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台湾文化の共時的現象

このnoteで紹介している様に、僕は台湾で建築ジャズについて、継続的にその活動をフォローしています。その歴史的経過を見たときに、台湾ではこれらの文化的活動が、1987年に戒厳令を解除した時点を起点として、とてもオープンになっていると感じています。そして、その傾向は建築と音楽に限らず、様々な文化的側面、産業活動にも及んでいる様に思っています。

ここでは、僕がその様に感じている様々な事例を紹介してみます。それぞれのテーマについて深掘りすることは次の機会にし、こういったシーンでその様な傾向を感じると言った説明をしてみます。

建築

台湾の現代建築は、とてもフレキシブルに世界の潮流を受け止めて、様々な新しい試みをしている様に思います。この傾向は戒厳令が解かれる前、全ての建築業務が政府の方針に従ってコントロールされ、デザインの方向もとても保守的で制限の多かったものと比べると、その反動とも言える様に自由奔放なものになっています。
特に最近の公共建築にはその傾向が強い様に思います。それは、外国人建築家をデザイナーに起用した場合だけではなく、台湾の建築師による設計であっても、あった驚く様な斬新な設計がなされる事が、しょっちゅうあります。

故宮博物院南院

ジャズ

ジャズという音楽が芸術の一ジャンルとして認められる様になるのは、ごく最近のことである様に思われます。それまでは、音楽と言えば中国と台湾の伝統音楽か西洋のクラシック音楽でしかありませんでした。音楽を学校で教える際にも、それ以外の音楽はジャンルとして認められていなかった様です。
それが、戒厳令の解かれた後に、ジャズといったジャンルでもアメリカやヨーロッパに留学して学ぶと言う道が開かれました。
今から20年前、台湾ではジャズを演奏する人間もほとんどおらず、ジャズを聞かせる店もとても少なかったそうです。その様子は今はとても様変わりしています。多くの若者がジャズの演奏を楽しんでジャムセッションは盛況ですし、ジャズの聴けるライブハウスもたくさんあります。それは、台北を中心にして、その他の地方都市にも広がりを見せています。

この様な新しい世代の取り組んでいる台湾のジャズは、実験的精神に富んでおり、とても大胆な試みを見せてくれます。

雅痞書店でのジャズライブ

ビール

台湾では現在、地ビールの生産がとても盛んです。このビールの製造も、戒厳令の解かれる前は国営事業として台湾ビールが中心に市場をコントロールしており、あまり競争のないものだったそうです。
それが2002年にビールの製造が自由化されて後、様々な他のビール製造会社が参入してきました。それは、大規模な工場から小さなブルーワリーまで様々あります。現在台湾で見ることのできるビールは、大企業のものでもバリエーションはとても多く、それ以外にたくさんの地ビールのブランドがあります。

台湾の地ビール

ウイスキー

先日カヴァランウイスキーの見学に行った際、宜蘭のこの工場は、2002年に建設されたと言っていました。このウイスキー事業も戒厳令の解かれる前は、民間企業が自由に生産することはできなかったそうです。ですので、ウイスキー生産の自由化を待って、万を辞してウイスキー製造をスタートさせたそうです。
現在、カヴァランのウイスキーは世界的にも名を馳せるブランドに成長しています。この宜蘭の工場は、大規模生産を目指したとても野心的なもので、現在でも相当な規模を持っていますが、敷地は広く更なる拡張の余地を残しています。
台湾の友人は、これらカヴァランの事業は、半導体でのTSMCに匹敵すると言っていました。とてもイノベーティブで、先進的な企業です。

宜蘭のカヴァランウイスキー工場

歴史研究

歴史研究の分野は、戒厳令の解かれる前は中国史一本槍だったそうです。中国5000年の歴史を伝説時代から中華民国の成立まで学ぶわけです。台湾の歴史は全く眼中になかった。
それが、戒厳令の後は台湾をテーマにした歴史研究が花開いています。この台湾の歴史家のことについては別に記事を書いていますので、参照ください。

ここでは文化的側面で、僕のアンテナにかかっている事象だけを紹介しました。きっとこれ以外にもたくさんの面で、自由化の影響を受けて花開いている分野があるのだろうと考えています。
これは、印象としてスノーボールアースの抑圧の時代の後に現れる生命の大爆発の様な、そんな活気のある出来事なのではないかと考えています。

フレキシブルな思考様式を持っている台湾人が、世界中から自由にアイデアを持ち寄り、使えるものはどんどん実施していく。西洋も東洋も、アメリカもヨーロッパも日本も中国でさえも、同じ様に検討の俎上に上げ、有効であれば採用していく。その様な自由な時代の精神というものを感じています。

そして、そのきっかけとなっているのが、抑圧され続けた戒厳令の時代からの解放なのではないか。そんな風な印象を持っています。



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