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政治家と「言葉の力」 メイ首相辞任に思うこと

イギリスのメイ首相が5月24日、ついに辞意を表明した。
Brexit迷走の出口は見えず、「『代わりがいない』以外に生き残っている理由がない」という状態だったので、意外感はない。よくここまで粘ったな、というのが正直なところだ。
ちなみにタイトル画像はちょっと前のEconomist誌の表紙に私がイタズラ書きしたものだ。書き足したのがどこか、左脇えぐりこむように、探してみてください。

EU離脱を決めた2016年の国民投票の直前にロンドンに赴任し、帰国後も英政治をウオッチしてきた私としては、メイちゃん(と我が家では呼ばれている)の辞任は感慨深いものがある。Brexitの行方なんかも、個人的にはアレコレ語りたいこともある。
が。
今日はずっと頭に引っかかっているあるテーマ、「政治家と言葉の力」についてアレコレ書いてみたい。
なお、政治家は「ちゃん」付け以外、原則敬称無しとします。「氏」とつけるのが面倒なだけで他意はありません。

言葉無き政治家「ロボット・メイ」

メイちゃんは「言葉の力」のない政治家だ。スピーチがぎこちなくて、アドリブが全く効かない。
そんな人がなぜこんな国難の時代の宰相になってしまったかは、長くなるので割愛します。「すべての先行馬があれよあれよと落馬して、ダークホースが不戦勝してしまった」という解釈でだいたい合ってます。
こうやって国は没落していくのだなぁ。

さて、首相になってしまったメイちゃんは、イギリス国内では「Maybot」なんて酷いニックネームを頂戴している。ロボットみたいで人間味がないという意味だ。YouTubeには「メイちゃんの気まずい瞬間ベスト5」というこんな動画もある。

これらの選りすぐりのシーンに限らず、ロンドン時代、テレビにメイちゃんが出てきてライブでしゃべりだすと、いたたまれない気持ちになることがちょいちょいあった。準備万端のはずのテレビ出演でも、いきなり宴会で無茶ぶりされた若手社員みたいな状態になってしまうのだ。
終いには「普通に踊ったつもりがロボットダンスになっちゃった」というやけくそなパフォーマンスを披露して、Maybotの異名を不動のものとした。つくづく自爆体質である。
「この人は、どこか田舎の校長先生あたりが向いているのにな…」というのが私のメイちゃん評だ。ゆっくり休んでください。お疲れ様でした。

メイちゃんと対照的に、労働党のコービン党首は強烈な「言葉の力」を持っている。これは後述するとして、その前に、私が欧米政治における「言葉の力」の大きさを意識したきっかけをシェアしたい。

「ヒラリーよりトランプ」

以下の投稿で紹介したように、私はロンドン赴任の直前、2015年秋から16年春にかけて集中的な英語レッスンを受けた。

このとき1on1のレッスンを受け持ってくれたのがスコットという30代の米国人男性だった。週2回、1回90分なんて頻度でレッスンがあると、下手すると嫁さんよりたくさん会話するという濃密なお付き合いになる。
2016年といえば秋の米大統領選でトランプがまさかの勝利を収めた年だ。話題が政治に及ぶことも多かった。

スコットは熱狂的なバーニー・サンダース支持者だった。
米国の20~30代のいわゆる「ミレニアル世代」では分配重視の民主社会主義への支持が広がっている。金融危機と格差拡大を招いた(と考えられている)新自由主義的な経済政策への反動が背景にある。
サンダースは左傾化ムーブメントの旗印ともいえる政治家で、2020年の大統領選でも有力な民主党候補の1人とみなされている。

レッスン当時は共和・民主両党の候補者を絞り込む段階で、共和党はトランプ、民主党はヒラリー・クリントンが先行していた。
サンダース支持者のインテリであるスコットは、当然のことながら、トランプを毛嫌いしていた。
ある日、私が「サンダースが候補になる見込みはないだろう。じゃ、クリントンに投票するの?」と聞くと、意外なことに、「ヒラリーに入れるぐらいなら、トランプの方がマシ」という答えが返ってきた。
ヒラリーの不人気ぶりは知ってはいたが、普段のスコットの発言からはちょっと筋が通らない選択に思えた。
私が「理由は?」と聞くと、スコットはこう答えた。

「ヒラリーの話し方だけは我慢ならない。あれはウソつきの喋り方だ」

喋り方、と言われても、私の英語力では、ヒラリーのスピーチは「綺麗ごとに終始してはいるけど、お手本のように聞き取りやすい」という印象しかなかった。
興味がわき、「どのあたりでそう思うの?」と重ねて質問した。
スコット曰く、「ヒラリーは相手によってアクセントや語彙を完全に変える。相手がエリートならエリートらしく、相手が黒人の低所得層だと『私も仲間よ』というように振る舞う。あれは偽善者のやり方だ」
そして、対照的に「サンダースは、誰と話すときも分け隔てなく同じ話し方をする。あれが誠実な人間というものだ」と力説した。

そう言われてみて、私はヒラリーのテレビ出演やスピーチの動画をネットでいくつか見てみた。
確かに、よく言えばTPOに応じて、悪く言えば相手に迎合して、話し方や表情までコントロールしているように思えた。こんな動画もある。

変幻自在の話術は訓練の賜物であり、「頭が良すぎる」ということもであるのだろう。がんばって訛りを直したのに、ヒラリーも可哀そうだな……。
ちなみにサンダースの最近のスピーチはこちら。

何となく、以前より、喋りがうまくなってないか?
もっと「朴訥としたおじいちゃん」というイメージがあって、私の貧弱な英語耳では若干聞き取りにくかったのだが……。
それにしても、ヒラリーよりは人間味があるのは確かだ。

ちなみにトランプの独特の喋り方も、支持者には「ツボ」のようだ。
内容は嘘八百で人種差別・女性差別てんこ盛りだが、「俺たちと同じ言葉で話す本音の男」というキャラを確立している。
Political Correctness の権化みたいなヒラリーとは対極的で、「とにかく既存の政治家・エリートは信用ならん」という政治不信の受け皿としては非常にうまい話術だ。
これは、よく指摘されるように、トランプ個人のもともとの個性であり、テレビのリアリティーショーで身に着けたテクニックなのだろう。

ケネディとオバマはやっぱり凄い

ちょっと余談を。
私がこれまでにもっとも感動した政治家のスピーチは、超がつくほど月並みではあるが、以下の2つだ。
1つはケネディ大統領の就任演説。"Ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country”という、キング牧師の"I have a dream"と並ぶ、20世紀のもっとも有名なフレーズを盛り込んだ演説だ。

もう1つも超定番だが、2004年の民主党党大会でのオバマのスピーチ。これは何度聞いても涙腺に来る。

残念ながら、私的にはオバマはこのスピーチがピークで、内政・外交とも大統領としては期待外れだった。
でも、スピーチとしてだけ見れば、これはやはり歴史的な名演説だろう。内容、緩急、決め台詞などなど非の打ちどころがない。

記憶に残らない日本の政治家の言葉

日本の政治家のスピーチや言葉には、あまり記憶に残っているものはない。
私は1972年、佐藤栄作内閣の末期に生まれた。その後すぐ田中角栄が首相になり、三木武夫、福田赳夫と続くわけだが、この3人については全くリアルタイムの記憶がない。
最初に「国会でしゃべっているこのオジサンが日本の首相なのか」と認識したのは、1978年12月に発足した大平芳弘内閣だ。Wikipediaによると、大平内閣は在任554日、80年6月まで続いた。
大平の「言葉」で覚えているのは「アー、ウー」だ。
以下、大平のWikipediaの「アーウー」の項(←ひどい、笑)より抜粋します。太字は私です。

演説や答弁の際に「あー」、「うー」と前置きをすることからアーウー宰相の異名を取った。(中略)鈍重な印象が強かったが、実際は頭の回転が早く、ユーモアのセンスもあった。発言も論理的で、早口であり、「あーうー」を除けば全く乱れがなかった。田中角栄は「アーウーを省けばみごとな文語文になっているんだぜ。君ら(=記者)の話を文章にしてみろ。話があちこち飛んで火星人のように何をしゃべっているのか分からんぞ」と、大平を擁護した。
自身は「大平さんはあーうーである、あーうーの大平さんということで、この頃、声帯模写でも随分有名になっておるようです」「私は長い間戦後で一番長い外務大臣をやらせて頂きました。(中略)外務大臣の答弁というのは、ワシントンもすぐキャッチしております。モスコーも耳を傾けております。北京も注意しておるわけでございまするから、下手に言えないのであります。そこで、『あー』と言いながら考えて、『うー』と言いながら文章を練って、それで言う癖がついたものですから、とうとうそういうことになったのでございますが、私は悔いはございません」と発言している。
この「あーうー」は当時流行語にもなり、物まねする子供も多かった。

はい、マネしてました(笑) モスコー、がいいですね。
ここで大平を擁護している田中角栄は演説の名手と言われたが、実際には文章に起こしてみると、それこそ「話があちこち飛んで火星人のように何をしゃべっているのか分からん」ものだったらしい。知らんけど。

その後、中曾根康弘の長期政権の後、日替わりとは言わないけど年替わりぐらいのペースで首相がコロコロ変わって、その誰についても、これというスピーチは思いだせない。細川護熙の「腰だめ」でズッコケたことぐらいしか記憶はない。
おそらく最も強い「言葉の力」を持っていたのは小泉純一郎だろうが、私のツボではなく、「ずいぶん乱暴な物言いをする人だな」という印象しかなかった。
歴代首相の言葉で唯一、記憶に残っているのは、まさかの衆院解散宣言が飛び出した、野田佳彦と安倍晋三のこの党首討論だけだ。

久しぶりに見返してみたが、肚が座った野田と対照的に、安倍は明らかにサプライズ発言に動揺している。最後は、棚ぼたの解散確約で頬が緩んでしまって、野田の「覚悟のない自民党に政権は戻さない」という力強い決意表明の引き立て役になっている。これはリアルタイムで見ていて感動した。
が、ご存知の通り、その後の展開は「言葉に力があっても、結果が出なけりゃしょうがない」というものであり、そのまま今に至っている。

英国の名物グリル料理 PMQs

イギリスに話を戻します。
ロボット・メイちゃんと対照的に、最大野党・労働党の党首コービンは、パワフルな「言葉の力」を持っている。

英議会は毎週水曜日、 党首討論プラス与野党議員の質問に首相が答える、Prime Minister's Questions (PMQs) を開く。
これは首相にとって試練の場で、「PMQsが嫌だから英首相は水曜日に外遊を入れたがる」と言われるほどだ。外遊だと、財務相とかが代打に立つ。
実際、PMQsにはよく grillという、コンガリ焼き上げるように厳しい追及をするという動詞が使われる。受け身で ”PM May will be grilled on her messy Brexit negotiation(ダメダメなBrexit交渉のせいで、メイ首相はPMQsでコンガリ焼かれそう)” みたいな感じだ。
首相が追い詰められたり、うまく反撃したり、誰かがうまいことジョークを飛ばしたり、政治ショーとして非常に面白く、必ずBBCが生中継する。

PMQsの風景はこんな具合で、奥のでかい椅子にいるのが下院議長だ。最近、日本でも、"Order! Order! (静粛に!静粛に!)” と叫ぶ映像がちょいちょい流れていたので、見覚えのある方もいるかもしれない。

党首討論はガチンコ勝負で、お互い、こんな表情で罵り合いに近い激論を戦わせる。

(メイちゃん、コワい…)

私が渡英した時点で、コービンは労働党党首になって半年ほど経っていた。
正直、PMQsでの彼は、切れ味はイマイチだった。
せっかく何かの争点で保守党側が失点した週でも、なぜかそこを攻めず、子どもの貧困やホームレス問題、国民医療保険(NHS)などを取り上げて「敵塩」状態になるケースも少なくなかった。
ちなみにNHSは「王室の次に愛されている」というぐらい英国民の誇りで、与党も野党も「我々こそがNHSの守護神だ」というアピール合戦を繰り広げる。資金不足で実質的にシステムは破綻してますが。
貧困やNHSは深刻な社会問題であり、だからこそコービンは取り上げていたのだろう。
だが、PMQsはしょせん「口喧嘩」なのだ。
長距離砲の政策論や理想論を取り上げても「それはブレアやブラウンなど労働党政権が放置してきた問題を保守党が絶賛尻ぬぐい中です」みたいな感じではぐらかされるのが関の山だった。

日本でもそうだが、イギリスでも野党党首の国会外の通常のスピーチがメディアで流れるケースはほとんどない。
だから、私のコービン情報はPMQsでのパフォーマンスに偏っていて、「これでは選挙になったら勝負にならんぞ」と思い込んでいた。これは、イギリス国内のムードとしても、そんなに偏った見方ではなかったと思う。

テレビインタビューで発揮した「言葉の力」

そして2017年4月。メイが2020年の予定だった解散総選挙の前倒しに打って出た。5月解散、6月投開票というスケジュールが固まった。
これは当初、「保守党が鉄板で勝利する」と予想されており、私もそう思っていた。労働党に勝てる要素が見当たらなかったからだ。
労働党は右派(ニューレーバー系・旧ブレア派)と左派(コービン含む伝統的な労働党路線)が対立し、「コービン降ろし」が起きては失敗を繰り返すという体たらくで、まともにマニフェスト(選挙公約)を作れるかも危ぶまれる状態だった。

だが、選挙戦が始まり、野党党首であるコービンのメディア露出が急増すると、私は認識を改めた。
「メイボット」と違って、コービンはユーモアと温かい人柄がにじむ、共感力の高い語り口を持っていた。私が「コイツは下手すると……」と思ったのは、このテレビインタビューだった。

コービンとメイが、順番にパックスマンという著名ジャーナリストからインタビューを受けるという趣向のこの番組で、コービンは化けた。
いや、この表現は正しくない。
この番組で、私は初めてコービンがもつナチュラルな「言葉の力」に気づいたのだった。
お時間がある方は前半のコービンのパートだけでもご覧いただきたいのだが、かいつまんで説明する。
パックスマンは、日本で言うと、わざわざ徹夜して「平行線はどこまで行っても交わらない」というユークリッドの定理を再確認する討論番組の司会(枕詞なげーな、笑)のようなタイプだ。相手の答えを遮りまくり、挑発しまくり、失言を引き出そうとする。「イエスかノーか、はっきり答えて!」とかガキみたいなことを平気で言うところもそっくりだ。

この時、パックスマンは執拗に「労働党のマニフェストにはあなたが長年主張してきた信念が盛り込まれていない。それでいいのか」と追及し続けた。たとえば潜水艦から発射する核ミサイル「トライデント」の更新への反対や銀行国有化などが代表例だ。
これに対してコービンは「マニフェストは労働党内で民主的に決めるもので、私は党首としてそれを全面的に支持している」「マニフェストは私が個人で決めるのではない。私は独裁者ではない」と至極真っ当な説明を丁寧に繰り返した。
これに対して、パックスマンは、何とか失言を引き出そうとして、あるいはコービンに「変節漢」のレッテルを貼ろうとして、何度も発言を遮り、挑発的な物言いに終始した。
コービンは全くその挑発に乗らず、ユーモアをもって柔らかくいなしてきっちりと自分の立場を主張してみせた。
はっきり言って、素で見ていて、パックスマンが頭がおかしくてコービンがそれを諭しているようにしか見えなかった。ツイッター上にもリアルタイムで私と同じ感想があふれていた。
どうもコービンは、PMQsのような対決型より、対話型・質問型の発信の方が得意なようだ。根が「ええ人」なんですな。
とにかく、このときのコービンは、この後出てきたメイが気の毒になるほど、水際立ったパフォーマンスをみせた。

コービンの「言葉の力」にさらに驚嘆したのは、イギリスの初夏の風物詩、グラストンベリーの野外コンサートだった。1970年からほぼ毎年開かれ、数日にわたって十数万人が参加する世界最大規模の音楽祭だ。
総選挙で保守党を過半数割れに追い込むまさかの「勝利」をあげた直後のこのイベントで、コービンがスピーチに立った。これがその時の動画だ。

この年のグラストンベリーには、エド・シーラン、レディオ・ヘッド、オアシスのリアム・ギャラガーなどを含む60近いアーティストが参加していた。
その中でも最大の歓声をもって迎えられたのが、コービンだった。
日本で、たとえばフジロックフェスティバルに政治家が闖入して喝采を浴びることなど、想像できるだろうか?
リアルタイムで中継を見ていて「これは、トンデモナイことがイギリス社会に起きている」と驚愕した。

動画を見てもらえば分かるが、彼のスピーチは、政治家然としたものではなく、等身大で、若者と同じ視線の高さで、"Build bridges, not walls"とか「誰かが路上で寝るよう社会を正義と呼べるのか」「平和は可能だし、実現されるべきだ」といったストレートな主張にあふれている。
あえて言えば昔気質の左翼の活動家の典型と言えなくもないが、アジテーションの色は薄く、「本音でしゃべってる」のが伝わる。
17年の総選挙のupsetを演出したのは若者だった。オクスフォードやケンブリッジなどのカレッジタウンの投票所に、数時間待ちという未曽有の行列ができたのが象徴するように、若者の投票率上昇が労働党に想定外の躍進をもたらした。
コービンのスピーチとそれに対する聴衆の熱狂的反応は、イギリスの地殻変動を感じさせる。

建前が後退し、本音が前に

気が付けば7000字を超えている。またやってしまった。
そろそろ、私の「政治家と言葉の力」というテーマに対する暫定的な見解を述べて、本稿を閉じたい。

ここ数年、世界で起きているのは「建前」から「本音」へのパラダイムシフトだ。
いわゆるPolitical Correctnessの呪縛と欺瞞は、世界的な政治不信を後戻りできないところまで根付かせてしまった。各国に広がるエスタブリッシュメント(既得権益層)やエリートに対する憎悪と反感の根っこには、右派であろうが左派であろうが、「綺麗ごとはもうたくさんだ」という気分がある。
それが米国ではトランプ現象を呼び、その対極で、伝統的な米社会なら「極左」と切り捨てられた民主社会主義の台頭につながっている。
欧州では極右勢力の拡大やBrexitと同時に、イギリスのコービン現象、フランスの左派・メランションへの若者の支持拡大、スペインのポデモスやギリシャのSYRIZAの躍進が起きている。

興味深いのは、行き過ぎたPolitical Correctnessの負の影響を受けやすいはずの左派勢力も「言葉の力」を取り戻しつつあることだ。
本稿ではコービンについて詳述したが、サンダースの朴訥とした語りや、話題の米民主党のアレクサンドリア・オカシオ・コルテス(AOC)など、「本音をぶつける左翼」の台頭は著しい。
AOCの演説はいくらでもネットに落ちているので検索してみるといい。ちょっと空恐ろしいほどのパワーがある。天性のアジテーターだ。ここでは、このキュートでウィットに富んだ動画だけシェアしておこう。最後の一言が秀逸。

トランプというモンスターに「おい、なめんなよ」(意訳)と言えるブロンクス出身の29歳。こういうのが出てくるから、アメリカは侮れない。

不思議なのは、日本では野党・左翼陣営にこうしたムーブメントがほぼ皆無なことだ。アジテーターは、古いのも新しいのもチラホラいるが、どうにも言葉が上滑りしている感があり、地に足の着いた「普通の言葉」で社会民主主義を代弁する政治家の顔が浮かばない。

今回は「言葉の力」に絞って、徒然なるままに考えてきたことをまとめてみた。
この先には、「今は1979年までさかのぼる歴史の振り子の大転換点かもしれない」という私の最近の仮説が控えているのだが、いいかげん8000字を超えてきているので、きょうはここまで。
本当はこの原稿は、この本を読み終わったら書こうと思っていたのに、メイちゃんが踏ん張り切れず、見切り発車になってしまった。
「候補者ジェレミー・コービン」、まだ4分の1ほどしか進んでいないが、メチャクチャ面白いです。お勧めします。

読了して、また機会と時間がありましたら、どこかで続きを。
では、また。

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