文として完璧な形式や外見を整えるより、論旨を優先でやらせて頂けることが多いです。漫画家の「ネーム」みたいな感じ?

どのみち論文化するわけですし、ちゃんと考えて、ちゃんと論理展開したら、おのずと完成原稿のかたちに限りなく近づくし、イコールにならなければ、考え方や書き方にへんなクセがついてるわけなので、 ゼミのレジュメと、論文とのあいだに、そんなに大きな違いはないです。これも流派しだい。

レジュメをつくるとき、史料がどこまで電子テキスト化されて、コピペができるかによって変わるのでしょう。 分野による差と、時代による差もあるのでしょう。2000ゼロ年代前半と、2022年とでは環境が違う。いまの日本史学は、どんな感じなんだろう。
ゼミ報告のレジュメって、ぼくは、大阪大学の日本史学と、いまの先生の2パターンしか作ったことないんですが、 前者は、箇条書きで頻繁に改行し、史料は別紙にコピーをハサミとノリで切り貼りして連番を振ってました。後者は、ほぼ論文のかたちで、本論も史料も活字でうめこんでます。

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