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第二十話:あるがままの自分を愛する

宗像は1998年『「自ら愉しむ人間」のすすめ』という著書を出している。

その冒頭に、このようなことを書いている。

人生の主眼は苦しさ、悩みを乗り越えたところにあります。愉しいことばかりではないから、人生は愉しいとも言えます。自分を裏切って「誰か」や「世間」に合わせて生きたために、愉しみをなくしているのです。

なんとも逆説的な言い回しだが、あなたは、自ら愉しんで生きているだろうか。

はじめて社会に出、入社して数年間の私

幼いころ無条件に認めてほしいときに認めてもらえなかったトラウマのため、成人になっても飢えのように「認められたい」「評価されたい」という強い気持ちが現れやすくなり、人並み以上にがんばるわけです。
ビジネスマンの性みたいなことも関係していると思います。人の評価で出世などが決まる世界ですから、どうしても他者依存的になりがちです。

自分が満足できるかどうかが基準になっています。もし自分が満足がいかなければ、たとえ人が評価しても満足できず一からやり直したりします。本来、仕事というのはこういうものだったのだろうと思います。

いまの日本人の幾人が、自分の仕事に満足できているのだろうか。仕事を愉しめているのだろうか。
私は元々他人と同じことが嫌いな人間で、時代の先が見えてしまうため、ズレた生き方をしてきた。社会人となり入社してすぐの頃、アフターファイブは自分の時間と割り切り、業務時間中、仕事に集中する事で時間通りに終わることがあたり前だという価値観を持っていた。私が社会に出たのは1981年、その8年後の1989年でも、まだ「24時間戦えますか」の滅私奉公の時代。そのような私のライフスタイルは、いつしか先輩たちから疎まれ、職場で孤立して行くのだった。

入社して3ヵ月後、所属部門に研究開発セクションができ、私はそこに異動になる。当時はパソコンが世に出て間もない頃で、マイコンと呼んでいたのだが、私には購入したての NEC PC-8001 が与えられ、それで医療会計のソフトを作れという。大学でハンドメイドのマイコンボード TK-80 に触れる機会はあったが、当時のコンピュータと言えば大型のもので、それ専用の空調完備の部屋が用意され、その真ん中に鎮座していた時代だ。パソコン、BASIC言語に触れるのは初めて、医療会計など全く知らない、そんな私への、無謀とも取れる業務課題。それでも17時半には仕事を終え、彼女とのデートを楽しむ毎日。パソコンの扱いに悩んでも、先輩は誰一人として助けてくれることはない。
秋口からはそんな生活は一転し、潰瘍を患ってアフターファイブが医者通いに変わる。なにくそ、負けるもんか。インターネットのない時代に、マイコンを独学で覚え、薬剤関係に限っての医療会計ソフトを作った。そうこうしていると、個人病院からマイコンによる院内システム構築の仕事をいただく。社内にシステムエンジニアやプログラマーはいない。孤軍奮闘、家に帰る時間、寝る時間も惜しみ、2施設のシステムを創り上げ、医療事務の学校にも通い、いまでいうレセプトコンピュータも完成した。いまの時代なら確実にブラックな会社員生活。社会に出て2年間の私である。

でも、そんな状態でも、私は仕事を愉しんでいたと思う。この後、人間ドック施設の情報処理システムをパソコンLANで構築し、途中、再度潰瘍を患って入院までしたけれども、かなり愉しんでやっていた。無から有を創り出す、それが楽しかった。だからなのか、コンピュータメーカーから引き抜きのお誘いもかかることが少なくなかった。


「自閉気質」の多い日本の会社組織の問題

宗像は、第一話で少し触れた「DNA気質」の解説の中で、日本人の6割を占める「自閉気質(マイペースタイプ)」を挙げ、いまの社会構造の問題を解き明かす。

長い伝統をもつ保守的な大手企業では、マイペース型が占める割合は四五パーセント前後です。逆にいえば、管理職の半数以上は自立ができない依存型で、何を決めるにも自分で決められず、いつも上を見て決定するのです。
こうした企業では、同じ管理職でも常務、専務と肩書きが上になるほど、むしろ依存度が高まる人がいます。トップの"いい子"が引き立てられることが多いからです。トップはトップで、子飼いの人間をそばにおいて身を固めておきたいわけです。トップも下も依存し合いの共存の関係になっています。

この大企業組織の共依存の構図、ヤバイよね。こんな構造では、いまのような動きの速い環境変化についてはいけない。だから大企業といえども、簡単に潰れていくんだ。

依存型の上司の下にマイペース型の部下が配属されるとどうなるでしょう。マイペース型の部下は上司の言うことなすことがうるさく感じられてなりません。これが若い世代に職場不適合が急増している原因です。
マイペース型は自分の感情や思いに忠実で、すべて自分の判断で行うので、日本的価値観でいえば、独善的ということになるのでしょうが、欧米では当たり前の生き方ということになります。

そして、マネジメントの崩壊は、依存的管理職の管理下に置かれたマイペースタイプ社員という構図にあると…。これはおもしろい見解だよね。欧米では当たり前の就業態度が、日本の企業では許されない。若い頃の私の苦悩はここにあったのか、と改めて納得したりする。
先に書いた、私の社会人初期2年間が、まさにこれに当たると思わないかい。

妬みは人との比較で生まれ、それもちょっとした差異を問題にする感情です。大きくかけ離れているときは起きません。妬みから足の引っ張り合いが起き、人の成功や活躍を素直に喜ばない風土が長年の間に出来上がっています。
会社では机の大きさだとか椅子の肘掛けの有無などで小さな差をつけて、社員の嫉妬心を煽り、それを成長のエネルギーに転化させてきた経緯があります。強烈な横並び意識と嫉妬心はペアになって、マイペース型人間が生きづらい環境を作り出してきました。

机の大きさや椅子の肘掛けの有無、もう、笑っちゃうんだけれど、こういうことを、いまだにやっている会社を、私は知っている。時代錯誤も甚だしい。しかし、これも「嫉妬心」という人間のネガティブエネルギーを利用して会社を成長させようという戦略だったということ。なんか、ねじ曲がっているよね。

でも、ここ。

自己中心であろうとすれば他者の自己中心も認めなくてはならなくなるのです。

そうなの、他者の自己中心も認めざるを得ない。つまりは、互いが違って当たり前で、そのいいところを認め合おうと…。

我々一人一人が「妬み」の文化から脱して「エール」を送る文化へ移行できたとき、結構いい社会ができ上がるのではないでしょうか。

仏教に「三毒」という教えがある。最も根本的な三つの煩悩として、貪・瞋・癡(とん・じん・ち)。
貪欲、むさぼり、必要以上に求める心。
瞋恚(しんに)、怒りの心。
愚癡、真理に対する無知の心。
これらを克服せよと。利己心を慎み、激しく怒るようなことを止め、愚痴を言わず、嫉妬もしない。
憎しみ、怒り、敵意、不正、嫉妬、この5つを「邪悪の果実」だとエドガー・ケイシーも言っている。社会の中で生きる人間は、ジコチューでは存在できない。人は魂のレベルではみな繋がっていて、実はワンネスであることを思い出せ。
エールを送る文化は、SNSの「いいね!」で実現しつつあるようにも感じるが、ここに依存が生まれないようにしたいものだ。


自己信頼心が育ちにくい現代社会

「いい子」とは、他人によく思われたいばかりに、自分の本当の気持ちを無理に押さえ込んでしまう人たちのことです。評価の基準が自分の中になく、他人の評価基準ばかりを気にするタイプだともいえます。依存型とよく似ていますが、<期待>の在り方が違います。
自己信頼心のことを英語ではセルフエスティーム(Self-esteem)とかセルフトラスト(Self-trust)と言います。「村社会」に育った我々は、本当の自己信頼心(True Self-esteem)がなくても、周囲が「お前は大丈夫だ」というから、「自分は大丈夫だ」と信じることができたのです。それを、条件付きの自己信頼心(Contigent Self-esteem)と言います。
いわば、企業にも家庭にも「後見人」のような人がいて見守ってくれていたのです。ところが、最近ではそうしたシステムが機能しなくなっています。

コロナ以前の社会は、働き方「改悪」の波に呑まれ、無能な管理職は「早く帰れ」とジタハラ連発。伝統文化の村社会も、いまでは機能のしようがない。みんな自分のことで手いっぱい、他人のことなど構っていられる余裕などない…。

人は「愉しさ」の種を探すことよりも、「苦しさ」の芽を育てることに心を向けがちです。
人が愉しめないのは、自分に自信をもてないことが基本にあると考えています。
確たる自分がない人は、「人に対する非現実的な期待」を抱きがちです。「依存心」の問題はここに含まれます。ムダな期待をかけ続けるから、不満や怒りを覚え、結果、愉しめない自分に陥るわけです。客観的に判断して「無理だな」と思えば、期待することをあきらめればいいのです。相手を見限るようで、寂しい判断と思うかもしれませんが、一度はそこを通らないといつまでも相手に引きずられる自分から脱することができません。
「見限る」と書きましたが、それは「見捨てる」こととは違います。赤ん坊と母親の関係を思い描いてみてください。赤ん坊とは何もできない存在です。そう見限ってこそ、母親は全身全霊で赤ん坊を慈しむのです。

いまの管理職には、こんな人も少なくないように私は思う。自閉症スペクトラム症の人も職場に増えているんじゃないのかな。そこに、いわゆる「常識」を期待し、「何度言ったらわかるんだ」できないからと責め続ける。非現実的な期待は、私にはデキない管理職の執着にしか見えない。

自信のない人のなかには、「自分に対する非現実的な期待」に応えようとする人もいます。これは前述の「いい子」の概念を含んでいます。
一生懸命にがんばっても、それが自分自身が望んだものでなければ、深い達成感は得られません。それでいて、人は誰かれからの「期待」なしには生きられません。

あるいは、

「愉しめない自分でいい」と思っているふしがあります。そのほうが楽だ、安心だということがあるのです。
私はそこに成長するエネルギーがないと思うのです。
悩みに悩んで自己嫌悪になるようになって初めて、人は劇的に変わることができる
人ときっちり結びつきたいと思うなら、まず自分の苦しみを引き受けることです。

非現実的な期待をかけられても、「いい子」はがんばる。でも、そこに終わりがないから、もういいやとあきらめて生きる。そんな現代人に、宗像は、自己嫌悪になるくらい悩み倒せと発破をかける。そしたら人生が愉しくなるからと…。


真に人生を愉しんでいるか

私は39年弱働いた会社の中で、あるがままの自己を表現すると、直属上司から疎まれ、それまでの職を奪われ、他部署に異動させられるという経験を幾度となくしてきた。これだけ起こるということはカルマなのだろう。私は順応性が高いようで、そのそれぞれを、それなりに愉しんでやってきたと思う。
イイコの私が、その仮面を剥いだのは高校時代。その頃から親を否定し、嫌ってしまったのだが、結婚し、長男が生まれるまでは、結構あるがままの自分を愉しんでいたと思う。

ところが、子供ができ、責任が増したことで、自分で自分を縛ってしまった。家族を養っていかなければならない。職を奪われて路頭に迷うことがあってはならない。パワハラに遭っても1年間耐え抜いた。私が新事業を立ち上げる度に、同年代の想像を絶する在りもしない作り話に足元を救われる。上司は時代の先が見通せないようで、作り話に踊らされ、これからという時に事業を畳む羽目になる。なんともったいないことか。
この時、私に勇気があったなら、その事業構想を持って独立していたかもしれない。いま、それらは、他の会社が事業化している。

私は研究・開発の仕事に就いていた期間が長い。自分が創造したものを、自分の手で世の中に普及する。大きな企業の億単位の資金を使ってそれができるのだから、これほど面白い仕事はないと思った。時代の先を読み、世に役立つものを創り出す。しかし、その時点の世の中は、そのものを必要としていないから、ビジネスにするには思いを持って続ける必要が出る。その忍耐がまず会社にはなかったし、広めるにも自分しか伝えることができない。でも、それも愉しんでやっていた。

サラリーマン人生晩年の6年半は、リスクマネジメント部門に置かれたが、私はそこで人を生かす「組織開発」の視点で組織に向き合った。大嫌いだった職種で一度辞めることを口にもしているが、組織の目的を拡大し、仕事のアプローチを変えることで、好きな仕事に変えた。途中、部下が半分も切られるという事態にも見舞われたが、それを愉しんだら時間を超越し、私は一人で全員分の仕事を成し遂げた。そんな過酷な状況でも大病はせず、還暦を過ぎてもなお次の人生ステージに思いを馳せている。

昨年4月、会社近くのコワーキングスペースの会員となり、アフターファイブをそちらで過ごした。個人セッションをしたり、月に1、2度イベント的に勉強会を開いて、私の身につけたソーシャルスキルをシェアした。そして、年末、サラリーマン生活を終え、こちらの事業を本格化しようとした矢先…。コロナの嵐に見舞われ、いまは活動を停止している。

私は私のエネルギーフィールドが届くまわりから笑顔を増やしていきたい。ありがたいことに、初対面でも、私の声を聴いただけで癒されると言ってくれる人がいる。顔を見ただけで和むと言ってくださる人もいる。徳が詰めたのか?(笑)
私を訪ねてくださる方のちょっとした悩みを聴き、少し解き解すだけで、みるみる表情が輝き出す。そのエネルギーを逆にもらって、こちらもしあわせを感じる。このエネルギーループがとても心地よく、生きる愉しみとなっている。これからは、こちらが本職になるので、お試しをやめサービス内容も価格改定もする。けれども、お金ではない。この後は、たとえ年金のない世の中になったとしても、夫婦二人が食べていければそれでいい。そんな私は、やっと真の意味で人生を愉しめる状態に近づいたと言えるのかもしれない。
これを読んで一度会ってみたい、そう思ったあなた、人生を愉しむコツ、お伝えしちゃいますよ。ただし、コロナが終息するまではオンラインでね。よかったら足跡残していってください。

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