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狙うは「一気読み本」 おカネの教室ができるまで⑳

「できるまで」その3商業出版編の第5回です。総集編その1その2のリンクはこちらから。面倒な方は文末の超ダイジェストをご覧下さい。

初稿比7割カット

まずは、少々長くなるが、「おカネの教室」の商業版リライト最終稿から、冒頭部分を引用する。ゲラ段階で多少変わっているので書籍版とは多少違いがあるかもしれない。

思った通り、二年六組の教室はがらんとしていた。
ちょっと迷ってから、僕は真ん中から少し窓寄りの列の前から三番目の席についた。校庭からサッカークラブの声が聞こえる。ため息が出た。
僕の学校では毎週月曜の六時間目はクラブの時間だ。部活とは別の種目を選ぶのがルールで、僕はバスケと同じくらい好きなサッカークラブを狙っていた。でも、ラッキーだった一年生のときとは違って、今年は人気のサッカークラブはくじ引きで落ち、第二希望のハンドボールもまさかの落選。残ったのはここだけだった。
もう六時間目の開始時間を五分過ぎている。でも、誰も来ない。人気ないんだろうな。
「ようこそ!」
突然響いた大きな声に僕は飛び上がった。ドアの方を見て、今度は目をむいた。
ドアをくぐるように「よいしょ」と入ってきた丸眼鏡のおじさんは、僕が今まで生で見たなかで一番でかい人間だった。鼻が高くて、外国人かハーフっぽい雰囲気だ。
「では、あらためて、ようこそ!」
でかいおじさんは体に似合わない几帳面な字で黒板にこう書いた。

そろばんクラブへようこそ!

そう。僕が放り込まれたのは、いまどき中学生に「そろばん」を教えようっていう、時代遅れのクラブなのだ。
「まだそろってないですね。もう一人、くるはずですが…」
え。二人しかいないの。
「先に自己紹介しちゃいましょう。ワタクシはエモリと言います。江戸を守るでエモリ」
エモリ先生が笑顔で僕の顔をじっとみた。あ、僕の番か。
「二年二組の木戸隼人です。木戸は木のドア、隼人はハヤブサに人と書きます」
「木戸孝允と薩摩隼人の合わせ技で一人薩長連合ですか。なかなかオツですね」
これ、たまに歴史好きのオジサンに言われるネタだ。正直、反応に困る。
ここで教室の前側の入り口から、女の子が一人、ペコリと頭を下げて入ってきた。
「おお。どうぞ、好きなところに座ってください」
僕から一つ空けた廊下寄りの席に座ったその子を、僕は知っていた。小学校は別だし、同じクラスになったことはないけど、けっこうな有名人だからだ。
「自己紹介をしていたところです。ワタクシがエモリ、彼がキドくん。あなたは?」
女の子は落ち着いたよく通る声で「二年四組の福島です」と言った。
「はい、福島さん。下の名前は?」
「乙女、です」
エモリ先生が「おお、今度は会津に土佐ですか」と一人で嬉しそうに笑った。
「福島県が昔は会津藩だったのはご存じでしょう。乙女は土佐の坂本竜馬のお姉さんの名前です。佐幕派と倒幕の大立者のコラボレーションとは、こちらもオツです」
また歴史ネタか。ハーフっぽい顔の割に、日本史詳しいな。
「幕末つながりでいいですね。せっかくですから、これから木戸くんのことはサッチョウさんと呼ぶことといたしましょう」
いや、キド、の方が短いし。
「で、福島さんは、オトメさん、でいいですか?」
「いやです」
「ありゃ。でも、フレンドリーにやりたいので、お二人とも、福島さんのニックネームを考えてみてください。さて、時は金なり。クラブを始めるといたしましょう」
僕はバッグからそろばんを取り出した。お母さんのお古の年代物だ。
エモリ先生が「おお。サッチョウさん、用意がいいですね」とニヤニヤしている。
「あの、わたし、持ってきていません」
「ああ、ワタクシもです。しかし、いまどき、そろばんとは」
なんという言い草だ。いまどき、そろばんクラブを開いておいて。
「今日だけじゃなく、これからも、そろばんはいりません」
「え?」
あ、福島さんとハモッた。
「福島さん、そろばん勘定、って言葉、ご存じですか」
「損か得か、ちゃんと考えるという意味です」
「パーフェクト!」
おお。ネイティブみたいな発音だ。
「そうです。損得、つまりお金の物差しで物事を見極める、ということですね」
エモリ先生が手早く黒板の文言を書き換えた。

そろばん勘定クラブへようこそ

次はKindle版。読む必要はない。変更・削除された部分を太字にしてある。

予想通り、二年六組の教室はがらんとしていた。
ちょっと迷ってから、僕は窓から三列目、前から三番目の席についた。校庭の真ん中でサッカークラブが準備体操をしている。ため息が出た。クラスの男子十五人のうち十人がサッカークラブを希望して、当選枠は五人しかなかった。僕は四年生、五年生に続く三連敗で落選した。バスケ、野球クラブの抽選でも続けて落ちて、残ったのは英語クラブと、ここだけだった。英語は大嫌いだから選択の余地はなかった。こんなクラブ、五年の時には無かったし、「なんで、いまどき」とは思ったけど。
 もうクラブ開始時間を五分過ぎているのに、誰も来ない。よっぽど人気がないんだろう。それにしても顧問の先生すら来ないってのは、どういうことだ。
「ようこそ!」
突然、教室の後ろから大きな声がして、僕はビクッと飛び上がった。三センチくらい、ほんとにお尻が浮いた。振り向いて、今度は目の大きさが一センチくらい広がった。ドアから見えていたのはグレーのチェックのシャツと、白いズボンだけだったからだ。
「よいしょ」
首なしおばけが入り口をくぐると、丸メガネをかけたおじさんが現れた。それは僕が今まで生で見たなかで、一番でかい人間だった。
「では、あらためて、ようこそ!」
でかいおじさんは、ツカツカと歩いて黒板の前に立ち、チョークを手にすると、黒板をかるく見下ろしながら、体に似合わない几帳面な字でこう書いた。

そろばんクラブへようこそ!

そう。僕が放り込まれたのは、いまどき「そろばん」を教えようっていう、時代遅れのクラブなのだ。
「こんにちは!」
おじさんはまっすぐ僕をみて、大きな声で言った。
「こんにちは」
ひとまず返事すると、おじさんはニッコリ笑ってうなずいた。
えーっと。おかしいな、みんなそろってないですね。もう一人、くるはずなんですが」
え。たった二人なの?
ま、そのうちくるでしょう。まずは自己紹介しましょう。ワタクシはエモリと言います。江戸を守ると書いてエモリ。江戸の森、と間違えないでください」
エモリ先生が笑顔で僕の顔をじっとみた。あ、僕の番か。僕は立ちあがった。
「六年二組の木戸隼人です。木戸は木のドア、隼人はハヤブサに人と書きます」
「木戸孝允と薩摩隼人で一人薩長連合状態ですか。なかなかオツですね」
これは歴史好きのおじさんにたまに言われるネタだ。木戸孝允は桂小五郎の名でも知られる長州藩の大物で、長州と薩摩は、手を組んで徳川幕府を倒した。
「薩長連合相手に江戸を守るとは、分が悪いですね」
エモリ先生が歴史ネタを引っ張っていたそのとき、
教室の前のドアががらりと開いて、女の子が一人、ペコリと頭を下げて入ってきた。
「おお。きましたね。好きなところに座ってください」
僕から一つあけた席に座ったその子を、僕は知っていた。同じクラスになったことはないし、話したこともないけれど、けっこうな有名人だからだ。
「今、自己紹介をしていたところです。ワタクシがエモリ、彼がキドくん。あなたは?」
女の子は軽く椅子を引いて立つと、ちょっと低い、よく通る声で言った。
「六年四組の福島です」
「はい、福島さん。下の名前は?」
福島さんが「乙女、です」と答えた。
「ほほう! 今度は会津に土佐ですか」
エモリ先生が一人で嬉しそうに笑うと、僕に「わかりますか?」と聞いた。
「福島県が昔は会津藩だった、のは知ってます」
「さすが薩長連合。乙女というのは、土佐の坂本竜馬のお姉さんの名前です。
佐幕派と倒幕の大立者のコラボレーションとは、こちらもオツです」
オトメって、ちょっと珍しい名前だよな。
「いやいや幕末モノつながりで、いいですね。では、これから木戸くんはサッチョウさんと呼ぶことといたしましょう」
いや、キド、の方が短いし。
「福島さんは、オトメさん、でいいですか?」
「いやです」
即答。
「ですか。困ったな。サッチョウさん、代案はありますか」
「いや、福島さん、でいいと思います」

「いや、フレンドリーにやりたいのです。福島さん、フッキー、はどうですか」
「…いやです」
「困りましたね。よし、これ、宿題にしましょう。次回までに考えてきてください」
「わたしも、ですよね?」
「そりゃそうです。自分のことなんだから。さて、自己紹介に手間取ってしまいましたね。
時は金なり。本題に入りましょう」
ようやくか。気が進まないけど、僕はかばんからそろばんを取り出した。お母さんが商業高校時代から使っていた年代物だ。
「おお。サッチョウさん、用意がいいですね」
目を上げると、エモリ先生がニヤニヤしていた。
「あの、わたし、自分の持ってきていません」
福島さんが言った。なんだか、僕だけ張り切ってるみたいだ。
「ああ、気にしないで。ワタクシも持ってませんから」
え?
「しかし、いまどき、そろばんとは。しかも相当年季が入った逸品ですね
いまどきとは、なんという言い草だ。いまどき、そろばんクラブを開いておいて。
「あの、今日はいらなかったってことですか」
「違います。今日は、じゃありません。そろばんは、いりません」
「え?」
あ、福島さんとハモッた。
「福島さん、そろばん勘定、って言葉、ご存じですか」
「損か得か、ちゃんと考えるという意味です」
「パーフェクト!」
おお。外国人みたいな発音だ。
「そうです。損得、つまりお金の物差しで物事を見極める、ということですね」
先生はくるりと黒板に向き、文言を書き換えた。

そろばん勘定クラブへようこそ

リライト版は1568文字、Kindle版は2202文字。ほぼ3割の削りだ。この部分は、家庭内連載版からKindle版の大幅削りっぷりを以前取り上げている。家庭版からKindle版でほぼ半分に削り、そこから3割カットだから、初稿から7割近くスリム化している。

貴重な第三者=編集者の目

商業版へのリライトでは、削りだけでなく、情報を補足している部分もある。この冒頭で言えば、教室が「2年6組」なこと、この学校には部活と別にクラブ活動があること、それは部活と別の種目・科目を選ばなければいけないこと、などが追記されている。

これらはほぼ編集アライからの「分かりにくい」「すっきり頭に入らない」といった指摘を反映したものだ。
これこそ、編集者という「第三者の目」のありがたさだ。
総集編2で、スティーブン・キングが「書くことについて」で提案している「原稿を寝かせる」という手順いついて書いた。書き上げたらしばらく時間をおいて、客観的に自作を書き直すための距離感を作るのが狙いだ。それでもやはり、完全な第三者の目にはなり切れない。

他の例を挙げると、編集アライからは、ほかに、
・ニックネームと本名、家族内のニックネームが混在して分かりにくくなっている部分がある
・昆虫学者を「役に立たない」というのに、研究者になりたいというサッチョウさんの発言は矛盾していないか
・「銀行家」とあるが、なぜ「銀行員」ではないのか、銀行員と銀行家の違いは何か
といった指摘があり、いずれの箇所も最終バージョンでより分かりやすく、読みやすくなっている。

楽しい「とんかち仕事」

書籍で言えば冒頭わずか4ページでこの調子なので、Kindle版からのリライトはほとんど全文に手を入れる勢いの大規模なものだった。削りの分量を確保するため、4箇所ほど、丸々落としたエピソードもある。文章も、細かい表現や語順を含めて、徹底的に手を入れた。
この作業は、実に楽しかった。

村上春樹は「職業としての小説家」でリライトについてかなりのページを割いている。ゲラが来ると真っ黒にして送り返し、再度送られてきたゲラをまた真っ黒にして「相手がうんざりするくらい何度もゲラを出してもらう」という村上は、こう記す。

同じ文章を何度も読み返して響きを確かめたり、言葉の順番を入れ替えたり、些細な表現を変更したり、そういう「とんかち仕事」が僕は根っから好きなのです。ゲラが真っ黒になり、机に並べた十本ほどのHBの鉛筆がどんどん短くなっていくのを目にすることに、大きな喜びを感じます。

やってみると、私もこの「とんかち仕事」が大好きなのに気づいた。村上は同書のなかで、同じような徹底リライト派だったレイモンド・カーヴァーが紹介した、ある作家の言葉を再引用している。

ひとつの短編小説を書いて、それをじっくり読み直し、コンマをいくつか取り去り、それからもう一度読み直して、前と同じ場所にまたコンマを置くとき、その短編小説が完成したことを私は知るのだ

村上自身、同じようなことを経験していて、この作家の気持ちがよくわかるという。「このあたりが限度だ、これ以上書き直すと、かえってまずいこといなるかもしれない、という微妙なポイントがある」のだという。

「おカネの教室」のリライトでは、私もこれに近い心境まで「とんかち仕事」をやり切った。
「とにかく削らねば」という必要に迫られて始めた作業だったが、「同じ削るなら、徹底的にリズムがあって読みやすくて分かりやすくて一気読みできるものにしてやろう」と腹を固めた段階で、それは知的なゲームの変わった。
書き直しては音読して、また書き直す。最初から最後まで、全文について最低3度、「ここは」という部分はその数倍の手をかけて文章を練った。
そして、繰り返しになるが、この作業はとても楽しかったのだ。

全面リライトと大幅圧縮で、Kindle版と書籍版の「おカネの教室」の読み味はかなり変わった。のんびり、まったりとした読み物から、スピード感のあるストレスレスな一気読みコンテンツになった、と作者は思っている。
もちろん、この過程で失われたものもある。特に、登場人物の掛け合いや、互いの距離感の微妙な変化や人物造形のバックグラウンドなどが薄くなり、「小説っぽさ」が下がったのは否めないだろう。

「ひとまず全力出しました」

それでも、全面リライトは、商品としてのコンテンツに磨きをかけるという点で、十分に満足のいく結果を出せたと自負している。出版後に何度か読み返して、4刷目で2~3か所、ごくわずかに語句を足すなどの修正を入れたが、逆に言えばその程度しか直したい部分は残っていない。

夏場から秋にかけて小学生から中学生への設定変更と大幅な削りをやり、編集アライとやり取りしながら、年末年始の休暇で集中して「とんかち仕事」を進めた。
2018年の1月、私は編集アライに「ひとまず全力出しました」という文言を添えて、最終稿をメールで送った。出版決定から半年かけて、あとはゲラでの作業というところまでたどり着いた。

無論、本づくりは原稿を書いたら終わるわけではない。同時並行で進んでいたデザインやイラストの詰めなど、「パッケージとしての本づくり」はまだ着地点が見えていなかった。
そして、そこには、そこそこの「火種」も残っていた。

次回は本づくりの方向性についての編集アライとのバトル(?)をお送りします。お楽しみに。

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「おカネの教室」ができるまで、ご愛読ありがとうございます。
最終編のシリーズ3の商業出版編、ボチボチと書いていきますので、ごゆるりとお付き合いください。

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