吉増剛造に会えること


明日、念願の吉増剛造に会える。
2021年から会うチャンスを探していた。
思いは叶う。
年齢を考えると最後かもしれない。
思いのたけを伝えよう。

思い返せば、2021年小泉晋哉先生の紹介で、詩集の出版のために足利市立美術館を訪ね、そこで2017年に吉増剛造展が開催されていたことを知り、当時のパフォーマンスの資料を求め、DVDを手に入れた。

『ソラリスの襞』を書きながら、何度それを見たかわからない。煙の中で、何か呟いているシャーマンのような姿があった。

間違いなく詩壇の頂点にいる吉増剛造が、得体の知れない存在でいることが僕らを勇気付ける。彼を表現する時、疾走するイメージ、言葉や物語が再生される前の状態をつかむ、ようなことが言われるが、構造化できぬよう逃げていく、逃れていくものを、一体どうやって、言語化するというのだ。脱構築という言葉では片付けられない何かがある。もしかしたら、吉増剛造はすでに別な次元とすでにアクセスしているのかも知れない。

彼が、呪術師なのか、預言者なのか、詐欺師なのか、
彼と会えば、わかるような気がする。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?