読解力2

「読者を迷子にしない」書き方

読解力を鍛えるには「書く」しかない!(3)

今回は「お父さん問題」の具体的な添削例を紹介します。
まず前回も紹介した、帰国後の第1回目である2018年6月の「天動説と地動説」をテーマとした出題。解答部分は、「お父さん問題」のキモ、「正解のない問題」の問3だけとしておきます。

 地球は太陽の周りをまわっていますが、昔の人は地球の周りを太陽やほかの星が回っていると思っていました。これを[天動説]といいます。
 地球が回っていると考えるのは「地動説」といいます。
問1 天動説から地動説にかわった歴史的な経緯を5行でまとめなさい。
問2 そもそも、どうして人々は天動説を信じていたのでしょうか。理由を2つあげなさい。
問3 地動説を唱えた人々は迫害されたりしました。そのことについて、感想を10行で述べなさい。

問3への三女の解答
次に私が気になるポイントは地動説を唱えた人々は迫害されたりした、ということです。今は、基本的人権が尊重されているため、何かを唱えることによって迫害されたりすることは法律を侵さない限りありません。
だから、私はその時代にも基本的人権がきちんと尊重されていればよかったな、と思いました。それに、意見が違うからといって、人を傷つけたりする人がいるということを残念に思いました。
本来、意見が違う人がいたら、話し合って、理解しあって最善策を協力して見つけ出すことが一番良いとみんな分かっているはずなのに、意見を言っただけで迫害された人が出てしまったからです。私はこれから、意見が違う人とも話し合って、協力できるようにしたいと思います。

この回は「指摘→リライト→再指摘→リライト」といった通常の手順は踏まず、話して聞かせながら、私が直接リライトしてみせる形で進めました。
初回だったので「型」を見せることが大事だと判断したためです。

私が指摘したのは「元の解答は同じところをグルグル回っているだけだ」ということです。
基本的人権(言論の自由)を侵害した迫害の事実、「話し合いが大事だ」ということを繰り返し書いているだけで、論拠を補強する事実や展開がない。そして、唐突に「私はこう思う」という結論に飛ぶ。
これは子どもの作文の典型であり、恐ろしいことに、大人でもよく見かける「どこに向かっているのか分からない文章」です。

結論から逆算してルートを描く

上の文章で唯一はっきりしているのは、三女が「書きたい」と思ったゴールが「意見が違う人とも話し合って、協力できるようにしたい」という部分だということです。ここは明確です。
私は「この意見を書きたいのなら、結論から逆算して『地動説の迫害の歴史がそれとどう関係しているか』という構成を考えるべきだ」と指摘しました。
これは論理的な文章を書く大原則の1つです。
スタートからゴールまで大まかなルートを描いて、それに沿って論を進めないと、読み手はどこに向かっているか分からなくなります。
「読者を迷子にするな」は、公私ともに、私の信条です。

三女の文章の骨格を生かしつつ、主題である地動説への迫害についての見解を厚めにして「迷子にならない」ように私がリライトした文章が下のようなものです。

基本的人権が尊重されていれば、何かを唱えることによって迫害されることはない。私はその時代もそうだったらよかったと思う。しかも、地動説は科学的に正しい説だった。それが不当な理由で迫害されたことは人類の歴史に汚点を残した。
本来、意見が違う人がいたら、話し合って、理解しあって最善策を協力して見つけることが一番良い。私はこれから、意見が違う人とも話し合って、協力できるようにしたいと思う。これまでの常識とは違うことが分かっても、科学的に考えて正しいとしたら、それを受け入れるような柔軟な思考を持つことが大事だ。

重複となりますが、順に再掲しながら見てみます。
三女が繰り返し書いた「基本的人権の侵害」は最初の2文に圧縮してあります。

基本的人権が尊重されていれば、何かを唱えることによって迫害されることはない。私はその時代もそうだったらよかったと思う。

2文目は削っても意味が通りますが、「感想を述べよ」という問題の趣旨を考慮して残しました。

しかも、地動説は科学的に正しい説だった。

ここは論を補強して説得力を持たせる部分で、「準備運動」の1問目、2問目の解答を生かしています。
客観的ファクトの積み上げも論理的な文章の重要な要素です。「お父さん問題」で1、2問目で事実関係の要約をやらせるのは、調べる過程でファクトを押さえ、3問目の論述への助走、まさに準備運動とするためです。

後半は「三女の言いたいこと」をそのまま素直に展開しています。

本来、意見が違う人がいたら、話し合って、理解しあって最善策を協力して見つけることが一番良い。私はこれから、意見が違う人とも話し合って、協力できるようにしたいと思う。

前回書いたように、「お父さん問題」では意見の是非は採点対象外で、あくまで論理展開力の開発に力点を置いています。添削でも、元の文章の意図するところを実現するための作文術に導くのが主眼になります。「この意見はおかしい、本来こうだ」という指導はしません。
その点で大事なのは、最後の「科学的に正しかった地動説が迫害されたことから学べる教訓」にあたる一文です。

これまでの常識とは違うことが分かっても、科学的に考えて正しいとしたら、それを受け入れるような柔軟な思考を持つことが大事だ。

これがないと、前半と後半の文章はつながりが明確にならず、読み手に納得感を与えられません。

なお、この模範解答で一番のキモは前半の最後のこの一文です。

それが不当な理由で迫害されたことは人類の歴史に汚点を残した。

これが置いてあると地動説を巡る歴史について大局観を示して言論の自由が保証された現代との比較が自然に展開できます。問1、問2で歴史的経緯や迷信のバックグラウンドを調べたことを生かした部分でもあります。

また、この一文は「客観+主観」のブレンドにもなっています。
これは、やや高度な技ですが、文章全体に説得力をもたせるのに有用なテクニックです。客観的事実と自分の主張を組み合わせて読み手の頭に滑り込ませると、納得感が高まり、その後の主張にも自然とブリッジができます。
ちなみに、このテクニックは怪しげな健康本や自己啓発本、悪徳商法のパンフレットなどでも多用されています。たとえばこんな例です。

「少子高齢化で年金財政は厳しく、個人で老後資金を1億円用意しないと『貧乏老人』になるのは必至です
「肌の張りを保つ重要成分はコラーゲンとされますが、このサプリメントは自然な食事でとれるコラーゲン3日分を含んだ『美肌』の味方です

こんな調子です。客観的事実の後にたたみかけるように主観的なパートが置かれています。太字部分だけがポンと置いてあれば、「本当にそうなのかな?」とひっかかる読者でも、何となく「なるほど」と思わせてしまう。

閑話休題。さきほどの一文を抜かした解答全体を再掲してみます。

基本的人権が尊重されていれば、何かを唱えることによって迫害されることはない。私はその時代もそうだったらよかったと思う。しかも、地動説は科学的に正しい説だった。
本来、意見が違う人がいたら、話し合って、理解しあって最善策を協力して見つけることが一番良い。私はこれから、意見が違う人とも話し合って、協力できるようにしたいと思う。これまでの常識とは違うことが分かっても、科学的に考えて正しいとしたら、それを受け入れるような柔軟な思考を持つことが大事だ。

「成立しているけど、読み味が違う」と気付かれたのではないでしょうか。
もっとも、子どもにここまで書けというのは酷な話です。
あくまで「お父さんならこう書く」という例として付け加えました。

「グルグル感」と「ノイズ」

「正解のない問題」に自分の言葉で答えるという作業は、初めのころは三女にとってかなり負担の大きい作業でした。
6月の第1回出題は解答まで2週間ほどかかりました。その間、ずっと苦吟していたわけではなく、どこから取り掛かったらよいか分からず先延ばしにしていたようです。

この間、塾からもかなりの量の宿題を出されていて、手が回らない様子でしたので、第2回の出題は夏休みに入ってからとしました。
第2回は、以前ご紹介したこんな問題です。

キリスト教、イスラム教、仏教の3つを世界の三大宗教といいます。以下の問に答えなさい。

問1 それぞれの特徴を5行×3の合計15行程度で簡潔に述べなさい。
問2 上の3つと、日本の神道の違いを5行程度でまとめなさい。
問3 日本人は宗教色が薄いといわれます。その長所と短所をあげて考えを述べなさい。

添削の手順として、問1と問2の解答にファクトや事実認識の誤りがあれば、初稿の段階できっちり指摘して片づけておきます。キモである問3、「正解がない問題」に答えるための土台になるので、ここを整えるのは質の高いレッスンの前提条件でもあります。
出題側に予備知識が十分なくても、大人なら適切な内容をネットで検索するのは難しくないので、それほど手間はかかりません。

三女の場合、この回の問1、問2はどこかから引っ張ってきた文章をコンパクトにまとめた良い解答だったので、「てにをは」を整えただけで及第点としました。これはロンドン時代の学校教育の良い影響もあったでしょう。イギリスの公立校は、多文化主義に基づいた相互理解を深めるため、様々な宗教について授業で取り上げます。三女にとっては神道以外は、学校で習ったことがある、なじみのあるテーマでした。

さて、焦点の問3への解答は以下のようなものでした。

日本人の宗教色が薄いことの長所はイスラミックステートのような宗教同士のぶつかり合いが少なくなることだと思う。短所は宗教色が濃い人に比べて、強く信じ続けられる神がいないことだと思う。
私は、宗教色が濃いよりも薄いほうがいいと思う。理由は、強く信じ続けられる神がいなくても、友達や家族、学校の先生のような人たちを信じればいいからだ。それが難しい人がいたとしても、世界には約70億人も人がいるのだから、その中の全員を信じられない、なんて人はいないだろう。だから、私は宗教同士のぶつかり合いを避け、世界の平和を保つためにも、宗教色は薄いほうがいいと思う。

「天動説と地動説」よりはかなりマシになりました。イスラム国(IS)を「イスラミックステート」と書いているのは、最初にこの言葉を吸収したのが在英時だった名残で、ご愛敬。
文章自体には、まだ同じ論点・視点を繰り返す「グルグル感」はあります。それでも、「天動説と地動説」の初稿のような、1周すると同じ場所に戻るメリーゴーランド状態と違って、らせん階段のように「言いたいこと」へと上っていく方向性が感じられます。

らせん階段のたとえをそのまま使えば、私が添削で指摘したのは以下の3点でした。

(1) 階段をまっすぐにする
(2) 「足りない段」を足す
(3) 「要らない段」を削る

これは今後、連載でご紹介する私の持論、「伝わる文章=飛び石」論の要諦でもあります。その詳細は次回以降としまして、まずは指摘を受けた三女の第2稿。変更点を太字にし、削除された分をカッコ書きします。

日本人の宗教色が薄いことの長所はイスラミックステートのような宗教同士のぶつかり合いが少なくなることだと思う。短所は、(宗教色が濃い人と比べて)強く信じ続けられる神がいないことで、心のよりどころがなく、心が安定しない人もいることだと思う。
私は、宗教色が濃すぎるよりも薄いほうがいいと思う。理由は、強く信じ続けられる神がいなくても、友達や家族、学校の先生のような人たちを信じればいいからだ。(それが難しい人がいたとしても、世界には約70億人も人がいるのだから、その中の全員を信じられない、なんて人はいないだろう。)だから、私は宗教を利用したぶつかり合いを避け、世界の平和を保つためにも、宗教色は薄いほうがいいと思う。

最初のパラグラフの最後の一文が「足りない段」です。
これが加わったことで、「グルグル感」が消えて、1つの見解としてまとまりがでています。この「足りない段」がガイドになって、らせん階段が真っすぐな階段に修正されています。

「要らない段」はカッコ書きの「宗教色が濃い人と比べて」です。これを落とすのは小さい「削り」のようにみえて実は大きな効果があります。

短所は、(宗教色が濃い人と比べて)強く信じ続けられる神がいないことで、心のよりどころがなく、心が安定しない人もいることだと思う。

2文目は、1文目の冒頭、「日本人の宗教色が薄いことの長所は」を受けた文章です。カッコ書き部分を残したままだと、読み手には「日本人の宗教色が薄いことの長所は、宗教色が濃い人と比べて」という言わずもがなの比較が頭に浮かび、無用な「ノイズ」となります。

もっとはっきり「ノイズ=要らない段」だと分かるのは、後段で削除したカッコ書きの部分です。

(それが難しい人がいたとしても、世界には約70億人も人がいるのだから、その中の全員を信じられない、なんて人はいないだろう。)

おそらく書き手(三女)は「例外もいるだろうから補足しておきたい」という意図から書き足したのでしょう。
こうした、念のための補足や「なお書き」といった、ある種の保険やエクスキューズは、大人の文章でもよく見かけるノイズです。文章のベクトルが別に向いたり停滞したりするので、読み手がひっかかり、本来の主張をスッと理解してもらう障害になります。

「たいていの文章は削れるし、削った方が良い文章になる」のはよく言われる事実であり、私自身の経験則でもあります。
削った方がよくなるのは、たとえば「とにかく1割減らそう」という目で見ると、こうした「ノイズ」に敏感になるからです。

無論、文章というものは、何でも言い切れば良いわけではありません。
重要な論点なら、しっかりと行数を費やすか、別にパラグラフを立てるなりして納得感を高める方が得策です。その方が良い文章になります。
しかし、「書き手の不安」がにじんだ保険のようなノイズやエクスキューズは、機能しないだけでなく、スムーズな理解を妨げる躓きの石になります。

「音読」のススメ

この、「グルグル感」やノイズを感知する良い方法として私がお勧めするのは「音読」です。心の中ででも良いので、読み上げて文章のリズムと展開を点検するのです。
言語の本性はオーラルコミュニケーションです。多くの場合、「耳で聞いてスッと分かる」のは論理的な文章、特に小論文など短い文章では1つの完成形です。
音読して「読み手」として一文ずつ順に消化してみると、「またそれ?」「あれ?そっち行くの?」と思う部分や、「何かひっかかる」「話、飛びすぎ」といった違和感を感知しやすくなります。
公私ともに、「1回、音読してみなさいよ」は私の口癖です。

以下は私が第2稿に手を入れたものです。

日本人の宗教色が薄いことの長所はイスラミックステートのような宗教同士のぶつかり合いが少なくなることだと思う。短所は、強く信じ続けられる神がいないことで、心のよりどころがなく、心が安定しない人もいることだと思う。
私は、宗教色が濃すぎるよりも薄いほうがいいと思う。理由は、信じる神がいなくても、友達や家族、学校の先生のような人たちと信頼できる関係を作ればよいからだ。宗教が戦争やテロなどの理由になっていることもあり、そうしたことを避けるためにも、宗教色は薄いほうがいいと思う。

元の「宗教を利用したぶつかり合いを避け、世界の平和を保つためにも」という部分を、太字のように言葉遣いを「大人の作法」に整えただけです。

この回は、ここまでで推敲は終わりとしました。
私が手を入れた解答でも、甘くみて65点、公平にみればせいぜい50点くらいの出来で、水準には達していません。前半はそれなりにまとまっていますが、後半はロジックの詰めが甘く、少々乱暴な文章です。

それでも「この回は終わり」としたのは、前述したとおり、「お父さん問題」は三女にはそこそこ大変で、これ以上の負荷をかけるのは良くないと思ったからです。しつこくリライトさせられて、作文が嫌いになっては元も子もありません。仕事なら、そこまでやらせますが…。

人間、何事もステップ・バイ・ステップでしか上達しないものです。
まだ8月と年明けの受験まで間があったので、「このペースで徐々にレベルアップすればギリギリ間に合うだろう」という感触がありました。

最後に1つ、改めて補足します。
詳細は割愛しますが、この解答の主張は私個人の持論とはかなりズレがあります。これは、極めて複雑な、こんなにシンプルには切り取れない、まさに「正解のない問題」です。
この「正解のない問題」に対して、子どもなりのレベルで良いので、まとまった答えをまとめる作業が「お父さん問題」のキモです。
単なる作文とは違う、この負荷の大きい知的作業が、論理的思考力を伸ばし、「書く」だけでなく、読解力も引き上げる道につながると私は信じています。

だから添削に当たっては、私個人の主義・主張は横に置いて、「彼女のロジック」に乗っかり、文章の「足りない段」「要らない段」をみつけて交通整理することに専念します。
そのうえで、時間に余裕があれば、「お父さんはこの問題はこう思う。なぜなら……」という話をします。これも「対等な意見」として提示して、「正解の押し付け」に響かないように注意しています。自分の頭で考える習慣づけの邪魔になっては本末転倒だからです。

次回はもう少し、「お父さん問題」の添削例を紹介します。

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