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物語ることの取捨選択と演出 ~『ドラえもん』アニメ化を事例に~

歴史というものは「物語る」側面があります。

物語には、起承転結やストーリーテリングがある。
物語る人の主観が混じります。
「取捨選択」「演出」があるのです。

本記事では、このあたりのことを書きます。
有名な『ドラえもん』という物語の
アニメ化を事例にとって…。


この漫画ではドラえもんとのび太が
物語の核となるキャラクターですよね。
そこにジャイアン、スネ夫、しずかちゃん
などが絡んでくる。

…しかし、あまり知られていないことですが、
ドラえもんは違うテレビ局によって
「二回」アニメ化されていました。

ただ、一回目は不評。すぐに終わった。

そのトラウマもあって、
作者の藤子・F・不二雄さんは
二回目のアニメ化に際し、とても慎重でした。
どのようにアニメ化するのか?
どのように『見せて』いくのか?
制作サイドに企画書を求めたのです。

制作サイドは悩んだ挙句、
高畑勲さんに企画書兼レポートの作成を依頼。
彼は『ドラえもん』の本質を捉えた
素晴らしい企画書を作り上げます。

(ここから引用)

『「ドラえもん」企画書

夢想空想こそ、子どもたちの特権だ。
親や先生はそんなものクダラナイと
言うかもしれないけれど、
『ドラえもん』はそれを蔑んだりしない。

(略)

『ドラえもん』は、子どもたちの夢想空想を、
大人の知恵で少しだけふくらませてあげる。
でも、現実世界は
そんなにいいことばかりじゃない。
だからのび太はできそこないで、
最後はいつも失敗してしまう。

子どもたちの夢想空想を
笑いの中へ解放してくれる、
解放戦士こそ、『ドラえもん』なのだ』

(引用終わり)

この高畑さんの企画書を読んだFさんは、
二回目のアニメ化にGOサインを出しました。

…このエピソードを読んで、
読者の皆様はどう思われましたか?

では、もう一つ、情報を加えましょう。
二回目のアニメ化の『ドラえもん』について、
その演出を語った対談の抜粋。

(ここから引用)

『依田:『ドラえもん』って、
昔日本テレビでやっていたのって、ご存知ですか?
あれ、1話を30分でやっていたんですよね。
それで間延びしたのか、
半年くらいで終わっちゃって。

いまテレビ朝日でやっている、
1話15分のモデルって高畑さんが考えたんですよ。

太田:え、そうなの?

鈴木:企画書、高畑さんが書いてるんですよ。
それで、日本テレビ版の30分のやつを
参考試写して、「あ、これはダメですね」って。

なんでかっていうと、
『ドラえもん』の1話を30分に伸ばすために、
シナリオライターが入って、
間延びさせてたんですよ。
それで、高畑さんが、意見を出したのは、簡単。
「30分の中で、2話やればいい」って。
それで、もうひとつ「シナリオは書くな。
原作をそのままやればいい」って。

太田:テレビ用にするなと。

鈴木:それで、原作からそのまま絵コンテにして、
まったく原作通りにやるっていう。
それでやってみたら、大ヒットだったんですよね。
高畑さんって、やっぱり
ヒットメーカーなんですよ。』

(引用終わり)

…今度はどう思われましたか?

では、この事例をもとに、
「歴史を物語る」ことについて
書いてみます。

歴史とは現実世界で起きた出来事が
まずあって、それをどう「物語る」かです。
物語る人が、題材を自分なりにピックアップする。
取捨選択して、どのように語るか演出する。

すべてのことは、とても取り上げられません。
時間も(文字数も)有限です。
箇条書きでダラダラ書いても読んでくれない。
ですので、色をつけます。脚色です。
大事そうなところは強調して詳しめに語る。

ここで『ドラえもん』のアニメ化の話を
思い出していただきましょう。

◆1回目:1話を30分、ライターが脚色
◆2回目:2話を15分ずつ、原作通り


ヒットメーカー高畑さんの慧眼で、
演出の仕方がガラッと変わりました。
この「見せ方」が上手かった!

物語り方によって、受け手の反応が変わるのです。
物語る内容によっても、変えていくべきなのです。
『ドラえもん』は原作が素晴らしかった。
ゆえに、その原作に即した見せ方が合っていた…。
取捨選択、強調の仕方、演出が、
いかに「物語る」時に大事か、という好例です。

…ただここで、私はもう一つ指摘したい。

というのは、あまりに優れた語り口の場合、
「認識の固定化」が生まれやすいという点です。
ひいては「誤った偶像」も生じやすい。


読者の皆様は、アニメのドラえもんは
15分ごと原作通りのもの「しかない」と、
錯覚されていませんか?
「30分間延び」のアニメがあったことなど、
今ではすっかり歴史の闇に消えていますよね。

しかし「映画版ドラえもん」があるように、
実は2時間に伸ばすことだってできる。
語り口は変えられるんですよ。やろうと思えば。

その代わり、演出や見せ方が変わります。
時には「キャラ変」まで行われる。
ジャイアンは頼もしい仲間になります。
成長しないはずののび太は、2時間で成長する。

毎週のアニメでは短く語ったほうがいいのに、
映画版では長く語ったほうがいい…。
元の題材は同じなのに、全然違う物語なのです。

…そう考えた時、もし、ドラえもんのアニメを
仮に「15分ごと、原作通り」のもの「しか」
見ていなかった人がいた場合、

のび太は永遠に成長しないと錯覚しませんか?
ジャイアンは暴君でしかないと思い込みませんか?
ひみつ道具こそがすべてだと思ってしまわないか?

そういう「危険性」もある。

「省略」することでわかりやすくする。これは、
「物語」の利点であり、同時に欠点でもあります。
高畑さんが素晴らしい演出をした「がゆえに」
認識が固定化されてしまっているのです。
(もちろんこれは「映画版だけ」しか
見ていなかった場合にも起こり得ます)

物語には、ひいては情報には様々な見せ方がある。
誰かがその演出を、制作過程で施しています。
成果物には見えないだけで、
目に見える情報の裏には取捨選択と演出がある…。

つい忘れがちなそのことを思い出すために、
『ドラえもん』の毎週版と映画版とを
「比較」することはとても有益なのです。
(加えて言えば、あまりうまくいかずに
闇に葬られた「1回目」と対比することも)

最後にまとめます。

本記事では『ドラえもん』の事例を通して、
物語ること、歴史を語る、情報を出す際の
取捨選択と演出について考えてみました。

現実そのまま、現実離れ、主観風、客観風、
世界には様々な「歴史」があふれていますよね。
できるだけ事実のみを伝えるべき!
できるだけ偶像を見せて夢を与えるべき!
どちらが正しい、悪い、ではありません。
ただ、そこには取捨選択と演出があり、
出し手の意図があるだけです。

読者の皆様は、ご自身の記事を書くにあたって、
どんな取捨選択と演出を行っていますか?

よろしければサポートいただけますと、とても嬉しいです。クリエイター活動のために使わせていただきます!