文章を書くことは、パズルを作ることに似ている
物を書く仕事をしていて、ふと考えることがあります。
「文章を書く」という行為を人に説明するなら、どんなたとえ方をしようかなと。
小説を書きはじめた頃は、頭の中で「ハミガキ粉のチューブ」をイメージしていました。物語のアイディアとは蛇口を捻ったら無限にふきだしてくるものではなく、基本的に捻りだす行為だからです。限界まで使いきったハミガキ粉のチューブを「まだ出るはずだ」とチューブを巻いてみたり、指でプレスしたりと、あるかないかわからない中身を捻りだす行為に似ているなと何度も考えました。
物語を作る、という行為そのもののたとえ方は、未だにしっくりくるものがありません。「しっかり海図(プロット)を書いて航海に出る」ともいえるし、はたまたそれは登山のようなもので、計画通りに進んでいたかと思えば迷って引き返すこともあるし、ときに悪天候で足止めをくらうことも日常茶飯事。トライ&エラーの世界です。
でもそうして失敗を重ねても踏破できた山は少ないし、航海の途中で難破してしまったことも数知れず。けだし生き残るが難しい世界です。
一年前から新たにライターの仕事を始めました。
当たり前ですけど、同じ「文章を書く」にしてもまったく要領が異なる世界だなとすぐに実感。
今までの冒険で得た技術や経験が活かせることもあれば、そうでもないことも多く、取材で得た大量の情報、自分が感じた感覚を記事の方向性に従って取捨選択し、読者にきちんと情報が伝わるように言語化していかなければなりません。
あ、これってパズルに似ているなと、ある瞬間から思いました。
それもただのパズルじゃありません。テーブルの上には完成に不必要な余分なピースもあれば、明らかにピースが足りない時もあります。そもそも正確な枠組みすらよくわからないことがあって、その場合どれが必要でどれが不要か一層判断が難しくなります。
この厄介難攻不落なパズルを完成させる方法は、ただ一つ。
手を動かすだけです。
考える前に、まずは動いてみる。動きながら考える。手を動かして似たようなピースを分類したり、回転させてみたり、ひとまずは無理やり組み合わせてみたり。あーでもないこーでもないと考えるのは頭ではありません、手なのです。
手を動かしていたら、やがて何かの取っ掛かりをつかめる瞬間がやってきます。無関係かと思われていたピース同士がパチパチと組み合わさっていき、いざできあがったパズルを見たら「なんだこんな単純なことで今まで悩んでいたのか」と拍子抜けするほどです。
もちろんできあがったパズルが、それが正解だとは言い切れません。心の底からこの絵柄が正解です! と自分ではそう思えていても、相手からしたら「その絵はちょっと違うかな」というケースもあって。でも、最初から完璧なんて目指していたら、最初の1ピースさえテーブルに置けないのです。
たいていの物事に言えることですよね。
はたして、このやり方やイメージが正しいのかわかりません。
むしろまだまだ挑戦中の身なので、もっとしっくりくるイメージや手法があればそっちにどんどん切り替えてアップデートしていくと思います。
でもどんな手法を憶えても、基本はただ一つ。
どれだけ迷って、悩んでも、最後には手と足を前に向かって動かすことです。たとえ立ち向かう先が山であっても、海であっても、机上のパズルであっても。
諦めずに一歩一歩、一字一字書き続けていれば、辿りついた先にはたいてい、とんでもない景色や絵が広がっているものです。
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