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広島の空に向かって唄おうと決めたのはその時だった 〜 「広島の空」 さだまさし


さださんは長崎の出身。冒頭の歌詞の稲佐山とは長崎の山。

さださんは毎年長崎の稲佐山にて「夏 長崎から」というコンサートを行っています。8月6日に。

そう、8月6日に長崎の地から、広島の地の方を望み、歌を響かせようとしているのですよね。

また、「このコンサート中、自分の大切な人を思い起こしてほしい。その人の笑顔のために何ができるか考えてほしい」というメッセージも込められています。

この楽曲の歌詞は、そのさださんの視点と、実際の8月6日を経験した方の体験談から構成されています。

その日の朝が来ると僕はまずカーテンを開き
既に焼けつくような陽射しを部屋に迎える
港を行き交う船と手前を横切る路面電車
稲佐山の向こうの入道雲と抜けるような青空

さだまさし「広島の空」より

In August nine 1945 この町が燃え尽きたあの日
叔母は舞い降りる悪魔の姿を見ていた
気付いた時炎の海に独りさまよいながら
やはり振り返ったら稲佐の山が見えた

さだまさし「広島の空」より

もう恨んでいないと彼女は言った
武器だけを憎んでも仕方がないと
むしろ悪魔を産み出す自分の
心を恨むべきだから どうか
くり返さないで くり返さないで
広島の空に向かって唄おうと
決めたのはその時だった

さだまさし「広島の空」より

印象的なのは、蝉の鳴き声。

あの出来事の後にも蝉は変わらず鳴き続けていたのだと。

人間社会がもたらした災厄とは自分は全く関係ないかのようなその情景は自然の奥ゆかしさというか生物の不可思議さを秘めているような気がします。

そんな自然には人類はかなわない。文明が発展し、どれだけ大きな爆弾を作れるようになろうとも。

自然には抗えない。

そんな、自然の雄大さを、なるべく小さい頃から体験・体感すること。自然への畏怖の気持ちを持つことがが、最終的には人間社会のもたらす災厄を回避することになるのかもしれませんね。

そんなことを想いながら。

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