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三浦大知「明石家紅白」に見るアーティストとしての持論

三浦大知さんが第13回「明石家紅白」に出演したのを拝見しました。
さんまさんとの多くのやり取りから彼のアーティストとしての長年の活動と経験から見えてくる持論を垣間見ることが出来ます。
彼が明石家紅白で熱く語った持論を聴きながら、記事を書いてみました。
記事は有料配信になっています。(前半部分の一部無料配信)

※記事を配信するにあたり、できる限りの事実と事象を調べました。又、この記事には、私個人の意見や持論が強く反映されていますので、一般的な認識とは異なる部分もあるかと思います。
しかし、三浦大知というアーティストの存在は、今後のJ-POP 音楽の発展になくてはならない存在であり、彼の示す音楽の形が新しいJ-POP音楽の1つのモデルケースになることは間違いないと思います。


「歌って踊る音楽」というカテゴリー

三浦大知というアーティストをJ-POPの分野でカテゴリーに分けるとしたら「歌って踊れるアーティスト」ということになるのは、誰もが納得することでしょう。
この「歌って踊る」というジャンルは日本でいつ頃から出現したのかと言えば、すでに1980年代には現れていたと言えるかもしれません。
その先駆けの1つにはジャニーズのアイドルグループである少年隊やSMAP、もっと遡れば、たのきんトリオだったり荻野目洋子もそのカテゴリーに入ると言えるでしょう。
ですが、日本のダンスミュージックというものが1つのカテゴリーとして広く認識されたのには、小室哲哉の存在が大きかったかもしれません。
彼の1990年前後からの音楽プロデューサーとしての活躍によって日本における「ダンスミュージック」が一部の固定化したファンだけに留まらず、広く大衆に広がっていくようになったと感じます。
その代表的な存在が華原朋美や安室奈美恵、globe、trfなどを中心とする「小室ファミリー」と言われるアーティスト達です。また、また、これとは別にSPEEDの存在もこの時期の低年層を中心にしたダンスミュージックの広がりに一役買ったことは間違いありません。
こうやって、1990年代から2000年にかけて、日本では「歌って踊る」という音楽の分野が広く大衆の中に浸透していったのです。
では、この時期、三浦大知はどうしていたでしょうか。

三浦大知の登場

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