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あの日

あの日のことを覚えているかい?
ああ、覚えているとも。

90年代後半、我が家には子供が3人いて、夏になればというか、初夏になれば妻と子供達はミラノからJALの直行便(今はもうないのです)で日本に一時帰国していました。

イタリアの小学校や幼稚園は6月初旬から3か月の夏休みになるので、ええ、そうです、3か月の長い長い夏休みになるので、6月の中旬に日本へ一時帰国すれば、我が家の子供達は日本で幼稚園や小学校へ7月の間丸々1か月ゲスト的に受け入れてもらえていました。

このちょっとした日本体験も、子供達にはイタリアと日本の違いを感覚で知るいい機会になったことと思います。

イタリアの幼稚園ではお昼ご飯の時間は、テーブルについて、自分の食べ物、例えばピザとオレンジジュースとバナナが用意できれば、子供それぞれが自分のタイミングで食べ始めます。みんな揃って「いただきます」を言ったりする習慣はありません。

長女が初めて日本の幼稚園に受け入れてもらい、7月に行った初日の出来事。

長女は日本での初めての幼稚園生活で、新しいお友達もできて楽しい1日になるはずの、昼食の時間、目の間に運んできた彼女の日本での初めての給食、うれしくて、そこにある牛乳のパックをイタリアの感覚で手に取り飲み始めると、近くのお友達が「せんせい!○○ちゃんがもう食べてる!」と指さし、みんな一斉に長女の方に注目し、彼女は泣き出してしまったそうです。

2日目からは「いただきます」まで待つことを覚えたので、楽しく日本の夏を過ごしたようでしたけれど。

ミラノでも土曜の午後に集中講義的に3時間国語の授業をする補習校へ高校まで通っていたし、日本でも小学校までは上記のように1か月のゲスト生活をしていたので、我が家の子供達はミラノ育ちだけれど日本語は問題なく読み書きできます。パパの本棚から村上春樹、養老孟司、藤岡拓太郎なんかの本を持ち出して読んでいます。「Pachinko」は英語版を持って行きました。

もうみんな大人ですが、子供達はイタリア語が母国語ながら、日本語もそんな感じで問題なくしゃべり、英語だってパパよりずっと上手です。人類はこうして進化していくのだと思います。

さて、子供たちが小さかった頃は、そんな感じでパパ以外の家族が6月中旬に日本へ一時帰国し、3か月後の9月にミラノに帰って来ていました。しかしパパは仕事を3か月も休めないので、パパだけは8月の1ヶ月だけの一時帰国で、実際は2、3週間程度の日程が多かったようです。

その2、3週間の一時帰国では、出来るだけ時間的なロスなく、東京にいる友人知人に会いに行く時間を作ったり、倉敷や名古屋で過ごす時間や交通手段を選んだりと予定を立てるのも一苦労であり楽しみでもありました。

そして「あの日」に成田空港へ到着したおいらが向かったのは東京に住む友人宅。東京近辺で会う人は入国時に会って用事を済ませておこうという作戦です。

財布にはイタリアリラがたんまり入っている。クレジットカードも入っている。とりあえずどこかの銀行でリラを日本円に両替しようじゃないかと、国際都市東京の銀行へ向かいました。

というのも、ミラノではどこの銀行でも円に限らず外国通貨の両替は問題なくやってくれます。当時はスカラ座の横などに一見ATMのような自動両替機もあり、日本円を入れるとイタリアリラで両替して出てきました。マルクでもペソでもドルでも子供銀行券でも、何を入れてもリラが出てくる機械でした。あの機会はユーロになって引退しちゃいましたけれど。

そういう環境から日本に一時帰国し、国際的大都市東京で両替に困るなんてことは予想もしていないウブなおいらは、出来るだけ大きい銀行を探してリラの両替をお願いしに窓口へ並びました。大体大きな銀行ほど両替のレートはよくて、大きいだけあってそういう両替の業務も慣れている人が多いからスムーズだろうという考えでした。

ところが、銀行の人へリラの札を渡すと、イタリアリラは扱っていないと言うではありませんか。三菱系の銀行では、窓口でリラの札を渡すと「ああああ!」と、窓口の人がお札を手に天を仰ぎ、「ああああ、ああああ、ちょっと待ってください」と奥の方へお札を両手で頭の上に突き上げたかっこうのまま入っていきました。しばらくして支店長のような人が現れ、すいませんがリラの両替は出来ないと言います。

いくつか銀行で両替を試みるも、リラを替えてくれる銀行が見付からないのです、新宿で。ウソだろうと思いましたよ。なにが国際都市だ。ミラノの方がよっぽど国際的だと思ったものです。

ともかく、銀行ではムリっぽいので、そうだ、カードがあるじゃないかと、カードでキャッシングしようと思ったら、日本のATMは基本海外のカードでのキャッシングには対応していないんですよね。この点では2000年代序盤から普及したセブン銀行のATMが海外からの日本訪問者の心強い助っ人になっていて、コンビニがあればキャッシングできるようになりました。でも、当時は海外カードが使えるATMは空港くらいにしかなかったと思います。

さて、久しぶりの日本への一時帰国で、十分な資金を持って入国したはずが、東京のど真ん中で使えるおカネが無くなってしまいました。ポケットに入っていたのは、その前の年の一時帰国の残りのコインだけだったので、それもあとわずか。

結局この時は、残りのコインで行けるところまで切符を買い、友人宅から2駅手前で下車し、友人に財布に入ってたテレフォンカードを使って公衆電話からのコールがやっとつながり夜に2つ手前の駅までスクーターで迎えに来てもらいました。

翌日、友人が「あそこに両替所があったはずだ」という商業施設に連れて行ってくれて、怪しげな両替所でイタリアリラの両替に成功はしたもの、レートがめちゃくちゃで、多分空港で両替した場合の半分くらいしか円をもらえなかったと記憶しています。でも、他に選択肢がないんだからしょうがないよね。

当時はまだおいらも「東京は国際的な大都市」という幻想を抱いていたので、東京の非国際っぷりに度肝を抜かれた初の体験でした。

今では笑い話で、日本のイナカ、例えば倉敷に瞬間移動しても、おいらのポケットには行っているカードを持ってセブンイレブンに行きさえすれば日本円を手にいてることが出来るのでもうパニックになることはありません。イオン銀行のATMも海外カードのキャッシングができると聞いたことがあります。こういうことを思い出すと、少しずつ人類が進化している過程が実感できますね。今なら助けを呼ぶのも公衆電話でなくスマホからだしね。そうだ、うまく行けばスマホで電車にだって乗れるかもしれない。

そんな感じで、東京オリンピックの時にある程度入れ替えがあったはずですが、一般的に日本の街中にある大部分のATMは、海外からの観光客にとっては訳の分からない物体でしかなく、ヨーロッパはもちろん、アメリカでも中国でもタイでもフィリピンでもインドでも使えるカードが日本の街中の銀行ATMでは使えないのです。実は日本てそういう国なんですよ。これはなまじ技術があったから日本独自の機械開発をしていた時代が長く、規格の国際化が遅れたために世界でも珍しい「世界標準規格を使うのに苦労する国」になったのです。

こういうのは日本国内に住んでいる人は考えもしない問題だと思うけれど、そういうのって実は少なからずあるんですよね、日本て。

あの日「ああああ!」と奇声を発し、両手でイタリアリア札を持って天を仰いだ窓口の行員さん。元気にしてるかなあ?

Peace & Love


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