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一枚の絵のような映画 〜「ミツバチのささやき」(スペイン映画)ビクトル・エリセ監督作品その1🇪🇸


原題「El Espiritu de la colmena」

これは「蜂の巣の精霊」という意味で、「青い鳥」で有名なメーテルリンクの詩からの引用です。

監督ビクトル・エリセは、養蜂家である人間(支配する側)と蜂たち(支配される側)との関係性に触れ、以下のように説明しています。

蜂たちが人間に従っているかのように見える(実際は意思疎通ができないのでそんなことは無いのだが)、強力で不可思議かつ奇妙な力、そして人間には決して理解できない力を、「蜂の巣の精霊」と呼んだ


人間に理解出来ない力

1940年。
フランコ独裁(1939年~)が始まった直後のスペイン。とある農村に暮らす養蜂家の家族。内戦の傷は癒えておらず、ひっそりと暮らしています。農村の風景は、とても質素で、静かで、、、精霊がどこかに住んでいそうな雰囲気を漂わせている。

そんな田舎のとある町に映画興行隊がやってくるところから、この映画は始まります。映画は「フランケンシュタイン」=この世のものではない存在=精霊のような存在。

フランケンシュタイン=精霊が生きる場所は、人間の支配の及ばない場所

養蜂家一家には、二人の姉妹がいて、、まだ小さいがゆえに、数年前の内戦がどんなもので、どれだけの精神的な傷跡を全土に残したのかは、わからない。でも、なんらかの「空気」は感じていて、それが結果的に大人社会の拒絶につながっていく。


何故、大人社会に嫌気がさしているのかは、彼女ははっきりと自覚していません。そこに理由はないんです。少女が家を飛び出した森のなかで、体験する神秘的な出来事が印象的です。あたりを照らすうっすらとした白い光=精霊のモチーフでしょう。

映画イメージより


それは、内戦によって切り裂かれた人々の心を癒すと同時に、少女の混乱した感情を癒す機能として作用しているようにも見えます。

少女の内面的な成長

映画興行隊がやってきてから、最後の場面まで、少女の精神的な成長とリンクするような象徴的なシーンがこの映画にはいくつもあります。

姉妹は、家の近くの線路に耳をあてて、振動で電車が来るのを察知する遊びをしています。そして電車がものすごい勢いで近づき、走り去っていく。姉妹は傍らでそれを見送る
人間の支配の及ばない、圧倒的な力のイメージを電車に託しているような気がします。この電車の傍若無人さが、まさに独裁者のイメージ。市民は黙って見送るしかない。


映画の中の精霊のモチーフであるフランケンの顔がアップになり、その次に映し出されるのは、蜂よけマスクをかぶった父親の姿・・・
人間も精霊(映画という虚構の中)も同じようなものであるということでしょうか。内戦後の心の傷、圧倒的な独裁政権はある意味非現実的であり、虚構ともいえるのかもしれません。そんなことを示唆したのかもしれません。

映画イメージより


また主役の少女の精神の不安定さも当時の不安定なスペインの状況を示しているとも言えます。

映画イメージより

この映画が伝えたい事

この映画は、「内戦がどのくらいひどく心に傷を残したか」ということと「独裁という非現実的な現実下の生活がどのくらいつらいものなのか」ということを、田舎町の風景、養蜂家一家の内情、姉妹の精神的な成長、そして虚構である精霊(フランケンシュタイン)との出会いを通して、とても静かに描いているのだと思います。


楽しんで見る映画ではないですが、背景まで考えて、改めて見てみるとこの映画は絵画のように見るべき作品だと感じるようになりました。

こういった間接的な映し出しも、芸術作品の表現の一種の形なのですね。

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