見出し画像

登録に際して血が流れた世界遺産から思うこと【世界遺産と僕#5】

前の記事を書いてから3か月時間が経ってしまった。

何について書くかが悩ましいところだったので、ランダム性に任せてしまおうと思って、
「世界遺産検定1級のテキストを適当に開いて、そこのページのやつを書こう」と思って開いたら、『プレア・ビヒア寺院』だった。

それを見て一瞬「おぅふ、まじか」ってなった。

今年、世界遺産に関してなにが一番問題かって思えば、やはりロシアのウクライナ侵攻で現地の文化遺産が破壊されていることに尽きると思うけど、
あえてそれに関して書こうという気はおきず、自分の心の中でパスしていたところがあった。

そこに来て、ランダムに開いたら『プレア・ビヒア寺院』だった。

なぜ「おぅふ」となったかと言うと、
この世界遺産が、争いのことに触れずに語れないものだからだ。

プレア・ビヒア寺院の立ち位置


プレア・ビヒア寺院 Wikipediaより

この寺院は、ほかの宗教関連の世界遺産でもよくあることだけど、はじめヒンドゥー教の聖地として栄えたのち、仏教の寺院として改築された経緯がある。

この記事で特筆すべきはその宗教上の立ち位置ではなく、
本来の意味の、物理的な立ち位置の方だ。

遺産のエリア、寺院一帯がタイとカンボジアの国境をまたいでいて、どっちの国の世界遺産になるかが難しいので一度登録の審議が先延ばしされたり、カンボジアの世界遺産として登録されたけど、タイ側がそれに反発して争いになって死人が出たとか。

あと、本当は複数の登録基準が認められるところだけど、カンボジアの領土内だけではその価値を十分に保全できないから、「建物が美しいよね」って基準(登録基準ⅰ)だけでの登録になってたり。

この話を見たときに国境をまたいで登録する「トランスバウンダリーサイト」ってやつにしてしまえばいいのではと、軽く考えたりもしたが、
そうならずにゴタゴタなってるということは、それも難しいのだろう。
世界遺産になるならない以前に、昔から領土と実効支配のズレが生じていた経緯もあるみたい。

国の領有権と実効支配のズレについて、日本のことにおきかえて例えれば、
もし仮に、日本の領土だけどロシアの人が多い島が世界遺産に登録されることになったとして、ロシア人が「そこは我々のものだ」って言って武力を行使するようなこと。カンボジアが日本、タイがロシア。全然ありえない話じゃないから本当に嫌だこの例え。あそこの島が世界遺産になるかどうかは全然知らんけど。

今回、このプレア・ビヒア寺院という世界遺産をきっかけに、あらためて人間の歴史と争いと、世界遺産と、というようなことを考えてみた。

世界史を勉強していた受験生の頃に実感したこと

”争い”と考えて一番に頭に浮かんだ、「サンバルテルミの虐殺」

受験勉強で世界史を必死に勉強していて、ふと、
「あれ? 人間ずっと戦争してない?」って思ったことがある。

歴史の教科書の文章は、つまるところ、「誰がその時に権力を得て、どういう政治をしたか、それがいつまで続いてどういう形で次の権力に移行したか」の連続が基本のように思う。そしてその権力体制の移行には必ずと言っていいほど何かしらの争いが含まれている。国の覇権、領土争いに加えて、宗教上の対立なんかも入り混じってくる。
なので人間の歴史は「争いの歴史」と言っても過言ではない。だから「ずっと争ってるなー」なんて感想は、受験期に抱くにはたぶん遅すぎたのだと思う。どんだけ能天気なんだ、田舎育ちの自分。

けど、何も知らずに生まれてきて、学校で「これを覚えましょう」と課されて勉強してきたものだから、そこの本質を肌で実感するまでにタイムラグがあるのも割と仕方ないとも思う。当たり前すぎて今さらあえてそんなこと言わんでもええっしょ的な部分もあるのかも知れない。

小学校でも中学校でも、歴史の授業を初めて受ける僕に対して、
「今から人類の歴史をやっていきますが、こいつらずっとケンカしてます」
みたいな前置きをしておいてくれれば、
「いやいや先生、いくら人類が愚かだ愚かだって言っても、まさかそんなにずっとケンカしてるわけが……ほんまや」
みたくノリツッコミ的に腑に落ちていたかも知れない。でもそれをやるには明石家さんまさんの番組を学校で先にみる必要も生じてくる。

僕がその受験期に「あれ?」って思った要因として大きいのは、
「人類が、現代になっても争いをやめてはいない」というところだった。

学校では歴史が授業されて、教える立場の大人社会があって、大人社会はその歴史を知って理解した上で動いているのに、
日本は第二次世界大戦の過去もあって、戦争放棄を明記した憲法9条というものもあって、「戦争はいけないことだ」という認識は学校の授業でも他の媒体でも繰り返し伝えられてきたこと、言われすぎて「はいはい戦争はだめですね」と食傷気味になるくらいの状態、
なのに、「そう言いつつも、社会の教科書に出てくる世界の国々は、今、21世紀、現代になっても、争うのやめてないんだなぁ、そうかぁ」と受験生の僕はしみじみ思った、というのがより正確な表現のように思う。10代らしい感受性の働きだとも思う。



教科書の「文化のコーナー」の安心感

狩野永徳 金獅子屏風 Wikipediaより

歴史の教科書を勉強する中で、各歴史時代の区切りに、「文化のコーナー」みたいなノリでその時代に興った、発達した文化についてまとめて触れるセクションがある。
そこは、メインの果てしない権力争い、覇権争いからはいくらか離れて、人間の文化的な営みを紹介しているので、平和というか、安心する感覚があった。(勉強する、テストされる身としては「覚えるものポンポン出しすぎやろ」と腹が立つところもあったが)
日本史でいうと、藤原氏が権力を持って、そのあとどうなった、何々の乱が起こって誰が兵を率いて……というのがあった後で、
「見てくださいこの千歯こき! これで農作業効率よくなったよね」
みたいな。
戦国時代から安土桃山、江戸時代へとそれこそ群雄割拠、天下とるとかとらないとかってみんな躍起になっていた記述のあとで、
「二毛作はもう古い! 時代は三毛作!」とか
「信長も秀吉もかっこいいお城作ってるよね」とか、
「狩野永徳の唐獅子屏風やばい」
みたいなコーナーが来ると、やっぱり安心する。教科書より資料集みてる方が楽しい、ってのもよく思っていた。

もちろん、いろんな地域、国々の歴史的経緯と、それらの文化の興り、発達は密接に関連しているので、切り離しては考えられない。(城郭建築とか、争い前提に作ってるし)

けど、世界遺産(とくに文化遺産)は、なんというか、その安心感に寄ったところに存在する価値であってほしいという意識はある。

だから、プレア・ビヒア寺院みたく、争いの色が濃い世界遺産に対しては「おぅふ」となってしまう。

そもそもユネスコが世界遺産という取り組みを始めた経緯にも、そういう、争いや経済的発展、言い換えれば欲の作用によって、人類の歴史を語る貴重な価値あるものを損なわれてはいけない、という考えがある。

人間はとても価値があるものを生み出せるし、生み出してきたのだから、欲にまかせて失ったらそれは取り返しのつかない損失になる。

日常のところから争いを薄める考え方

争いはない方がいい、
かといって、「世界から戦争をなくしましょう」「争いはやめましょう」みたいなことを書くほど僕もお花畑ではない。

人間、どうしたって、どんな立場にいたって欲は出る。

欲が出て、それを叶えようとしたときに、その方法が他者を害するものだった時に、争いが起きる。

これは主体が国であれ個人であれ、変わらない。

いち個人として強く思うのは、
「できる限り他人に理不尽を強いたりせずに生きたい」
ということである。

これを書くと全然別の話になるけど、3年前に他人からとても理不尽な行いを受けて、この春まで法廷で争っていた。
おそらく、相手からすればむしろ僕の方が理不尽だというような考えだったようにもみられるが、判決の結果としてはまぁ納得している。

一時の感情や欲にまかせて行動すると、周りを傷つけたり理不尽な思いをさせることになりやすい。

僕もそんなにできた人間ではないので、たまに言葉が汚くなったり、荒い行動をとってしまいそうになることもある。だからこそ、できるだけそうならないように、理不尽の発生源にならないように、生活したいと思う。
それと、できれば人には優しくしたい。
この前帰り道に財布を拾って警察に届けたら、後日落とし主からお礼の連絡がきた(警察の方に連絡先教えてもいいですよとは言っておいたので)。
ちなみに拾得物の権利は放棄していたので財布の中身の何%云々みたいな話はナシ。

「理不尽なことはしたくない、できるだけ優しくありたい」
個人単位でそう思う人が多ければ多いほど、世の中の争いの色は、薄められるんではないかなぁとは思う。平和な世界に生きたければまず自分が平和を生む側の人間であるべき、とでもいうか。
先にも書いたとおり、自分は決してそんな聖人君子ではないけれど、できるだけそうありたいと願っているのは本当である。

以上、争いを色濃く孕んだ『プレア・ビヒア寺院』という世界遺産から、真剣に平和について、争いのある世界との付き合い方について考えてみた。

お詫びと訂正と開き直り

見てくださいこの千歯こき

言葉の響きから安易に書きましたが、改めてみたら千歯こきは全然時代が違って江戸時代に出てきた農業道具でした。お詫びして訂正します。
でも言葉の響きがいいから上の文章は訂正しない!
最後まで読んでくれた人だけが「そうだよね」ってなるやつ。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?