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【短編小説】常務のあだ名

 私が会社に入ったのはまだバブル景気の頃で、見習いの新入社員なのに夏と冬とは別で秋にも少額ながらボーナスが出たし、課の懇親会も結構な額が経費で落ちたので普段は行けないような中華料理店で円卓を囲み、メニューの上から全部頼んでみたりと、今思えばけっこうな贅沢ができました。

 会社は戦後に社長が一代で成功したメーカーでした。家電や自動車といった主要な製品ではありませんが、経済成長していった歴史の中で名前が刻まれても不思議でないヒット商品をいくつも世に送り出しました。それは今でも誇りですし、それだけの成功をした企業なら、バブル期に羽振りが良かったのも不思議ではありません。
 最初はよくある町の小さな工場だったそうです。それが時代の追い風もあって、あれよあれよと大きくなり、その時代を共に頑張った古参の従業員とその親族が上層部を占める、家族経営的な組織でした。良く言えばアットホームな社風。

 私が配属になった企画部署は、創業社長の長男が常務として統括しておりました。有名大学で海外のマーケッティングを学んだ知的でスタイリッシュな人でした。細身のスーツに銀縁のメガネでインテリな雰囲気をまとい、町工場のオヤジだった頃から変わらないであろう大声で喋り、時にはカミナリを落とす社長とは一線を画す、冷静で淡々と横文字を交えて分かったような分からないようなことを話す人でした。
 とはいえマーケッティングが私たちの会社の商品にどれだけ必要かと問われると、実際のところははっきり分からず、これまでのヒット商品も売れた理屈は後からいくらでも言えるけれど、強いて言うなら時代に沿っていた面があったのだろうという物ばかりでした。
 常務から言わせれば、その時代に沿った商品を開発するために必要なのがマーケッティングだそうで、商品企画会議にはそれを裏付ける資料を必ずつける必要がありました。常務が統括するようになってからは企画を考えるより、資料作りが仕事になってしまった感じもありました。先輩は数字遊び言葉遊びと呆れておりました。

 創業社長はカツラでした。先輩からこっそり古い会社案内を見せてもらったのですが、その当時はまだ自然なままで、今ならイケオジで通りそうな渋くワイルドな頭髪で、むしろ何故変えたのだろうという疑問が湧きました。もちろん個人の問題ですし、経営者の押し出しのようなこともあったのかも知れません。どちらにしても社長は堂々として一種のオーラのような、一代でここまで会社を大きくする人というのはこんな風なんだろうと思わせるものがありました。

 そんな創業社長のDNAを継いでいる常務もやはり頭髪は微妙でした。パワフルな父親と違い、知的でクールなキャラクターだった常務は、自己演出という意味があったのかも知れません、ある展示会の初日に突然カツラでやってきました。
 色々な準備で残業が続き、前日には新商品のサンプルを各地の工場まで受け取りに行くなどの強行軍でなんとか漕ぎ着けた展示会当日の朝、課長たちが、ピッチリ七三に分けた知らないメガネの人と話し込んでいました。それが常務だと気づいた私は、とにかく知らない振りで商品サンプルを綺麗に並べる事に集中しました。それは他の人も同じだったらしく、その展示会は近年で一番の受注結果になりました。大成功でした。
 常務も最終日の総括で君たちはやれば出来るのだからこれからも頑張って行こうと新しい髪型で上機嫌に話し、私を含めみんなが放心した不思議な気分で拍手をしていました。

 その展示会で一番のヒットになった商品は、企画会議でマーケッティング資料の体裁がなってないと常務に散々な評価を受けたアイデア商品で、誰もが良さそうだと思うものの、マーケッティング的な裏付けが取れるかは難しいものでした。良さそうと思う理由を説明するのが簡単でないモノってあるじゃないですか。
 一方で常務直々の発案で開発が進行し、試作も普段の倍以上の手間をかけた商品はあまり振るいませんでした。マーケッティングなんてそんなもの、という常務が来てから殆どの人が心のどこかで思っていた結果になってしまった上での、やれば出来るのお言葉は、上滑り以外のなにものでも無く、展示会の成功と終了の弛緩した空気と早く常務帰ってくれないかなあという思いに満ち溢れていました。

 展示会の撤収が終わり、終電も無いし明日は休みだからと入った深夜の居酒屋で常務のことをみんなこう呼んでいました。「世襲メガネ」。
 悪口にだって優しさは必要です。


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