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「国債は将来世代へのツケ回しではない」論の落とし穴

ここ数年、ネット上でタイトルのような言説をちょいちょい見かけます。

煎じ詰めると、「死ぬまでに借金を返さないといけない家計と違い、政府は借り換えを続ければ元本を事実上返済しなくてよい」という理屈です。
特に自国通貨建ての国債なら、中央銀行が買いとってしまえば、いくらでも消化できる。「右手が左手にお金を借りているようなもの」といった表現を使う人もいますし、ちょっと前にも『安倍晋三回顧録』の「国債を発行しても、孫や子に借金を回しているわけではありません。日本銀行が国債を全部買い取っているのです」という部分を巡って、ちょっとした議論(?)がツイッター上で起きていました。

このロジック、私も部分的に支持します。
国の財政を家計に例えるのはミスリードなのは間違いない。財政が破綻する国家もあるけれど、それは家計とは質が違います。
国の借金は裏返しで貸し手である民間の資産になっています。
借金を返す=国債を消滅させる=民間の資産が消える、という会計的な関係も基本的に正しい。

しかし、「国債を大量に発行しても将来世代のツケにはならない」と言う主張には賛同できません。
部分的に間違っているというか、穴があるからです。
たとえ「借金」を孫や子どもたちが返さなくても良いとしても、別の形で「ツケ」は残ります。

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