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僕は誰もいない教室で、
自分の板書を消しながら、
ため息をついていた。

このA塾でバイトを始めて10カ月。
半年の研修期間を経て、
実際の教壇に立っていた僕は、
行き詰っていた。
…授業がうまくいかない。

僕は、大学に入ったら塾講師の
バイトをすることを決めていた。
眠る暇などない、
楽しい授業をしてやる!
…ところが実際の教壇に立つと、
机から見る風景とは180度違っていた。

受動的に聞くのと、能動的に話すのとで、
こんなにも違うとは思わなかった。

今日の授業は英語の文法。
「受動態と能動態」。
つまらない授業ではなかったはず。
練りに練り上げた授業案!
現に、生徒は楽しそうだった。
時間が足りなかったが、
生徒は時間が短く感じたはずだ。

…しかし、授業の最後の
確認テストで、僕は唖然とした。
強調したはずの大事な文法のポイントが、
ほとんど定着していなかったのだ。

楽しくて、かつ、力がつく授業!

それを目指す僕は、
「楽しいだけ」の授業しかできない
自分にいらだっていた。

黒板を消し終わり、教員室に戻る。
帰ろうとする僕を、
ある先輩講師が呼び止めた。
彼女は、僕と同じ時間講師、
つまりバイト。確か、大学院生だ。

「…なあ、たこ焼きでも
食べにいかへん?」


30分後、僕たちは雑多な居酒屋にいた。
ムードもへったくれもない店。
勘違いされないよう、
あえてこういう店を選んだんだろう。

「今日はワリカンや。
その代わり、最初の1皿分だけは
ウチが出すで。任せときや!」

彼女は店の大将に
「いつもの」とだけ言った。
大将はうなずき、何かを焼き始めた。

っていうか、常連かよ!

僕は、関東地方から
関西の大学に進学してきた。
なんで関西人は何でも
ボケとツッコミに
変換するのだろう、と思っていた。

「お、来た来た。まずは
『たこ焼き』でも食べや」

ソースとマヨネーズの
混じった香ばしい香り。
僕は、空腹を思い出す。

…うん、うまい。うまいけど…。
なんか違和感がある。
僕は2つ目を口に入れる。
やはり、間違いない。

「…これ、たこが入ってなくないですか?」

僕は、彼女に向かって小さな声でそう言った。

「ほう、たこが、無いんか?
…そんなら、たこ焼きやないな」

彼女は、澄ましてそう言う。
…って、たこが入ってないのを
知ってたんか!

「…アンタの授業も、
『たこの無いたこ焼き』や」


彼女は、いきなり斬りつけてきた。

「ソースやマヨは、うまいよな。
けどな、たこ焼きは
たこが入っているから、たこ焼き。
たこが無ければたこ焼きとは言えへん。
たこが大事。まず、たこを入れんかい!」

僕は、ぐっと言葉に詰まった。
彼女は、ぐっとビールを飲み干した。

「アンタ、ソースやマヨだけに
こだわり過ぎてへんか?
たこを入れるのを忘れてないか?

確かに、味付けは大事や。
けどな、大事なもんが入ってへんと、
生徒の頭の中には何も残らん。

ヒットソングには、ええサビがある。
サビが頭に残るやろ?
サビ大事や。まずサビを決めんかい!」

僕は、反撃を試みる。

「…授業の中では十分に
サビを聞かせてるつもりです!
たこも、入れてます!
ここが大事や!と、あえて
下手な関西弁で強調しました。
けっこう受けましたよ?」

彼女は、僕に向き直る。

「引き算やない。
ゼロからの足し算で、
授業を組み立てるんや。

…アンタ、授業時間が
足りないと思うてるやろ?」

図星だった。

あれもこれも話そうとして、
時間が足りなくなる。
そのため最近は、授業準備の中で、
彼女のいう「たこ」を決め、
そこにできるだけ集約していこうと、
話すことを取捨選択していた。

…それでも時間が足りなかった。

「100からの取捨選択やない」

彼女は、僕の心中を
見透かしたように、血刀を振るう。

「ゼロから組み立てるんや。
必ずこれだけは伝えたいということ、
それをまず『1つだけ』書く。
100から90引いて、
10だけしゃべってるつもりやろ?
でも、引いた90が気になるやろ?
人間、引き算でしゃべることを決めると、
答えが水増しになる。
10だけしゃべってるつもりでも、
つい20しゃべるんや。

そうやない。ゼロから足し算。
ずばりこれ『だけ』は伝える、
ということを決めて、
そこを『膨らませる』んや!

僕は目からウロコだった。
…確かに、今までの僕の授業の構成は、
引き算だった。
つい、時間を使ってしまっていた。

「…でも、ゼロから足すだけだと、
逆に時間が余るのでは?」

「時間は、余ってもえ。
余ったら、大事なことを
言葉を変えて強調したり、
演習させたり、
質問を受けたりしたらええやないか。

アンタ、自分、つまり話し手の動きを
変えることに精一杯で、
生徒、つまり『聞き手の』動きを
変えることを忘れてへんか?


聞くだけで定着したら、
何の苦労もない。
聞かせて、質問したりさせたりして、
実際にやらせてみて、失敗させて、
そうして初めて聞き手の
頭の中に残るちゃうんか?」

…僕は、バイトを始めた頃の
授業研修を思い出していた。
そうだ。確かに塾長もそうしていた。
「聞き手の」動きを変えていた。

意識していたつもりだったのに、
『お通夜授業』になるのが嫌で、
ソースやマヨを付けることに
こだわってしまっていた…。


たこを入れるのを、忘れていたのだ。

いや、入れたつもりになって、
生徒にとっては、どれがたこなのか
わからなかったのかもしれない。

彼女は、にっこりと笑って言った。

「たこは、噛めば噛むほど味が出る」

…次の日、ウチは、教員室に入った。

昨日、飲み過ぎたかな。
人のカネだと思って、飲み過ぎた。

「どや、うまく話せたか?」

塾長が、ウチを見るなり、そう言う。
ウチはぐっと「いいね」サイン。
塾長は大袈裟に「ほっとした」素振り。
幼児番組の着ぐるみか!

「あんがとさん」

塾長はウチからレシートを受け取ると、
昨日の分の支払い額に、
少しボーナス分をのっけて払ってくれた。
そう、ウチは塾長から密かに頼まれて、
あいつを大将の居酒屋に誘ったんや。

「いつもの大将の店で
『たこ無したこ焼き作戦』や。
君に頼んで正解!」

「ま、最初からうまくいくわけないんで、
ええ薬でしょ。
最近、伸び悩んでいるようやったし」

「あれ、君も『たこ無したこ焼き』を
食ったんやったっけ?」

「なんや、覚えてへんの?
ウチはよう覚えてるわ。
何やこいつ、ウチに気があるんか、
まあタダ食いして帰ったろと思たら、
『たこや、たこが大事やねん』を
100回くらい連呼したやろ?」

「ワイは愛妻家や。
バイトに手を出すなど、ようせん。
…恐妻家ちゃうで!」

「まあ、あいつも
何度も試行錯誤して、失敗して、
ええ授業を作っていければええな」

「たこが大事やねん」

「もうええわ!」

(おわり)

※2019年6月22日にnoteで
公開したものを、リライトして
短めにして投稿しました↓

ロングバージョンもぜひ!

『言葉を紡ぐ/言葉を彫り出す』↓

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